2
金属質の取っ手を握り、扉を引く。冷たい感触の中、チリンと小さく鈴の音が聞こえる。
佐柳は上司の待つ、BAR「マリポサ」へと足を踏み入れた。薄暗い店内を暖色の照明が柔らかく照らし出している。
夜の店らしい妖艶な雰囲気が周囲には漂っていた。
佐柳はカウンター席に一人腰掛けている男の背中を視認し、その席へと向かった。
佐柳は男の顔を確認するまでもなく「お待たせしてしまって、すみません」と声を掛ける。
男はその声に反応し「やっときたか」とウイスキーグラスを揺らした。
佐柳はその男の隣の席に腰を下ろす。
バロンシェーカーを振る音がカウンターを境に聞こえてきた。こういう店に通わない佐柳は一瞬、バーテンダーのリズミカルな動きを見て、酒を嗜んでいる男へと口火を切るのだった。
「あの、詳しい要件とは何でしょう」
男はバーテンダーの後方に飾られている、数々の酒瓶を見つめたまま、か細く「綺麗だと思わないか。俺は浴びるようにしてあの宝石たちを飲み干したいんだ」と言う。
佐柳はその言葉に釣られる様にして男の見ている方向へと視線を送る。
その先には照明に照らされ、テラテラと輝く高級そうなお酒が並べられていた。
「それにしても、安い脂の香りだな。佐柳」
男は不意に佐柳の服に人差し指を当てながら告げる。
「すいません、消臭出来ていたと思っていたのですが」
「いや、別に良い。だがもっと、良質な肉を食え」
「はい」
男は言いたいことだけを言うと再び、真正面を向いて黙ってしまう。
「それで要件って何ですか」
佐柳は普段とは違う男の様子を不審に思いながら再び質問する。
「あぁ、そうだったな」と男は手にしていたグラスを青色のコースターの上に置き、事の詳細を話し始める。
「四ヶ月前に起きた、学生の集団自殺の事件を知っているか」
男が切り出した話題は今尚、社会をにぎわせている二十数名の死傷者を生み出した大事件だった。
「えぇ、それが何か」
「そんな凄惨な事件が起こってしまった原因が何か分かるか」
ニュース番組では、未成熟な学生の精神状態がどうたらとか言っていた気がする。
「さぁ、興味がないので」
「ったく、時事問題くらいはちゃんと頭に入れておけよ。今から話すことは極秘事項だからな」
男がそう言うとバーテンダーはその場から立ち去ってしまった。これがこの店のルールの一つというわけなのだろう。
「えぇ、他言しません」
「よし、結論から言うがこの事件の原因となった物は薬物だ」
「……薬ですか?」と佐柳は息を呑む。
「厳密には違うが、確かにそうだ。それで、その薬物の性質が厄介だ。電子Dragって聞いたことあるか」
「言葉だけはあります。でもあれはスラング的な意味合いの物ではないんですか」
「あぁ、だが実際に本物の薬物と同じ効果をもたらす電子Dragが存在しているとしたら?」
「それが今回の事件の……」
「上が言うにはそういうことらしい。でも人体からも検出されず、見聞だけで対象を依存状態にさせちまうなんて、世間は信じないだろうが」
「それがターゲットと関係が?」
「ターゲットの情報はこの端末に記録されている。全てが終わり次第、処分してくれ」
男は胸ポケットから端末を取り出し、佐柳にそれを手渡すと再度、酒を呷った。
「分かりました」
佐柳は受け取った端末を片手に席を立つ。
店から出ようとする佐柳を男は引き止める。
「まて、これも持っていけ」と男は自身の椅子の下に置いていたケースを佐柳に投げる。
「うおっ」と佐柳は両手でそれを受け取る。
それなりの重量のケースであり、佐柳にはその中に何が入っているのか、大体の見当がついていた。
「それと、奴に関する情報を調べるときは十分に気を付けろ」
佐柳は男の忠告を背に、店から立ち去った。
それが佐柳にとってその男と交わした、最後の言葉であると知る由もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます