第一章 血にまみれた欲望編
第一話「採用そして始まりの事件」
長い長い警察学校での時間がようやく終わりをつげ、私マヤ・プライバルは疲れきった体に休息を与えつつも、どこか急ぎ足に過ぎていく日々を過ごしていた。
これからいよいよ始まるんだ。そう思うと柄にもなくワクワクしている自分に驚きを覚えつつたまには良いかと思う。
しかし決まらない。ネクタイの色がどうしても決まらない。
分かっている。普段のようにこだわっている場合じゃないことは、あと数分で決めることが出来なければ遅刻が確定してしまうことを理解はしていというのに…どうしても決めきれない。
「マヤ、まだ決まんないの?」
母が部屋に入ってくると飽きれたような顔をこちらに向けてきた。その視線は痛いほど突き刺さってくる。
「母さんしょうがないでしょ。今日は大切な日なんだから」
呆れたように肩を落とす母は、しょうがないなと言わんばかりに口を開く。
「お父さんと同じ色にしておきなさい」
その一言で私は黙ってある一本のネクタイに手を伸ばした。
父が私の生まれた日に着けていたというネクタイ。〈遺影〉で微笑む父が着けているものでもある。
娘が生まれた日は、雲一つない晴天だったから水色のネクタイにしたんだとか。
物心がついた時には、父はもういなかったので分からないけれど何とも父らしいなと思ってしまった。
「母さん、ありがとう」
そういうと母は笑顔で背中を叩いて、部屋から出て行った。
準備もできたし、気持ちも整った。時計を見ると時間もギリギリではあったが、なんとか間に合いそうであった。
鞄を持って家を出る。今日は天気予報だと曇のち雨という予報だったが、父が祝福してくれているのか雲ひとつ無い晴天となり、なんだか私はもう一度背中を叩かれたような気持ちになった。
◇◇◇
〈ラインドーズ・エンジェル〉それがこの街の名前。大陸の北側に位置し、主な産業として〈
私がつまらないと思っていた高校時代の授業で嫌というほど聞かされた話だ。
世界でもここでしか採掘することの出来ない特殊合金で、これにより世界のロボット技術は飛躍的な成長を遂げたんだとか。
実にどうでもいい話だが、この街がそれに支えられて存在しているのは紛れもない事実だった。
しかし、それに目を付けて産業参入をしてきた企業は数多存在し、更にそれらの企業に勧誘されて仕事をしに来た人間が流れ込んできた影響で気が付けば、元々住んでいた原住民は居場所を追われることとなった。
そうした流れが自然に富裕層の街と貧困層の街とを区別させていったらしい。これが起きたのがおよそ百年ほど前の話。
今でも貧困層だの富裕層だのと区別するような事はほとんど無くなったが、それでも歴史が残した爪痕は決して浅くはなかった。
現在、街は存在する全ての企業を一つに合併させ超巨大企業となった〈ラインドーズ社〉を中心として栄えた通称〈
結果として、影となったこの街では犯罪率が異常な上昇を見せ、より影を濃くする形となっている。
しかして、この異常な犯罪率に対して対抗するべく、三つの警察署が一丸となり犯罪の撲滅に本腰を入れるべく協力体制をしき、各々の署が新人育成にも力をより力を入れるべきだという理念を掲げ続けているらしい。
その理念通りに今日までの間、犯罪率を下げる事に貢献し続け、三つの署の中でも一番の検挙率を上げているのがこの〈ラインドーズ中央署〉の誇りなのだ。
と長ったらしい採用式での署長挨拶であった。この街に住む人間なら嫌というほどに分かっているような話をよくもまぁ、堂々と長く話せるものだと、呆れを通り越して心の中では小さく拍手を送った。
そのあまりの長さに途中で眠る者、横の人と話し始める者など殆どの人間が話を聞こうともしない中、一人だけそれを熱心に聞き、目を輝かせている人物が私の隣にいた。
確か警察学校の卒業式で卒業生代表の挨拶をしていた、女性だったと覚えている。
自分とは全くと言っていいほど対極に存在する人間だ。
ふと何気なくその子の横顔を見ていると目が合ってしまった。
何を思ったのかそこの子は、私と目が合うとこちらに微笑み返してきた。それに驚いて私は正面を向き直してしまった。
どうにも、自分からそちらを見ていたのに気恥ずかしくなってしまったのであった。
最後に別のお偉いさんが各々好きなように話をしたのち入署式は終わりを告げる。
それにしても長ったらしく、聞いているだけでも辛いものがあったな。
人が帰り始める。数は多いわけではないがある程度人が帰ってまばらになったら席を立つつもりだ。
どうにも、幼いころから人混みというものに慣れなくて自然と避けるようになっていたのも理由。
それまでは母に連絡を入れたりして暇を潰せば良いだろうと思っていたのだが…
「あの大丈夫ですか?」
まさか自分に声をかけているとは思わずに一度目は無視していた。考え事をしていて気に留めなかっただけなのだが。
「あの!大丈夫ですか!」
「はい?」
何が大丈夫なのだろうか。こちらは何の問題もなくただ待っているだけなのだが。
「良かった。あのもう終わりましたし、帰らないんですか?」
「あー何というか…その面倒でね。人混みがさ」
「苦手だったら克服できるチャンスかもしれないですよ!」
彼女は何を言っているんだと言う気持ちになった。苦手なものはずっと苦手なままでも生き方次第でどうにでもなると思っている。
お節介焼きもここまでくると重症だ。
「結構。これで不自由なくできているので」
そんな話をしていると、ようやく人がまばらになってきたので私は席を立つ。
そのまま、彼女の方には目もくれずに立ち去ろうとした。ここまで来ても思う事だが、こういった人物とはまさに私は対極だ。
「ちょっと待ってください!」
そういう彼女を無言で睨み返す。さすがに彼女にもそれが伝わったのかそれ以上は何も言ってこなかった。
◇◇◇
次の日、いよいよ今日から本格的に仕事が始まる。今は署長から新入署員の配属指示があるのを署の受付場所で待っている所だ。
落ち着きのない鼓動の音で表情にはでないものの、そわそわしている私がいることが珍しいと感じていた。
私がここに警察官として立っているそれがどれほどに誇らしいことか。きっとこの姿を父さんも見たかったんだろうなと思った。
さて、今日は入暑式も終わり配属が決まるが、この〈ラインドーズ中央署〉には大まかに三つの部署が存在する。一つ目は〈刑事部〉ここは事件の犯人を追いかけて捕まえる、いわゆる警察の花形的部署である。
その次に上がる部署が〈科学捜査部〉だ。指紋調査や現場に残った血痕から犯人の動きを探ることを中心としている。最近では、ドローンによる空中捜査や捜査支援武器の開発にも力を入れているんだとか。
最後の部署は〈特殊事件対策部〉ここは表向きには、特殊事件と言う通常の捜査では解決することの出来ないと判断された事件を処理する中央署最後の砦というものらしい。
しかし、実態は刑事部が解決することが難しい、または面倒だからと投げる受け皿のような部署なのだとか。完全な裏方で良いイメージの無い部署だ。
これは母から聞いた話なので、どこまでが本当なのかは分からないけど。
でも、母は面白い場所だしもしもそこに配属されることがあるのなら、それは誇らしいことなんだと言っていた。
あくまで私がやりたいのは〈刑事部〉で犯人を追いかけていくことだ。
そして…〈 私が果たしたい事〉に一歩でも近づくことが出来ればそれでいいだけなのだから。
だからこそ、昨日の様な甘い奴となんて会話をしている暇もないようなものだ。
「あ、昨日の!アタシ、シグレ・ティーナって言います。今日からよろしくです!」
私は横目にまたこいつかと言わんばかりの嫌な視線を送って無視をした。
私にとっては〈不釣り合いな関係〉でしかないんだろうから。
「ちょ、ちょっと!もう…どうしてうまくいかないのかな」
シグレと名乗った女性は困惑していた。私には知ったことではないのだが。さすがにここまで突き放すのは申し訳ないと思ってしまった。
そんなことを考えていると、奥の方から署長が姿を見せた。
「おはよう諸君。皆も知っていると思うが私がこの中央署の署長ラミズレ・ガインアットだ」
ラミズレ署長。かつて若い頃にこの署で最大の事件と言われている〈モノリス事件〉で率先して指揮を執り、この事件を解決へと導いた英雄らしい。
「諸君らに英雄になれとは言わない。しかし上を目指すことだけは忘れるな」
随分とシンプルな皮肉である。いかにも署長になる人物らしいと思った。
「複雑な話は抜きにして、さっそく配属指令をだす。名を呼ばれた者は速やかに部署に向かい仕事を始める事だ」
淡々と、その場にいた二十人ほどの名前が読み上げられていく。名前と部署を言われた者は、静かに部署へと移動した。
ちなみにどのように部署を決められているかというと、基本的には警察学校での成績や普段の生活態度なを加味して、決めることになるそうだ。
私はそうなることを母から聞いていたので意識的にそういう生活を学校で送ってきたつもりだったが、果たしてどう判断されるのかそれは私には分からない。
ただ、望むべき者になるべく努力した人は報われるべきだと知っている。
「次、マヤ・プライバル。所属部署は…〈特殊事件対策部〉だ」
一瞬、署長が何を言っているのか分からなかった。それを脳で理解するのに時間がかかってしまったせいかもしれない。
いや、きっと聞き間違いだ。私が〈刑事部〉以外に行くなんてことはありえないのだから。
「あの…何かの間違えじゃないでしょうか?そんな私が〈刑事部〉じゃないなんて」
「私の言ったことは絶対だ。そこに間違いなど何もない。不満なら今から帰ってもらっても構わんのだぞ」
「そういわけには!でも、どうしても納得がいかな…」
「おっと、悪いですね署長。こいつ等すぐに引っ張っていくんで」
私が抗議をしていると、奥から〈
「早く連れていけ…アルトニス」
「行くぞ…マヤ・プライバル、それとシグレ・ティーナ」
「アタシもですか!はい!頑張ばります」
私はまたしても驚愕してしまった。どうか冗談であってほしい、そんな話は無いものなんだと思いたい。
私と彼女の道だけは決して交わることも近づくことも無いんだって、直観的にそう思っていたのに、どうして。
そんな支離滅裂な思考になりかけている私を再度呼ぶ声が聞こえて我にかえる。
「何してるんだ?早く来い。仕事は待っちゃくれないんだぜ」
どうしようもなかった…絶望だった。私の歩むべき道が閉ざされていくそんな音が鳴り響いているかのようだった。
俯きかげんで私がそちらに歩いていく時、署長の横を通った際に耳元で署長が囁く声が聞こえた。
「期待しているぞ。君ならきっと母親のようになれるはずだ」
それがどういう意味で署長から発せられたのかこの時はまだ理解することはできなかった。
◇◇◇
そこは、警察署内の中では小さい部屋だった。人が五人もいればあっという間に窮屈になってしまうようなくらいの場所。
それくらい、この部署は期待されることも無いし厄介に思われている証拠であった。
「悪いな。昨日片づけておくつもりだったんだが、まぁなんだ酒飲んでからやろうとしたら寝ちまってな」
どうせそんな事だろうと思った。きっと普段からそんな感じなんだろう。
「じゃあ最初の仕事は片付けからですね」
「まぁそうなるな。すまんね」
冗談じゃない、ここは警察だ。こんなことが私たちの仕事であっていいはずがない。
「ほらマヤちゃんもやっちゃいましょう!」
「私は遠慮する…やりたければ好きにやれば良いじゃない」
私は乱雑に資料の置かれたデスクに突っ伏していた。もはややる気なんてものはあるはずもなく、これからのどうすれば良いのか一切分からなくなっていた。
「お前さんの気持ちは良く分かる。だがな、ここは良いぞ。まさに天国ってやつだ」
何が天国なものか。私にとってみればまさしく地獄以外の何ものでもない。
しかし絶望と共に一つの疑問が浮かんできた。先ほどからこの部署に来て、このおじさんしか見ていないのだが…まさか。
「あの…アルトニスさんでしたっけ。一つだけ聞きたいんですが」
「シン・アルトニスだ。どうした?あーすまない。恋人なら間に合ってるんだけどな」
「いや、そんなくだらない事はどうでも良いんですがね。この部署って貴方以外にどなたかいないんですか?」
それにたいしてシンさんは、少し無言の間を持った後に、ぽつりとここに俺以外はいないと言った。
それからの話はこうだ。元々この部署にも複数人の人間はいたが、殉職ないしは辞職をする人間が相次いでしまい、去年ついには彼一人だけになってしまったという話だ。
なんとも、そんな話を聞いてしまうといよいよ持ってしてどうしようにもならない気持ちになる。自分の中にあった緊張の糸とでもいうべきものがぷっつりと切れる音がした。
そんな中であっても、マヤだけは懸命に掃除を続けていた。
彼女は今一体どんな気持ちなんだろうか。いや、もはやそんなことすらもどうでもいいような気がしてならない。
私は突っ伏していた机を離れてあたりを改めて見て回る。
それにしても、いかにもおっさん一人だけで過ごしていた感じがありありと見て取れるのがまた何とも切ない。
角の所には給湯室があり飲み物なども用意しやすいようになっている点は良いと思う。
やはりまずは片付けというこなのだろう。何度も言うけど、どうしてそんな事から始めなければならないのだろうか。
そんなことを考えていたせいなのか、苦虫をかみつぶしたような顔をしてしまっていたみたいだ。
それを気にしたようで、シンさんが一言フォローをしてくれようとした。
「まぁ…なんだ。この部署にも決して仕事が来ないってわけじゃない、だから諦めるな。花はないが、〈現実〉ならあるからな」
シンさんが果たしてどういう意味でその言葉を言ったのか。それを理解できるようになったのは私たちの元に最初の事件が舞い込んできたときの話だった。
◇◇◇
入署の際、私に起きた〈小さな事件〉から早くも一か月ほど時間が経とうとしていた。
私はというと、入暑時のやる気に満ち溢れた姿はもうどこにもなく、デスクで日長一日お菓子を食べ紅茶を飲みダラダラしている。
どこの誰だろうか。この部署にも仕事が来ないわけじゃないと言っていたのは。
事件のじの字だってありゃしない。まさに平和そのものである。
しかしそれは感謝するべきことなのだろう、ありがたい事だと皮肉交じりに思う。
そして、この部署の事は一か月ほどで更に理解できた。
ここは受け皿なんて生易しいレベルなどでは到底なく、まさしく厄介者を閉じ込めておくのにちょうど良い部屋といった具合だ。
出勤すれば、周りの同期たちからは好奇の眼で見られ、挙句の果てにはクスクスと笑われる始末。
警察学校では成績優秀、態度良好だった私がなぜこんな酷い目に合わなければならないのだろうか。
理不尽だと何度叫びたいと思ったことか。しかし、今はそんな気力さえ湧いて出てこなくなってしまっていた。
「まぁた何も考えずにこの最高で窮屈で退屈な一日が茶菓子が紅茶に溶けるように消えていくわけだ」
「もうマヤちゃん、しっかりしてないといざって時に動けなくなってしまいますよ!」
「それは君が言えた口か?私の二倍は茶菓子を口に放り込んでいる君が?」
このぐうたらな環境に詰め込まれた悲しき相棒のシグレ。そんな彼女は以外にもこの現状に満足しているように見えた。
適応能力の高さだけは私以上にあるのだろう。あと食欲も。
しかし不思議なのは、一切体型が変わっていないことだ。運動しているような様子も皆無な彼女。
きっと胃の中にブラックホールでも生成しているに違いない。
「むふ~今日の茶菓子も最高です!シンさんのセンスは最高ですね!」
「褒めても次の茶菓子しか出ないぞ。にしても…お前さんらが来てからとんと暇になっちまったな」
それではまるで、私たちが来る前は暇じゃなかったかのような言い草である。
そんな感じには全く持って思えないくらいなのに。
そんな、何の事件も舞い込んでこない平和な日々をいきなりぶち破るかのように、彼女がドアをぶち破る勢いで入ってきたのは。
ちょうど、シグレと菓子の取り合いが始まりかけたところであった。
「おーほっほっほ!こちらが最底辺部署様で合ってましたかしら?」
突如として部屋に入り込んできたその女性はまさしくテンプレの様なお嬢様であった。
この警察署にはきっと変わり者しかいないんだろうと、シンとその女性を交互に見ながらそう思うのであった。
「何かしら。今なんらかの失礼な波動を感じましたわ。まぁ気のせいですわよね」
波動がなんちゃらとか言い始めた。いよいよ持って本物なのかもしれない。武器はどこにしまっていたんだっけか。
「お嬢さん、もしや噂のマクリナ嬢ちゃんかい?」
「ええ!いかにもですわ!私こそ、このラインドーズ警察署刑事部創設以来の天才と言われておりますマクリナ・シティックスですわ以後お見知りおきを」
刑事部というワードを聞いて、自然と眉間に皺が寄っているの気が付いた。
私が最も聞きたくないワードの一つであるしかもそこの天才とは、尚更気に食わない。
「俺が聞いている噂は別なんだが…そんなことはどうでもいいさ。それでどんな要件?」
「たまには、底辺にも恵みが無ければいけませんわ」
ってことはついに来たか。とシンさんが小声で呟いたのがなぜか耳に入ってきた。
「と言う事で…こちらをここに投げ捨てに来た次第なのですわ!」
そういって菓子の広がるデスクに放り投げられ散らばった資料が重なった。
何事かと一瞬驚いたが、何とも言えない手際の良さでシグレがそれを回収して元の一塊だった資料に戻した。
「もうお菓子が資料で汚れちゃうじゃないですか。ってこれ…」
いや、そこは普通逆だろう。と心の中でツッコミをいれておいた。
「全く何の資料だって言うんだい?ふむふむこれは例の〈誘拐事件〉に関する捜査資料のように見えるんだが?」
シグレから資料をさっと奪い取り目を通すとそこには、先日から署内を騒がせている一つの事件の名前が記載されていた。
〈連続誘拐殺人事件〉と銘打たれたそれは、何とも奇妙な事件だったと記憶していた。
先週、事件の詳細を盗み聞きしてきたシグレから聞いた話と資料を照らし合わせて確信した。なお、詳細は以下のようなものであった。
◇◇◇
始まりは四月の終わり、ある医者の家の愛娘が誘拐され、その後送られたビデオレターから始まったという。
そこには愛娘が椅子に括り付けられ泣きじゃくっている姿が映し出されていたという。
そして、そこに現れた顔にモザイク処理をされた男と思われる人物。
その男は加工された気持ちの悪い声で以下のような声明文を出していたとされている。
〈お前の大事な娘が血祭りに変わる前に俺の要求を飲むことだ。血は沢山見てきただろうが、血はまだまだ足りないんだよ〉
奇妙だったのは、そのビデオレターには、その言葉しか録音されていたなかったことであった。
要求を飲めと言う割には、余りにも曖昧な要求とも取れない言葉で終わっていたことに違和感を覚えたそうだ。
しかし、これも誘拐事件であると言う事に変わりはなく警察はすぐに刑事部に命令を出し、調査を開始。
幸いにもと言うべきなのか、映像に映っていた窓から見える景色から場所がすぐに特定できた。
そこは住宅街の一角で、この街はで決して珍しくもない廃屋だった。ただ他の廃屋と比べると建物の形状がしっかり残っており、そういったことに使うにはもってこいだったのだろうと伺えた。
すぐに数名の刑事を派遣し突入させた。しかし、そこには娘が縛り付けられていたであろう椅子だけが残されており、後は何も残されていなかった。
血痕も特にはなく、争った形跡もなければおかしかったのは、人が入り込んだ形跡すら残っていなかったことだ。
そのことに違和感を覚えた刑事たちだったが、僅かでも誘拐犯の手がかりが残っていないかと調べていると。
一人の刑事が悲鳴を上げる。椅子の置いてあった部屋のすぐ真上の部屋を調べていた刑事が恐ろしいものを発見する。
まだ生乾きもしていない血痕がぽたぽたと垂れている奇妙な黒い袋がぶら下がっているの発見。
恐る恐る調べるとその袋の中には、新たなビデオレターが入っていた。
署にすぐさまそれは持ち帰られ、再生された。
恐らく、犯人だったと思われる男が前のビデオレターで縛り付けられていた椅子に座らされ泣きじゃくっている姿がそこには映っていた。
そこに縛り付けられているわけではない。ただ椅子の上に体育座りをするようにして、座り泣いているのだ。
それは奇妙と言うよりは不気味な映像に見えたそう。
数分間の間、その男が泣きじゃくるだけの映像が流れたかと思ったら、突如として切り替わった。
切り替わって映し出された映像に、刑事たちは震えが止まらなくなったという。
泣きじゃくっていた男が首つり台のような装置に逆さまに吊るされている所から始まった映像の中〈ソレ〉はゆっくりと映像の中に入り込んできた。
恐らくだが、数十匹という動物の皮膚を繋ぎ合わせて作られた言うなればキメラという言葉が似つかわしい、そんな被り物をした男が映っている。
身体はというと何も身にまとっていない。そこに薄く映像処理でモザイクをかけているそんな状況だった。
「オマエハシッパイシタ。ワタシハシッパイシタ。ダカライマカラ〈カブラサマ〉ニコノチヲササゲル。アゲル」
どこか機械的な声で、意味の分からない言葉を呟き続ける逆さまにされた男。
それを見てじっと黙り続ける異形の怪物。何とも言えないそんな状況が映像を見ている人間の脳裏に焼き付こうと侵入してくるようだった。
異形の怪物は、再び映像の外に行ったかと思うと、太いロープを手に持ち再び現れる。
そのロープを逆さまでまだ呟き続ける男の首に括り付けると左右から首を締め上げるように引っ張り出す。
首を絞められてうめき声をあげているにも関わらず、かすれた声で男は言葉を言い続けていた。ロープがミシミシと軋む音が聞こえるほどに強く締め上げられる。
そうして、数分間だろうかすでに死んでいるであろう男の首をまだ怪物は締め上げていた。
そして…首が限界をむかえたその時、ブシャアアア、ボトッと身体から切り離され地面に落ちる。
首をまさに文字通り締め落とした怪物は、なんとその頭にむしゃぶりついていた。
何のためらいもなくかぶりつき、肉が裂け食いちぎられ、口の中で咀嚼される音が響き渡る。
暫くして、咀嚼音がピタッと止まる。ゆっくりと首をこちらに向ける。
「奴は失敗したが、生贄はまだこちらの手の中にある。お前が肥やしに肥やした〈血〉を私に捧げない限り、お前の娘は…戻らないだろう」
そこでブツリと映像は切れて終わった。映像を見終わった刑事部の面々は、暫く誰も口を開くことが出来なかったという。
ただの誘拐事件。それも分かりやい犯人のミスで終わるはずだった事件。その先に待っていたのは余りにも自分たちの思考を超えた何かであった。
そうして、随分と長い静寂の中。一人の刑事が発した言葉で現場の空気が変わる。
「こ、こ、この件は…と、特殊事件対策部に任せるべき事件だ」
一人の刑事がそう言うと、それに同調するかのように周りが賛同する。
こうして、この奇妙で不気味な事件は資料となり私達の元に届けられ、これ以降の資料作成と事件の調査権を移される事となる。
◇◇◇
「以上が…くだらない臆病者たちが作った捜査資料の内容って感じよ」
私が資料を読み上げている間、シグレもシンさんも静かに聞いていた。
そして、この資料を持ち込んできた、お嬢様刑事のマクリナは青ざめていた。
恐らく、この映像を一緒に見ていた人物の一人だったのだろう。フラッシュバックした映像に恐怖を覚えたのだ。
「これは確かに、俺達にピッタリな事件だ。そう思うだろう?シグレ、マヤ」
その問いかけに二人は無言でうなずくとニコッと笑って見せるのだった。
第一話 終
secret desire~隠された欲望~ 講和淵衝 @ennsyo_kouwa88
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