お地蔵さんを見に行くはずだったの・1
自治会の会議といっても、あらかじめ決まっていることを周知するだけの集まりだった。別に市役所職員が丁寧に説明するわけでもなく、議事進行役が集った住民たちの意見をグイグイと吸い上げて、なにかをするわけでもなかった。転居してから間もないのだから出席しなくてはと、早めに仕事を切り上げる価値があったのだろうか。
「それでは6月の定例会を終わりますー。皆さん、お気をつけてお帰りくださいー」
議事進行役の自治会会長の声が聞こえた。
わたしは腰をさすりながら立ち上がり、ショルダーバッグを肩にかける。のっそりと鶴野さんも立ち上がる。ドアの方を見遣ると、田中の婆さんがなにもない床に躓いて盛大にコケていた。けれど、周りの誰もが婆さんを心配したりいたわったりする言葉ひとつも出していない。
婆さんは誰にも手を貸してもらえず、ヨタヨタと立ち上がって玄関先へと歩いていく。
恐ろしい地域に引っ越して来ちゃったな……。
鶴野さんが隣から「はよ。アイスコーヒー、飲むんやろ?」と急かしてくる。
「あっ、すみませんー。行きましょー!」
あまり広くない県道はバス通りも兼ねている。わたしと鶴野さんは二車線の県道沿いギリギリの位置にいた。
「白線が狭すぎますよね、ここ。学校に通う子どもさんたちでも二列には、とてもなれない」
「ああ、そうやなー。こっちも毎朝、大変やで」
「スクールヘルパーをはじめて、長く経つんですか」
「もう二十年以上になるかなぁ。登校日だけやから楽やで」
「そうなんですね」
鶴野さんは缶コーヒーのプルタブを開けた。自治会館の出入り口、自動ドアのすぐ脇に自販機がある。わたしたちは、自販機の横にたたずんでいた。申し訳程度に設置してある街灯のあかりは、時々パチンと音を立てて点いたり消えたりを繰り返す。
「それはともかくな、なんで関東から越してきたんよ」
「仕事の都合ですよ」
鶴野さんは「ほう」と言いたげな口のかたちを作る。
「女の人でも仕事で、引っ越しなんて。あんねんね」
「わたしの両親が勤め人だったころからは、考えられませんよね」
「そうやなぁ。それと、お姉ちゃん。もう少し考えて引っ越し先を決めたらよかったなあー」
「ああ……。言われたら、そうかもですね」
わたしは苦笑しながら、缶コーヒーを口に運んだ。
「駅前だと、ごちゃごちゃしていて。便利なんだけれども、落ち着かない雰囲気がしたので。それで駅からバスで十分くらいの、この辺に住まいを決めたんですよ」
「ふーん」
「でも、さっきは。庇ってくださって、ありがとうございました。助かりました」
「いやいや、とんでもない。あの婆さん、関西以外の引っ越ししてきた人には毎度のことなんよ。俺らも、もうね。定例行事やと思ってて」
「定例行事、ですか……」
鶴野さんはこちらの言葉にかぶせるように「あ、せやせや」と口元をほころばせた。
「お姉ちゃんに教えたるわな。ここから、山の方向に歩いて行ったらな、野坂昭如の本とか映画に使われた貯水池があんねん」
「『火垂るの墓』? ですか? 知らなかったです」
「ああ、それそれ。引っ越してきたばっかりやったら、わからんよな」
「貯水池が、どうかしたんですか?」
「
「え」
「『バイバイ』するんやで」
「じ、地蔵が? 石で出来てる地蔵が?」
「そうやー?」
鶴野さんはいたずらっぽい笑顔になった。夜空に浮かぶ、欠けている犬歯が不気味だ。
「有名なんよ? 『手振り地蔵』って」
「ひ、昼間でも手を振ってくれるかなあ?」
「昼間? あかんのとちゃうか? でも、なんで昼間?」
「あ、あした休みなんです」
「それやったら夜中に行ったらええやんか」
「夜に墓場なんて! 怖いじゃないですか!」
鶴野さんの笑い声が、夜道に大きく響いた。
朝七時に目が覚めた。昨日の夜、自治会館の自販機の前で鶴野さんと交わした会話を思い出す。
行っても行かなくても、いいんだろうけど。あしたのバス停で鶴野さんに会ったときに「行ってないです」と言うことを想像するのも、自分的に収まりが悪いなあ。
どうせ予定もない休日なので。
話ついでに。昨夜に教えてもらった満池谷の貯水池に行ってみよう。
「ウォーキングだと思って。一日の消費カロリーの足しになるかも」
洗濯と掃除を済ませてから、出かけることにしてみよう。
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