消しゴムのおまじない
たけもとピアニスト
同級生の美玖ちゃん
同窓会の案内が届いていると知ったのは、
実家に帰省した時に母からはがきを手渡された昨日のことだった。
安徳中学校第27代卒業生。日程は明後日だ。
明後日には帰りの新幹線を既に予約しているから、
どうしたって参加することは出来ない。
「新幹線くらい、日程変更すればいいじゃない。
めったにない機会なんだから。」
母はそういうが、僕は特に同窓会で
会いたいと思う人はいなかった。4年前の成人式でも、
ちらりと顔を合わせただけで同日の飲み会には参加していない。
それほど、僕にとって小中学校の思い出など語るに及ばないものだ。
「ていうか、仕事があるから無理。そういう計算して
休暇取ってんだから。」
「でもアンタ、いつも1日余分にとって
家でくつろいでるんでしょう?」
「そうじゃないと、次の日の仕事に差し支えるだろ。」
「つまんない人間だねえアンタって。」
そういう計画性のない母には、
この休日の意味を説いても仕方がない。
親しい友人や過去の恋人がいれば…それこそ僕にとっては無縁である。
「…あ、そういえば――――」
そんな折、ふと一人の顔が頭の中に浮かんできた。
たった一人、僕の心の中で生きていた彼女が。
***
「晃(あき)ちゃんってば知ってる?消しゴムに好きな人の名前を書いて、
ケースをしてそれを隠すの。そんで、それを誰にも見られずに
使い切ったらね、その人と両想いになれるんだって!」
美玖ちゃんは、そういって鼻息荒く僕に消しゴムを見せてきた。
「じゃ、それ僕に見せちゃダメなんじゃないの?」
「だってまだ書いてないし!だから、絶対に美玖の消しゴム見ちゃだめだよ?
借りるのもダメ!」
「借りないよ…忘れないし、僕んあるもん。」
美玖ちゃんは僕の家から歩いて10分ほどの
近所に住んでいる女の子だった。
明るくはきはきしていて、縄跳びが大好き。
クラスの中で男子も入れて唯一、「はやぶさとび」が出来た。
僕らの小学校は偶数年にクラス替えがあり、
僕と美玖ちゃんは1~4年生が同じだった。
だから5年生になったとき、美玖ちゃんとは6年間ずっと
一緒のクラスなんだなと、幼い頭で理解したのを覚えてる。
「美玖は、将来はパティシエさんになりたいなぁ。
家でママとクッキー作ったりするんだよ。」
「ああでも、水泳選手もカッコいいよね!
美玖、スイミングスクールで先生に褒められたの!
頑張って練習すれば、美玖もなれるかなぁ…」
美玖ちゃんは天真爛漫、俗にいう「ミーハー」だったんだろう。
小学生の頃に流行っていた謎のおまじないや、
「交換日記」「夢占い」などのブームは、
思い起こせば美玖ちゃん発祥のことが多かった。
美玖ちゃんは何でもできたし、いつでもみんなの中心だった。
「なあ、岬って、最近調子のってね?」
「わかる。いつもいつもうるせーの岬って。」
しかし、高学年になるあたりで、
これまでの「当たり前」は一度崩れる。
精神年齢の成長が比較的早い女児たちは、いつまでも
子供のままである男児たちを煙たく思い始めるし、
逆に男児たちは社に構えたように見える女児たちを敵視し始める。
大人目線で言えば大したことはない。
子どもの喧嘩や言い合い程度だし、それがのちになって
尾を引いているということもないのだけれど。
「ねえ、晃ちゃんはさ、塾行ったりしないの?」
「え?塾?」
放課後、教室の掃除をしながら美玖ちゃんが
僕に話しかけてきたことがあった。
「塾かぁ…わかんないや。いまお母さんはくもんでいいよって
行ってるし、勉強もわからないとこ、そんなに多くないし…」
「そっか、晃ちゃんはすごいね。」
その時の美玖ちゃんは、
少し元気がなさそうだった。
「ママがね、来年から私に塾に行きなさいって。
中学になったら勉強も難しくなるし、今のうちに
ちゃんと「たいさく」した方がいいんだって。美玖、
最近テストでいい点とれないから。」
「そうなんだ…」
今にして思えば、彼女の母は教育ママだった。
小学生の美玖ちゃんに、水泳や料理、色んな事を教えていた。
彼女はそれを楽しそうにして喜んでいたけれど、
完ぺきを求められるのはちょっと息苦しかったに違いない。
「ね、晃ちゃんこんど勉強教えてよ。わたし、
次のテストはぜったいにいい点取りたいんだぁ。」
「え、僕が?」
「だって、中学に上がるまでは塾に行きたくないんだもん。
みんなとも遊べなくなるし…」
「うーん…い、いいよ。自信ないけど。」
「ホント?!ありがとぉ、晃ちゃん!」
次の日の放課後、美玖ちゃんは一度だけ僕の家に来て
一緒に勉強をした。算数の問題に美玖ちゃんはとても苦戦していたけれど、
最後に自分で公式を解き明かした時には、ビー玉のように目を輝かせて
喜んでいた。
そうしてやってきたテストの日。
美玖ちゃんは勉強の成果を発揮して、算数のテストで満点を取った。
だけど、美玖ちゃんはあの日のように喜ばなかった。
彼女のことを疎ましいと思っていた男子生徒がひとり、
4年生のときに美玖ちゃんが話して聞かせていた消しゴムを奪い取ると、
ケースを破って中を見てしまったからだ。
美玖ちゃんは大きな声をあげて泣いた。
美玖ちゃんが泣いたのをはじめてみたと、その時の僕は
今更なことに気がついた。
その後先生が来て男子生徒は美玖ちゃんに謝っていたが、
それからどうなったのかは僕は良く知らない。
消しゴムには、隣のクラスのつかさ君の名前が書いてあった。
***
その程度の関係。それから1年間は、また一緒に勉強したり、
おまじないのことでお喋りをしたり、習い事のことを
聞かされるようなことはなくなった。
それが、僕と美玖ちゃんの関係だ。
そのまま中学校に上がると、僕たちが同じクラスになることは一度もなかった。
彼女に限らず、思春期に突入した男女は露骨に口数が減る。
仲良く放課後を過ごしていた間柄でも、
妙に発達した自意識と気恥ずかしさで、このころ男女の溝というやつは
とても大きなものとなる。僕のような人間は特にそうだった。
美玖ちゃんと最後に言葉を交わしたのは中学2年生の秋。
進路指導を受け終えた放課後の夕暮れだった。
その日のことは、今でも脳裏に焼き付いている。
あの日、僕は教室に忘れ物をしたことに気づいて、車で来ていた
父を待たせて校内へと引き返していた。
体操着を片手に再び帰路につこうとしたその時、
どうしてか僕は隣のクラスに視線を落としていた。
美玖ちゃんはそこにいた。
どうして彼女がそこにいたのか、僕はしらない。
美玖ちゃんは部活動には入らなかった。
「塾が忙しいから」という理由だったと思う。よく覚えていない。
覚えているのは、美玖ちゃんも廊下に立っている僕に気が付いて、
お互いの視線が合ったことだった。
「久しぶり晃(あきら)くん。」
美玖ちゃんは僕のことを「晃くん」と呼んだ。
幼稚園の頃から一緒だった美玖ちゃんは、
小さいころからの名残で、僕のことを「晃(あき)ちゃん」と呼んでいた。
中学生になって、それも1年以上も言葉を交わさなかった相手の
呼称が変わるのは当然のことだけれど、僕は少し寂しくなった。
「久しぶり、岬さん。」
僕もまた、美玖ちゃんのことを「岬さん」と呼んだ。
気恥ずかしさがあったんだと思う。
美玖ちゃんのことを苗字でさん付けで呼ぶのは、名前を呼ぶよりも
ずっとむずがゆかった。
「進路面談?」
「うん、岬さんは?」
「私は、塾行くまでの勉強。ちょっと今回の難しかったから、
予習しときたかったんだ。ちょうど終わったところ。」
このころ、風の噂で彼女の志望校が
県外の進学校だと聞いていた。天真爛漫だった美玖ちゃんは、
中学校に入った時には年相応に落ち着いていた。
けれども、友達の誕生日にはロッカーに溢れんばかりの
お菓子を詰め込んではしゃいでいたし、課外研修ではとっておきの怪談話を
披露して周りをおどかしていたり、サプライズで先生をからかったり…
変わらず、時折いたずら好きで人をからかうことが得意な、
お茶目で可愛い女の子になっていた。
「晃くん、今でも算数好き?あ、いまは数学か。」
「えっ?」
思ってもみない質問だったのだろう。
僕はその時、どう答えていいのか言葉に詰まった。
「えと、どうだろ…苦手…ではないと思う。点とれるし。」
「そっか。」
美玖ちゃんは、それを問いかけることで何を聞きたかったんだろう?
そんな疑問と一緒に、僕も何か話しかけないといけない、という
謎の焦燥感が胸の中を駆け巡ったのを覚えている。
「岬さん、その、今でも何か、やってるの?おまじない。」
「え?」
「あっ…」
美玖ちゃんとの思い出はたくさんあると思っていたのに、
口をついて出てきたのはいつかの教室の会話だった。
同時に僕は、僕と美玖ちゃんの会話はいつも彼女の話を
一方的に聞いているだけで、僕は何も彼女から尋ねられていなかったし、
僕自身も何も話せていなかったことに気づいた。
しかも最悪なチョイスだ。5年生のときのあの事件を、
僕も美玖ちゃんも忘れているわけがないのに。
「…うん。してるよ。何書いてるかは秘密だけどね。」
美玖ちゃんはそれだけ言った。
そのあとのことはよく覚えていない。
本当なら一緒に変えることも出来たかもしれないけれど、
その日の僕は父と車で来ていたのだ。
それっきり、美玖ちゃんとは卒業まで話すことはなかった。
彼女は噂が回っていた県外の志望校に行ったし、
僕は全く別の、これもまた県外の学校へと進学した。
***
今にして思えば、僕は美玖ちゃんに対して
淡い恋心のようなものを抱いていたのだろうか。
これといった特別な接点があるわけじゃなかったが、
子供の頃の初恋なんてそんなものだろう。
とにもかくにも、そんなことを思い出したといっても
新幹線の時間をずらしてまで同窓会に参加するほど、今の僕の
頭はメルヘンではない。
「ちょっと散歩してくる。」
「駅に日程変更しに行くの?」
「そんなのスマホで出来るよ。ていうかしないし、参加もしない。」
そんなことを口で言っておきながら、
僕の足は無意識のうちにかつての通学路へと向き、
行く当てもなくふらふらと放浪していた。
高校から県外へ出たことで、地元でのネットワークから
僕は完全に外れてしまった。基本的に大半の同級生たちは
地元の公立高校に進学していたので、もし僕が同窓会に参加しても
会話についていくことは出来ないだろう。
そもそも、あのころの僕はあまりにも空気で、
そんな僕が会場に足を運んだらきっと、「どうして来たんだろう」と
訝しげな顔で見られるに違いない。
中学校の時に肥大した自意識が、またぐんぐんと膨らんできたのを感じる。
「きっと、あのはがきを見たせいで余計なことを思い出して、
感傷に耽ってしまったせいだ。」
淡い青春時代のことを思い起こしたせいで、
らしくないことを考えてしまった自分が情けなくなった。
火照った顔に夏のじめじめとした風は不快感を増す。
いったい誰なんだ、僕に同窓会の招待なんて送ってきた奴は。
「あ、晃くん。」
「あれ、美玖ちゃん。」
ふと反対沿いからやってきた女性が僕を指さした。
反射的に口から出てきたのは、悶々と頭で考えこんでいた相手。
というより美玖ちゃん本人だった。
「あっ。」
気づくと同時に、美玖ちゃんのことを
「美玖ちゃん」とそのまま呼んでしまったことに気づく。
美玖ちゃんはくすりと微笑むと、天真爛漫な少女時代とは
打って変わって控えめに、小さくひらひらと手を振った。
「帰ってきてたんだ。」
「あ、うん。帰省で。岬さんも?」
「美玖ちゃんでいいのに。」
「からかわないでよ…」
今度は、僕が知っている美玖ちゃんに近い笑顔だった。
「はがき、見た?明後日同窓会だよ。」
「ああーー…うん。見たよ。何で僕のとこなんかに寄越すんだろうね。」
「だって私が晃くんのこと忘れるわけないじゃん。同窓会の招待は、
当時の生徒会長と副会長がする決まりだから。」
抜け落ちていた記憶のピースがぱしぱしとはまった。
そうだ彼女は生徒会副会長を務めていたのだった。
「えっと、岬さ…美玖ちゃんは、行くの?」
「まあ、幹事だし。彼氏にも一応、報告してるから。」
「あ、そう…」
心臓がきゅっと縮んだ気がした。
落ち込んでいない。美玖ちゃんに彼氏がいるからといって、
断じて落ち込んでなどいない。
「で、晃くんは?参加してくれるの?」
「そうしたいけど…僕もう帰りの新幹線、席とっちゃっててさ。
残念だけど今回は見送りかな…」
「そうなんだ。残念。」
良くも悪くも胸のもやもやが取れた僕は帰路につく。
徒歩10分圏内の美玖ちゃんも、自然と同じ帰路になる。
そのあとした話は他愛もないことだ。小中の思い出、
高校に入ってからのこと。世間話のような会話を、つらつらと並べて歩いた。
生産性のない会話だったが、僕は不思議と心地よかった。
「私ねー、晃くんって私のこと好きなんだと思ってた。」
「ええ?」
「だってほら、中学の時。私に急に、おまじないのこと
聞いて来たでしょ?あれ、絶対小学校の時の消しゴムのやつだよね。」
「ああ…あれはその、ごめん。それしか話が浮かんでこなかったんだよ。
センスのない話だけど。」
「だから、絶対恋のおまじないこと私に聞いて来たんだ!って思ってた。
だって、その時まで私あんなおまじないのこと忘れてたもん。」
「え?でも美玖ちゃん、あの時「まだしてる」って言ってたじゃないか。」
「そりゃあ話合わせるよ。だからあの後、新品の消しゴムに買い替えて、
その下に名前を書いたの。卒業までに使い切れるように、今までよりも
目一杯勉強してね。」
縮こまっていた心臓が、今度は殴られて広がったように感じた。
「絶対仕掛けてくると思ってたのに、何にもないまま卒業だもんね。
あのおまじないがガセだったって、おかげでわかったけど。」
「…そ、そうだね。でもよかったじゃん。今はちゃんと素敵な、彼氏さんがいて…」
「うーん、どうかなぁ…そんな、超ハッピー?ってかんじじゃないよ。束縛激しいし、遠距離だし。もうすぐ付き合って1年経ちそうなんだけど、だんだん会う頻度も減ってるしね。」
美玖ちゃんの言葉の真意は、僕には正しく読み解くことが困難だった。
美玖ちゃんはからかうように笑っている。
こんなことを僕に聞かせて、彼女は何を楽しんでいるのだろうか。
これはきっと、今もからかわれている最中なのだろう。
大人になったと思っていた彼女は、今でも時折いたずら好きで、
人をからかうことが得意なのは変わっていないようだった。
「ねえ晃ちゃん。私、晃ちゃんのおかげで数学が好きになったよ。」
それなら、どうせ同窓会にも参加しないのだ。
最後までとことんからかわれてしまおう。死なばもろとも、
懐かしい幼馴染に花を持たせてやろうと、僕は大きく深呼吸をした。
「美玖ちゃん、消しゴムにはなんて書いてたの?」
消しゴムのおまじない たけもとピアニスト @fawkes12345
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます