2024年6月30日
大きな山を越えたので、明日からまた大きな山を登る。明日から募集開始する溺愛コン、そのために何度も読み返した脚本指南の本をまた取り出してきて、キャラクターを練っていた。
このキャラは何がしたいのか。あのキャラは何を求めているのか。執筆から離れていたから彼らのことをもう一回整理する必要があると感じたためだった。
なお、三十分もせずに挫折した。理由はわかってる。
彼らが何をしたいかを考える以前に、私自身が何をしたいかをわかっていないからだ。作品の内容以前の問題、私の人生で私が何を成し遂げたいのかがわかっていないからだ。要するに「なんで生きてるんだっけ?」みたいな(突き詰めると)なんだか悲壮感漂う疑問が私の頭の中をぐるぐるぐるぐる回っている。晴れていても曇っていても雨が降っていても調子が悪い。薬は悪さをしないが良くもしてくれない。メリハリのついた生活を心がけるがそれは寝溜めの癖を悪化させただけだった。
何で生きてるかって、生まれてきたからに他ならないでしょう、と誰かが教えてくれたんだけれど、生まれてきたからにはなにか「やりたいこと」があるんじゃないの?と私は思う。明日をよりよく生きたいとか、美しい生活をしたいとか、享楽的にその日暮らしでかまわないとか、いろんなスタンスがあるわけでしょう、と思う。
だけど私には何もなかった。なくなってしまった。正直な話をすると、なんで小説を書いてるのか良くわかっていない。小説が書けるから小説を書くだけの話であって、皿を作れるんだったら皿を作り続けるし、パンを焼けるならパンを焼き続けるのだろう、多分。意思があるから書いてるんじゃなくて反射で書いているんだと思う。
いま数行をごそりと削除したけれど、削除するだけの理性があったんだなと思うことにしておく(念のため、過去にもらった毒マシュマロ(匿名メッセージ)のことである。障害者に対して非常に差別的な表現を使っていた)。じぶんが、ただ頭の中につれづれと浮かぶことをそのまま文章にしてお出ししてしまうだけの機械ではないことにちょっと安堵した。安心してる。今。
ところで先に出した脚本指南の本には「魅力的なキャラクターの作り方」という四原則があって、その一つが「ドラマ上の欲求」である。この脚本上で登場人物は一体何をなしたいのか? それが作者の貴方にわかっていなければ登場人物もわからないよ、という話だ。私はこの「欲求」を見失っている。どうなりたいんだろう。売れたいのか、次の本を出したいのか、褒められたいのか、何かで結果を出したいのか。全部なのか。ただ一つ確かなのは、私は焦っている、ということだ。
私は、焦っている。
話はガラッと変わるけれど、「プラムツリー」さんでお世話になっていた同人誌の販売会が終了したらしい。会期終了後の通販があるので、ぜひいちど通販ページにお越しいただきたい。試し読みはできないけれど、手に取っていただけたら、「ここでしか読めない(ほかに転載する予定のない)紫陽凛ファンタジー作品」がある上、二人の仲間の力作も読める。三編のファンタジーを収録した「朝食」テーマの短編集だ。よろしくお願いします。
宣伝、おわり。
いま、とても「ルックバック」を見たい気分だ。自分が自分に突き動かされるような気持ちを味わいたい。映画館が遠い。ここは文化資本にとぼしすぎる。
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