第六幕 宇宙からの侵略者(その八)

 朝目覚めるとニュートさんは居た。

 開口一番「申し訳ありません」と頭を下げられた。心なしか憔悴しているように見える。

 八方手を尽くしてみたがどうしても元に戻せる目処が立たない。そもそも二度目の変身が認められない。契約は正当に結ばれたもので覆すことは叶わず、現状のまま業務を遂行する以外にない。

 技術面に於いても然り、代替の手段も不確実で成功の確率は極めて低く使い物にならない。同業他社、法制関係双方に連絡を取っても全て同様の反応。過去にも何度かそのような粗忽者の申し入れはあったが、成功したと言う話は聞いたことが無い。

 すべからくそのような反応であったという。つまり、何処をどう足掻こうとも戻れないというコトに変わりは無いらしい。完全な駄目出しという訳だ。でも、妙に気持ちは静かだった。

「力及ばぬ不甲斐なさ。弁明の言葉も見当たりません」

 頭を下げたまま顔を上げることすらしなかった。

 ひょっとして泣いているのだろうか。

「もしかして、一昨日からずっと?」

「無能者とお叱り下さい。ご主人様のサポートを専任とする者としてこの体たらく、面目次第もございません」

 ぱたぱたと小さな粒が伏せた顔から落ちていった。それは彼女の足元で小さな染みとなった。胸を突かれた。オレはこの前、何をほざいていたのだろうと思った。全ては自分の失態だというのに。

 不意に舌の奥の方に苦い味がした。

 女を泣かすやつはカスだと、ずっと昔に父さんに言われた言葉を思い出したのだ。

「ニュートラルグレーでは話にならぬ、より有能な者をとおっしゃるのであれば直ぐにでも新たな者へ交代の手続きを・・・・」

「ちょっと、ちょっと待って。一昨日はオレも言いすぎたよ。元々オレの不注意が全ての原因だったんだからさ、ニュートさんに当たるのは筋違い。謝らなきゃならないのはオレの方だ。ゴメン、悪かったよ。だから顔を上げてよ」

 オレは必死になって頭を下げた。ニュートさんが立っているのがコタツの上なんで土下座みたいな格好だったが、構ってなんか居られなかった。

「怒って、いらっしゃらないのですか」

 上げた顔は苦渋と悔恨と、そして涙とに汚れて非道い有様だった。謝罪と己への口惜しさとにまみれて見るも無惨な貌だった。いつも毅然とし、凜とした立ち姿からは想像だに出来ない取り乱し様だ。

「全然。それよりも・・・・ニュートさんが居ないとオレは只の駄目ヒロインだからね。むしろこれからも宜しく頼みます。頼りになるのはニュートさんだけだから」

「ご、ご主人様・・・・で、では、また、これからも・・・・」

「うん。ずっと、オレのサポートをして欲しい」

 そう言うとティッシュを一枚取って手渡してあげた。

「これは粗相を」

 慌てて受け取るが彼女にとってはシーツサイズのそれだ。しかしそのまま顔を埋め、覆い隠し、慌てて拭い始めるのだ。洟をすするような音が聞えたけれど、それは聞えないふりをした。

 そしてニュートさんは顔を拭った後にそのまま洗面台にまで駆けていって、シンクに飛び乗った。蛇口を開けて頭から水を被っている。シャワー替わりなのかも知れなかった。

 やっぱり、自動人形とかじゃないよね。

 彼女の仕草を見ながらオレは確信に近いモノを感じていた。

 だってどれだけ精巧に出来ているからといって、哀しさに顔をぐしゃぐしゃにして泣く機能なんて要らないし、嗚咽を堪え、声を震わせて謝罪するのが演技なら、端から人形などと言わせない方が効果も高いんじゃなかろうか。

 或いは、ニュートさんを差し向けた相手は全てを踏まえた深謀遠慮の果てに、ユーザーを取り込むそういった搦め手を仕込んでいるのだろうか。

 まぁ、直接会ったことも無い相手のメンタリティなんて判ったもんじゃない。地球人同士でもわかり合えない連中は居るのだから、異星人相手なら尚更だ。

 むしろ逆に地球人同士よりも理解し合えたりしたら、ちょっと面白いかもしれないけれど。

 何にせよ疑いだしたらキリが無い。判ってもないコトをあれこれ邪推しても始まらないんじゃないかな。

 それに、相手を信用するというのは理屈じゃ無いと思うのである。

 鏡の前で髪を揃え、着衣の子細を整えてから駆け戻って来れば、もうそれは何時ものニュートさんだった。目の下が少し赤かったけれども、それ以外は何も変わらない見慣れた佇まい。オレ専属の小さなオペレーターだった。

 パンプスの踵を合わせ、背筋を伸ばし、彼女がペコリとお辞儀をした。

「失礼いたしました。それではこれからも私がサポート役で宜しいのでしょうか」

「勿論。っていうかさっきも言ったけれども、代替わりとか全く考えてないんだからね」

「分かりました。では改めて宜しくお願い申し上げます」

 そう言うとニュートさんは何時もの折り目正しさで、何時もの分度器で測ったかのような正確極まりない角度のお辞儀をした。

「うん。こちらこそ、だよ」

 そして今一度、先日は悪かった許して欲しいと、深々と頭を下げた。妙に慌てたニュートさんが新鮮だった。

 まぁ、元に戻れるか戻れないかはさておいて。

 たぶんきっと間違いなく戻れないんだろうけれど、それでも与えられたモノには対価が必要だ。望んでいようといまいと、その手にしてしまったからには支払う義務がある。返すことができないのなら尚更だ。それが受け取った者のルールだろう。

 これが押し売りの類いと言われれば確かにそうなのかもしれない。だがもう、オレはそんなコトどうでも良くなっていた。

 経緯を含め、確かに諸々釈然とはしないけれど、駄々をこねても事態は改善しないのだから仕方がない。そう割り切ることにする。しばらく悶々とするのは間違い無いだろうけれど。

 それにこんな経験、望んでも容易く出来るもんじゃない。そう考えることにしたのだ。大家さんだって、良くあることだって言っていたじゃないか。

 ホントかどうか知らないけれど。

 要するに、オレの義務はまだまだ始まったばかりの長い道という訳である。

 それに昨晩は寝付けないまま暗い天井を眺めて考えたのだ。即死した人間すら再生出来る程の医療技術を持つ連中が、たった一度の変身だけで二度目は不可能というのも妙な話じゃないのかと。

 もちろん技術的な困難も在るのだろうけれど、むしろ法規的な問題で駄目なんじゃないか、と今は思っている。オレが考えつく程度だからニュートさんが知っていない筈がない。だから逆になんとか出来ないかと奔走したのではなかろうか。

 それを思えばつくづく罪な事を口走ってしまった。現代の地球ですら技術的には可能でも、倫理的、法規的に実行不可能な出来事なんて山ほどあるじゃないか。

 やれやれ、だ。オレは本当にヤレヤレである。

「何かおっしゃいましたか」

「いや何も」

 腹の虫がぐうと鳴った。コイツはその主人がどんな状況だろうと、いつも決まって規則正しく鳴いてくれる。律儀なもんだ。

「まぁ取り敢えずは腹ごしらえ、かな」

 ニュートさん曰く、人間腹が膨れれば争いごとの半分が無くなるという。ならば悩み事も似たようなもんじゃなかろうか。まぁ世の中色々あるだろうけれど、行く道を歩きながら解決すればいい。

 オレは立ち上がると玄関にあるスリッパをつっかけた。とん、と左肩に軽い重みが乗った。彼女の不在は昨日一日だけだったというのに、随分と懐かしい感じがした。何だかほっとする。


 そして、階下の食堂に赴くために部屋のドアを開けた。

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