6-6 ウジウジするだけの一日
「チビスケもさ、アンタらあんだけ進んだ科学力持ってんだから、どっかに別のやり方なり抜け道なりあるかもしれないだろ。
どんな状況でも復活出来るってありゃあハッタリなのか。
いぢわる言わないでさ、ちょっとは上司に掛け合うとか誠意見せてもいいんじゃね?」
木島さんの仲裁の後、ニュートさんは唇を噛んで俯いたままだった。
誰も何も云わない。
部屋の中には居心地の悪い静けさがあった。
ドア向こうからは、斜向かいに居るエレキギター弾き(先輩)の音色が微かに聞えてきている。
不意に顔を上げたニュートさんと目が合ったのは一瞬。
しかし直ぐにそれは伏せられてしまった。
「・・・・今一度カチカチ本社に掛け合ってみます。ですが、余り期待は為さらないで下さい」
苦渋に満ちた表情のまま、ニュートさんは申し訳無さそうにペコリと頭を下げると部屋から出て行った。
唐突に静かになって、残されたオレは当たり所すら失い、呆けたようにすとんと座り込むだけだ。
腰を下ろして初めて、自分でも知らぬ内に立ち上がっていたことに気が付いた。
瞬間的に沸いた頭の中身がゆっくりと冷めてゆく感じがあった。
だが憤りが消えて無くなった訳じゃない。
ぼんやりとニュートさんが出て行った後のドアを眺めていると、徐々に訳の分らない何かが湧き上がってきた。
すべてが面白くなくって唇を噛んだ。
いったい何やってんだろ。
ふと見ると木島さんのカップは空っぽだった。
「珈琲、飲む?」
自分の分と二人前、珈琲を煎れ直して一口飲むとちょっとだけ落ち着いた。
「・・・・ゴメン、木島さん。みっともない所見せちゃって」
「いや、気にしてねぇよ。アタシが同じ立場だったらもっと喚いて暴れていただろうし」
彼女はぎこちなく微笑んで、しばし雑談で時間を潰していた。
だがニュートさんはなかなか戻ってこなかった。
居心地が悪くなったのか「アタシはこの辺で」と言って腰を上げた。
「加勢をするって言ってくれてありがと。木島さんも自分の仕事忙しいだろうに」
「気にすんな、アタシの勝手でやってることだ。必要な時には声を掛けてくれよ。遠慮は無用だからな」
そう言って彼女は去って行きオレはホントに久しぶりの独りになった。
分身クンでも居れば話し相手くらいはなるのかもしれないが、生憎と今日も遅かった。
夕飯を終えた頃に彼は帰ってきて「何事も無かったよ」と報告をした。
いつもの調子だった。
また大学の何処かで誰かの手助けをしていたのだろう。
でなければバイトの日でもなくクラブにも入っていない「オレ」の帰宅ががこんなに遅くなる筈がない。
相応に品行方正で、社交的で、授業も欠かさず出席して、しかも周囲への気配りも抜かりがない。
不躾さなど微塵も感じられないし素直で明るかった。
不満や我が儘、言い掛かりなどを振りかざし、声を荒げて罵るなんてことも勿論無かった。
実によく出来た「田口章介」である。
ホント、ホンモノなんかよりも余程に出来が良い。
何だかとても面白くなくって、何時もよりもずっと早く床に着いた。
しかしまるで眠気がやって来なかった。
暗がりの中で天井を眺めながらボンヤリとしていると、気持ちは更に沈んでいった。
部屋の片隅を見る。
ソコには先程帰ってきた分身クンが、何時ものように体育座りで充電中だ。
ピクリとも動かないからホントにただの置物みたいだった。
もう見慣れてしまった光景、だというのに何故か今日に限って落ち着かない。
暗がりの中で凝視して耳を澄ました。
微動だにせず座り込むその背中が無言の圧を放っている。
俯いた横顔は影になっていて表情は分らなかった。
だが、暗がりの中からじっとこちらを伺い、非難の視線を投げかけている気がしてならなかった。
お前はいったい何様なのだ。
当たり散らして叫ぶしか能が無いのか。
それでもオレの本体か。
そんな声ならぬ声が聞えてくるのだ。
我慢が出来なくなって勢いを付けて起き上がり、そのまま腹立ち紛れに蹴っ飛ばした。
彼はそのままごろんと転がった。
だがやはり、ピクリとも動かなかった。
待機中はいつもそうだ。
声を掛けない限り絶対に動くことはない。
オレが何をしようと、口答えはおろか彼が背くなんてコトは絶対に無いのである。
ウサが晴れるどころか気分は更に悪くなった。
するんじゃ無かったと思った。
転がっている彼を見下ろして腹の底から重い吐息を絞り出した。
どろりと淀んだ汚い何か、それが口元から溢れて畳の上にこぼれ落ちてゆく錯覚があった。
ホント、何やってんだろ。
やるせない溜息の後に「ゴメン」と小さな声で謝ると、起こして元のように座り直させた。
恥じ入って再び布団の上にひっくり返った。
先刻の一件が頭の中を駆け抜けてゆく。
自分の怒鳴り声。
ビックリした木島さんの顔。
ひきつって壊れそうなニュートさんの表情が脳裏にこびりついて、忘れられそうにもない。
時間が戻せるのなら、今日帰ってきて部屋のドアを開ける瞬間まで戻したかった。
あの醜い時間を無かったことにしたかった。
後悔だの自己嫌悪だの、色々なものに押しつぶされそうになり、自分が何をしたいのかすらも分らなくなってきた。
そして以前の自分に戻りたいと願いつつ、今まで一所懸命やって来たことが実は無意味だったのだと布団の上で悶絶した。
どうしようも無い気分だったけれど、やはりどうしようも無かった。
頭の中が自責と、何も解決出来ない自分への不甲斐なさとでパンパンに膨れ上がっていた。
煮詰まって息苦しかった。
気分まで悪くなってきた。
吐きそうだった。
布団から抜け出して水道の蛇口を捻り、コップ一杯の水を一気に喉へ流し込んだ。
一杯じゃ物足りず二杯目も注いで飲み干した。
生暖かい水だったがちょっとだけ落ち着いた。
机代わりにしているコタツの天板の上を見た。
積み上げられた雑誌の上が彼女の定位置だった。
でも今はニュートさんの姿は無い。
部屋の風景がヤケに素っ気なかった。
そして男に戻れる術もまた無いのである。
いったいどうしろというのか?
いったいどうなってしまうんだろう。
これから、どうやって
自問しつつ胸元に視線を落とせば、シャツの中から大きな膨らみが有無を言わさぬ自己主張をしていた。
相も変わらぬ光景だった。
もはや見慣れた姿であったが改めて溜息が出た。
ちょっと前まではほんのしばしの辛抱だと思っていたのに、これからずっと付き合っていかねばならないのか。
この身体で生きていかなきゃならないのか。
この一ヶ月あまりの出来事は子細漏らさずタチの悪い夢で、リアル過ぎる夢の中で足掻いているだけなのではないのか。
ホンモノは布団の中で、惰眠を貪っている真っ最中なのではないのか。
ほら、夢ってヤツは見ている最中、非道く現実離れしているのに「コレは現実なんだ」と思い込んでいるもんじゃないか。
コレもホントはそうなんじゃないのか。
もうしばらくすれば現実の田口章介が目を覚まし、「ああ夢だったのか」と在り来たりな台詞を吐いて、布団の上で苦笑いをするんじゃないのか。
そうに違いない。
そうであって欲しいと、強く願っている自分が居た。
そしてそんな訳がないだろうと、非道く醒めた自分も居るのだ。
ああ、もう。
やり場のない気分のまま、ふて腐れて目を瞑る。
きっと眠れまいと思っていたのだが、いつの間にか眠っていたようで、気が付くと朝になっていた。
ボンヤリと布団の上で身体を起こした。
まだ鳴っていない目覚ましを止めて部屋の中を見回した。
でも昨日のままだった。
彼女はまだ帰って来ては居ない。
どうしようもなく煮詰まった気持ちもまた昨日と変わらず、再び、己の不甲斐なさと罪悪感とがキリキリとオレを締め上げていた。
ニュートさんが帰って来たら、いの一番に謝ろう。
そう心に決めるのが精一杯だった。
何もする気が起きなくて、丸一日ボンヤリとして過ごした。
食欲も全然なくって、昼過ぎにインスタントラーメンを作って食べたが、半分以上残して捨てた。
TVを点ける気分でもなければスマホを覗く気分にもなれない。
昨日から充電器に刺さったまんまで、着信やメールを告げる明滅すら無かった。
ただ真っ黒な画面が無関心に沈黙しているだけだ。
じっとドアを見る。
ニュートさんならきっとノックしてから入って来るだろう。
だがいつまで待ってもそんな素振りどころか気配すらない。
思うにままならない現実にまた腹が立った。
気が付けば窓から夕陽が差していた。
結局、部屋の中でウジウジするだけの一日だったなと、妙な怒りが湧いてくる。
気持ちを持て余した挙げ句、飲みに行くことにした。
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