6-2 三日月がぽつんとオレを見下ろしていた
「実務中に生物学的な身体機能の完全停止、死亡に至ることは充分に在り得ます」
「え・・・・」
「この比較的平穏な日本の社会に於いても業務中の事故死、及び殉職される方は皆無ではありません。
外回りの営業中に運悪く交通事故に遭いお亡くなりになる、そんな方もいらっしゃるではないですか」
「いやいや事故死とかそんな極めて確率の低い、たまたま的なものじゃ無くってね。この仕事自体が危険を伴う、その、死亡する確率の極めて高いお仕事なんじゃないかなぁって、そういう意味で訊いたのだけれども」
「極めて確率の低い偶発的な事例でお亡くなりになる方も確かにいらっしゃいます。
ですが我々の人的物的保護機能は万全、ほぼ完璧の域にまで達しております。
九九パーセント以上の生還率を誇り、尚且つ業務中の事故や勝敗の結果による生命機能の消失時には業務特例として再生権を発動いたします。
これは政府より認可を得しており、肉体が全て塵になってもバックアップデータから肉体的にはもちろん、記憶人格寸分の狂いもなく再現再生いたします。
その能力は極めて高く朝剃り残したヒゲや宿酔いすら再現し、消滅後に瞬間復活したかのような感覚すら覚える程です。
安心完璧、万が一、億が一の事態も完全に対応。
そう明記されているではありませんか」
「えっ、この『安全には万全を期しています』ってそーゆー意味だったの?」
「そういう意味です」
「人の生と死は違えることが出来ないと、さっき言わなかったっけ?あの、ナンタラとかいう物騒な名前の部局の許可が要るって」
「人格
あの、些か齟齬が在るようですね。
剥奪局の権限は我々に対してのみで、地球星人には一切何ら関与しません。
それに再生権は他星系開発グループ、ご主人様の言葉で言えば侵略会社チームとでも申せば良いでしょうか。
それのみに与えられる特権で、侵略中の星系知的生命体限定として適用されます。
物騒な言い方をすれば正義の味方である限り、バンバン闘ってドシドシくたばっても片端から再生して差し上げますと、そういう内容の保証なのです」
なんじゃそりゃ。
「しかし私の個人的な感想を言わせてもらえれば、ご主人様には決してコレを適用するような事態にはなって欲しくありません。死ぬのは、苦しいですよ」
「そりゃあ・・・・そうだろうね」
体験したこと無いから判らないけれど予想は容易く出来そうだ。
しかも死ぬ片端から復活って何よ。
ゲームオーバーの後でコンティニューされる主人公キャラじゃあるまいし。
「正義は不滅」などと、幼稚園児が戯れに言いそうな台詞が逆にブラックジョークに聞こえて来そうだ。
「ご主人様、死なないで下さい」
「あ、うん。オレ自身もそうならないように務めるよ」
聞きようによってはまるで戦争映画で誰かを見送るワンシーンのようだ。
実際にはそんな緊迫感など微塵も無いのだけれども。
他にも色々訊きたいことがあったのだけれども、何だか毒気を抜かれてその気が失せてしまっていた。
でもニュートさんの真剣に見つめる眼差しを見て、子細を聞かずとも今まで通り全部お任せしてもいいんじゃないかなと、そんな気分にもなるのだ。
何だかそのまま眠る気にもなれず、オレは独りフラフラと外に飲みに出かけた。
着いてこようとするニュートさんに「近所だから」と断りを入れて、当て所のなく夜道を行く。
さて何処に行こう。行きつけのあの居酒屋でも良いが、以前あのミスター・サイケと初めて出会ったあの店はどうかなと、思ってソコに向った。
特に理由は無い。
ただ、芳田さんと会長殿との一騎打ちがもう目の前に控えている中で、あの御仁はどうしているのだろうかと、ちょっと気になってしまったからだ。
まさか営業時間外にいきなり襲ってくるような事はあるまい。
あの性格ならば絡み手などより真っ向勝負を望むと思った。
それに何よりオレがあの黒メッシュだと看破されている訳でも無かろう。
いや、弟子経由でバレたかな?
まぁその時はその時だ。
それにバイトのようだったから、今晩居るかどうかも分からないではないか。
どうかなと思って店に入ってみれば何のコトは無い、きっちり居てくるくると小まめに動き回っていた。
お一人様ですかカウンターへどうぞと言われて席に座ると、彼が注文を取りに来た。
「ご注文をお伺いいたします」と営業スマイルをすると、口の端に銀歯が光っていた。
「あ、その」
オレの事を気付いていないのだろうか、それとも判っていて知らぬ振りをしているのか。
口籠もっていると「後ほどの方が宜しいでしょうか。お飲み物はどうしましょう」と言われて我に返り、生ビールとヤキトリとナンコツを一人前ずつ頼んだ。
「かしこまりました。ナマ中一つ、ヤキトリ一つ、ナンコツ一つ」と厨房に声を掛け「あいよ」と返事が聞こえる。
彼は手元のタブレットを操作し伝票に注文を書き入れると、そのまま次の客の対応に向っていった。
平日だが客は割と入っていて忙しそうだった。
あの彼が数日前に白く眩い投光器に照らされたグラウンドで、オレや芳田さんと激しい闘いを繰り広げた相手、その筈だ。
しかしこうして目の当たりにしても俄に信じることが出来なかった。
オレは彼に殴りつけられた拳の痛みを知っている。
立て続けに鉄拳を叩き付けられて激痛のさなか死ぬんじゃないか、このまま全てが終わるのではないかと、ボンヤリとした虚ろな恐怖に背筋が震えたことを憶えている。
必死に為って抗ったのだがまるで叶わず、どう足掻こうが叶わぬ相手が居るのだと身を以て知った。
芳田さんが来なければ間違いなくあそこで終わっていたに違いない。
例え復活出来るのだとしても、自分というものが消えて無くなるかもしれないと恐れ
嘘なんかじゃあない。
あの日、事が終わり下宿に戻って誰も入っていない風呂に一人で入り、寝間着替わりのジャージに着替えたところで初めて足が震えた。
布団に潜り込み、寝床の中で言いようのない悪寒に襲われて自分の肩を抱いて震えたことを憶えている。
でも今は全て過去の話であった。
結局オレはナマを一杯だけ飲み、ヤキトリとナンコツを腹に収めるとそのまま店を出た。
あの御仁に何か言いたいことがあったような気がしていたのだが、何となく言いそびれてしまった。
そもそも何と声を掛け、何を言おうと思っていたのか。
自分でも判っていないのだから、話し掛けられた方も困るだろう。
オレにはオレの都合と日常が在るように、彼には彼の役目と生活とがある。
仕事の上で対立することがあっても、それはただそれだけの話ではないのか。
お互い自分の役割としてあの場に立ち、そして全力でやり合った。
それぞれに、やらなければ為らないコトと信じてしのぎを削ったまでのこと。
恨み辛みがあった訳じゃあない。
納得しているつもりだったのに。
急に気恥ずかしくなって俯いて歩いた。
彼が気付かないで居たのが有り難いと思った。
ふと上を仰げば、夜空はいつもと変わらぬ暗さがあった。
細い爪のような三日月が、ぽつんとオレを見下ろしていた。
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