第五幕 正体(その九)

 どういうコトなのかしら。

 芳田芳子は密かに自問自答をしていた。ここしばらくは随分と静かに過ごしてきた。欲望がダダ漏れにならないように必至になって自制して来た。しかしこの学園での生活もそろそろ佳境に入っている。チャンスは残り少ない。

 お互いの距離は随分縮まっているという感触はある。他愛の無い会話も良く弾むし、仕事にしろ学校生活にしろ、屈託無く相談を持ちかけてくれるようになった。物理的にも二人で歩くときの並び位置が最初の頃よりもかなり近い。肩が触れることなんてしょっちゅうだ。

 何故かコチラが間合いを詰めようとするとそれと同程度に離れる癖がある。それがちょっと気にはなっていたが焦るまいと決めているので我慢できた。

 彼女の好みのスイーツや飲み物も徐々に分かって来た。バターやクリームの乳製品とかストロベリーやマーマレードなど果糖系統の甘さよりも、むしろ素朴な水飴や塩餡を使った甘味の方が良い反応だと知った。甘い紅茶よりもブラックの珈琲や緑茶を好む傾向があるらしい。

 その上で、今日は純和風の喫茶を改めて物色しセッティングしたというのに空振りとはどういうことか。本日の放課後は昨日早退してまで作った貴重な時間であった。

 今日は何も予定が無い筈でしたのに。

 彼女はいつも規則正しく、気まぐれなど殆どないから油断していた。用事が在るからと容易くフラれ、こうして独り寂しくお茶をする羽目になるなど全く以て予定外。あの肩の上に居る余計者が何か囁いているのではないかとも勘ぐるのだが、どうもそれは無いらしい。むしろ彼女自身の気持ちに幾ばくかの距離があるようだった。

 薄々感づかれているのでしょうか。

 警戒感があるのなら払拭させなければならない。

 或いは丸ごと全部呑み込んでしまうという手も有る。だがそれは危険が伴い反感を買う危険があった。迂闊に踏み切るわけにはいかない。

 女子高生同士で深く掛け替えのない仲になるという我が野望。この美しくも尊き絆は何物にも替え難く、たとい一日であろうと成就させておきたかった。彼女の研修期間はまだ続き、自分が指導員である時間もまだ余裕はあるのだが、次も高校生を演じるコトが出来るという可能性は極めて低い。

 明日明後日が勝負です。

 こうして芳田芳子は、週末の果たし合いとは全く関係のない闘志を独り静かに燃やすのであった。


 オレが部屋に戻り冷蔵庫を開けてみると、ケーキの箱の中はタマネギが二つ入っていた。

 またか。

 手出し無用との警告を書いておいたのに何と言うことか。誰がやったかもはや一目瞭然。流石にコレは腹に据えかねたので一言文句を云ってやろうと部屋を出ると、青い顔でトイレからギター弾き(先輩)が這々の体で出てきた。頬がこけ、額にはびっしりと脂汗をかいている。

「・・・・腹でも下しました?」

「おのれ謀ったな田口。一服盛るとは」

 なんのこっちゃ、と思った。

「自分の不摂生をオレのせいにしないで下さい」

「とぼけるな、冷蔵庫の中のブツは仕込みだったろう」

「あの、ご主人様。ケーキの箱にある消費期限は二日前のものでしたが」

 極々小さな声が耳元で囁かれてなるほど合点がいった。流石にソツが無い、阿吽の呼吸だ。もう今朝の内に確認済みだったらしい。

「ふははは、先輩の意地汚さがイケナイのですよ!」

 そう云って高笑いしてやる。青い顔のままギター弾き(先輩)は歯ぎしりをした。やり遂げた感があった。呪いテキメン、これからは彼も少し控えることになるだろう。

 だが何故か凄く空しかった。

 生クリームは悪くなり易いからな。

 もしかすると冷蔵庫では無く室内で保管していたのかも知れない。木島さんの性格からすれば充分在り得そうだ。部屋に戻るとタマネギを野菜庫に入れ、箱は潰して捨てた。

「こういうコトだったのですか、ご主人様は端から判っていらっしゃったのですね。見事な計略です。彼女からの心づくし、食べられないからとただ捨てるのでは申し訳ないですからね。お灸を据えるには充分過ぎる効果がありました」

 いやニュートさん、それは買いかぶりすぎ。一歩間違っていたらオレが彼みたいになっていたから。

 しかし危うくはあったもののコレはコレで結果オーライ。これからはもらい物でも充分以上に確認してから食べるとしよう。

 特に木島さんからのブツは要注意。

 田口章介は心の中で固く誓った。

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