第五幕 正体(その四)

 学校から帰ってくると、同じ下宿の後輩がゲーム機を持ってドアの前に立っていた。対戦を望むという申し入れである。

 断る理由は無い。

 部屋の中で待っていれば良かったのに、と言ったら無断で女性の部屋に入るほど無遠慮じゃないという。馴染みの薄い格ゲーだったが何度か繰り返す内にコツが分かり、その後は勝利を繰り返した。

「本当に田口先輩だったんですね」

 感服した面持ちでそんな感想を述べた。

 ああ成る程、塚原のヤツが吹聴したのか。確かに口止めはしてなかったものな。あるいは、いつもの莫迦デカい独り言で周囲の連中がそれと気付いただけなのかも知れない。

 そしてその夜はひっきりなしに対戦を望む先輩同輩後輩共がやって来て、すべからく皆をケチョンケチョンにしてやった。すると悔しさを交えながらも「流石だな、田口」の台詞を残して去って行くのである。

 ゲームを口実に女性と一つの部屋で何某かが出来ると期待したのか、それともホントに田口章介が女なんぞに変化しているか確かめたかったのか。

 上手くすれば以前の格ゲー惨敗の屈辱を雪ぐことが出来るかもと考えたのかもしれない。

いずれにしても、全員がオレの部屋から出て行くときに憑きものが落ちたかのような晴れ晴れとした表情をしていた。喉の奥に刺さった魚の骨が取れた時のような爽やかさである。

 或いは全てが腑に落ちたと言えば適当なのかも知れない。

「オレのアイデンティティって格ゲーなのかな」

 最後の一人が部屋から居なくなると、コントローラーを片手にボンヤリとそんな独り言をつぶやいた。何やら色々と解せぬ気持ちで一杯だった。こんなジョイスティックで操る古典ゲームとそれに傾倒するゲーマー、今では絶滅危惧種レッドデータアニマルでしかないというのに。

「何事でも得手があるというのは良いことだと思います」

 ニュートさんはいつもの定位置、コタツの天板の上に積み重ねた雑誌の上に座ってそんな感想を述べていた。

「ありがと。でもゲームの腕で本人か否かを判断されるっていうのもどうかと思うよ」

「手段や方法よりも認知されたという事実の方が重要でしょう。円滑なコミュニケーションというのはとても大切なコトです。それよりもご主人様はお強いのですね。全員コテンパンでした」

「小学生の頃からやっていたからなぁ」

 この下宿に入って来た当初、ゲーム好きな下宿生主催の「芽キャベツ亭・格ゲートーナメント」なるものが開催されてオレが優勝した経緯がある。

 優勝景品が一週間分の朝飯券だったので全員が飛び付いていた。スポンサーは勿論大家さんだ。その時の屈辱を忘れられないのか、ちょっと前までは下宿内の色んな連中がオレの部屋に訪れたものである。そして大抵は返り討ちにあって、捨て台詞と賭けた食い物や飲み物(主にアルコール)を残してゆくのだ。オレの喉を潤しエンゲル係数を下げる手助けもしてくれてタイヘン有り難かった。

 そういやオレの部屋に塚原以外のヤツが来たのってどれくらい振りだろう。

 少なくとも女になってからドアより中に入ってきた者は居ない。不在時の略奪者や出歯亀どもなら来たけれど、遊戯目的で訪れたヤツは本当に久しぶりだ。

 ま、たまにはこういう賑やかさも悪くはない。

 ゲーム機とTVの電源を切ると布団を敷いて、部屋の明かりも消した。明日もまたJKとしての日常が待っているのだ。高校生達の馬力について行くにはただひたすら体力あるのみである。疲れは残さない方がいい。

 でも今夜はゆっくり眠れそうであった。


 下宿の自分の部屋から女子高校生が出てくるというのも世間体がよろしく無かろう。そう思って今までは駅のトイレか公園の公衆便所で着替えていた。だが、この度メデタク下宿公認の「オレ」になったので、今朝からは堂々と制服で出た。

 ドアを閉めたところで斜向かいの部屋に居着くギター弾き(先輩)と鉢合わせして、「おお」と嬉しそうな驚嘆の声を頂いた。

「毎朝何処に出かけているのかと思ったが女子高だったのか。この変態め」

「共学校ですよ。それから今オレは生物学的に女なんですから変態云々は筋違いです。念の為に言っておきますけれど、高校に入り直した訳でもないですからね」

「じゃあ何なんだよ」

「仕事です」

「は?」

「それよりも米の代金まだですか。タマネギ一個じゃ割りが合わないですよ」

「じゃあ特別に俺様のギターを聞かせてやろう。将来百万ドル稼ぐかもしれないロックスターの貴重な下積み時代の一曲だ」

「聞いてもいいですけれど音程一つ外す度にペナルティ加えますよ。一回につき百円でどうです」

「ふざけるな」

「ソコでその台詞が出るところでもはやダメダメですね。返済はお早く願います。渋ってると利子が付きますよ」

 再びふざけるなという台詞を背に吹きさらしの階段を下りていると、下の階の後輩が「先輩にお客さんが来てますよ」と言う。「田口章介」相手ならまだ部屋にいる分身クンを呼ぼうと思ったのだが違うらしい。

「え、今のオレに?」

 後輩がこくりと頷く。大家さんに言付かったらしく管理人室に訪ねて来ているという。

一体誰だろうと首を傾げ、くるりと建屋を回り込んで赴くと、管理人室の入り口には髪を短く刈り込んだ背の高い女性が立っていた。

 横に黄色いストライプの入った黒いジャージを着ている。足首まであるネックの高い厚底のスニーカーを履いている辺り、スポーツ選手か何かを思わせた。

「あの、どちら様でしょうか」

 今のオレで知り合いは少ない。田口章介でもこの女性とは初対面のハズで、一体何処で既知となったのかちょっと見当が付かなかった。

 彼女は何故かオレの制服姿を見て随分驚いていた。

「お前、高校生だったのか。しかもそれは北高の制服」

「え、いや、あの、この格好はちょっと訳ありで本来のものではありません。それよりも何処かでお会いしましたか」

「何言ってんだ、アタシだよ・・・・と言っても判る訳も無いか。二日前の夜、どこぞの学校でアンタと一緒にドンパチやってた者だ。その時は赤い髪に黒いゴーグルを着けていた」

「えっ、ひょっとしてキャプテン・グラージ」

「ば、莫迦っ。素の時にソッチ側の名前で呼ぶんじゃねぇ」

 慌ててオレの口元を塞いだ後、「スマン」といってまた慌てたように手を放した。

「そのあなたがこんな朝早く、何の御用なんです。生憎これから学校に行くのであまり時間が取れません」

「いや、手間はとらせない。それよりもタメ口でいいよ。アタシどうやらアンタよりも年下らしいし」

「えっ!」

「商業大学付属高校の三年生、木島たか子ってんだ。女子空手部の主将やってる。アンタちんまいから中学生か、良くて高校一年程度と思い込んでた。スマン、あ、いや、すみません」

 ちんまいって・・・・確かに女になったときに二回りほど身体は小さくなったけどそこまでか?これでもギリで一五五センチあるんだけれど。

「あなたに比べたら大抵の殿方は小さいでしょうね」

「チビスケ、ソコに居るのか。気に障ったのなら謝るよ」

「それよりもどうして此処が?社内でも個人情報は厳重に秘匿されていたというのに」

「それはアタシの相棒が、ちょちょっと潜ってくれて」

21ヴァンティアンまたあなたね。出てきなさい、ソコに居るのでしょう。社内外を問わずハッキングは厳禁。以前やらかしてまだ懲りてないの」

「あなたはどうなのニュートラルグレー。マスターのお願いを断ることが出来て?」

 涼やかな声と共に、木島さんの左肩の上にニュートさんと変わらぬ背丈の女性が現れた。

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