5-2 至極当たり前な一般常識
「しかしオマエと飲みに出るのも久しぶりだな」
オレは分身クンと一緒に塚原を誘って飲みに出かけた。
塚原の声のデカさはいつも通りだが、今日は妙に浮かれている気がする。
何か良いコトでもあったのか、それとも女連れであるせいなのか。
傍目からは男二人に女一人という三人組みにしか見えないだろう。
だがその実、暑苦しい筋肉と、女の振りをした男と、人間に見える人間じゃ無いモノとが連れ立っているという、かなり理解に苦しむ一団なのである。
実はニュートさんも何時ものようにオレの肩に乗っているのだが、透明になっているので他の人間には居ないも同然。
ヤツに教えるのはもうちょっと後のコトだ。
「しかし何も個室のある飲み屋でなくても良かったんじゃないのか。いつもの居酒屋のカウンターで良かっただろうに。財布に優しくないだろ、この店」
「臨時収入あったから心配すんな、奢ってやるよ。たまにはいいだろ。この方が邪魔も入らないしさ」
分身クンは上手い具合に調子を合わせてくれている。
こうして端で見ていると本当にオレが隣に居て喋っているみたいだった。
成る程、自分の居場所を乗っ取られるのではと心配するユーザーも居るらしいが、そういう話も納得がいく。
「邪魔も入らないって何だよ。他の連中に聞かせたくない話があるみたいじゃないか」
「みたいじゃなくて、そうなんだけれどもな」
お通しが出て生ビールのジョッキが三つ運ばれてきて、最初の料理が出てきた所でオレは切り出した。
「前にもオマエには話をしたよな。この姿のオレが田口章介本人だって」
ビールジョッキの中身は一口で半分まで減っていた。
このわからんちんを勢いでねじ伏せるには、普段のオレでは不可能だからだ。
「あ、あの、どうしたんですか彼女さん。あの時からの続きですか」
ジョッキをもう一度あおって空にして、分身クンの分を奪ってそれも干した。
彼は飲もうが飲むまいが酔いもしなければ腹も減らない。
飲み食いした分は腹のタンクに収められ後で廃却されるだけなのだ。
だからコレはビール本来の役割を果たす貢献をしているのである。
もったいないからと、酒呑みの浅ましさから足りないアルコールをかっさらっている訳ではないのだ。
決して。
「オマエには今一度言って置きたいことがある」
オレは大上段にジョッキを振りかぶり、そしてダン、とテーブルに叩き付けた。
「なんでもかんでも常識で計ろうとするんじゃねぇ。
世の中には非常識が両手を振って徘徊することだってあるんだ。
人の話は最初から最後までキチンと聞け。
途中で理解不能だと投げて自分の見知った世界に逃げ込むな。
目の前のコトを現実と受け止めろ!」
一息で一気にまくし立てるとオレは大きく息を吸って吐き出した。
胃の奥底が熱く焼けている感触があった。
流石に空きっ腹へ生ビールのジョッキ二杯分は効く。
「前置きは此処まで、先ずはコレを見ろ。ニュートさんっ」
肩の上の彼女に声を掛けると頷く気配があって、目の前のテーブルの上にこつんと小さな音がした。
そして足元からまるでカーテンを引き上げるかのように、小柄なスーツ姿の女性が姿を現すのである。
「お初にお目に掛かります。田口章介様の専属サポートを務めております、カチカチ社のニュートラルグレーと申します。お見知りおきを」
「お、お、喋ってる。スゴいな。生きているみたいだ、この人形」
「確かに私は人形ですがコチラもそうですよ」
そう言って軽く手首を振ると、分身クンの表面がツルリを剥がれてのっぺらぼうの木偶人形になった。
ヤツは目を丸くして驚いていた。
「おいおいどんな手品だよ。何処で憶えたんだこんなイリュージョン」
「こんなんでイリュージョンとか言うな、本当にオレと同年代かよ。
それよりもコッチを向け、顔見て喋れ。
オイこらテーブルの下とか見ても誰も居ないぞ、隣の部屋との仕切りを開けるな、他の客に迷惑だ。
うろちょろするな、いいから大人しく席に座っていろ!」
ヤツの服を引っ張り無理矢理押さえつけて席に座らせ、顔を両手で挟み込むとオレと真っ向切って目を見合わせた。
「前にも言ったがもう一度言う。オレが田口章介だ。
訳あってこんな女の格好になっているが正真正銘のオレだ。
このデッサン人形みたいなのは、このオレのサポート役であるニュートさんが用意したオレの身代わり。
今までオマエはコレをオレだと思い込んでいただけなんだよ。
いい加減その油粘土みたいに凝り固まった脳ミソを少しはもんで解きほぐせ。
目の前の事実を素直に認めろ。
本人がそうだと言っているんだ、これ以上確かなコトは無いだろう。
それともまだ、荒唐無稽なヨタ飛ばす不思議ちゃんな女の戯れ言だと思うのか。
この目を見ろ。
コレが嘘八百並べている者の目だと思うのか」
大家さんの二番煎じだが間違いの無いやり方だと思っていた。
真摯な物言いと偽らざる本心で話せば判ってくれると信じていた。
いや、信じたかったと言うべきだろうか。
「あ、あの、彼女さん。おっしゃりたいことは子細判りました。それで章介は何処に?」
次の瞬間、オレのアッパーカットがものの見事にヤツの顎へ炸裂していた。
オレはとぼとぼと夜道を歩いていた。
後ろからは完全に伸びてしまった塚原を背負った分身クンが付いて来ている。
「悪いね、背負ってもらって」
「どってことない。気にしなくて良いよ」
ホントにオレが言いそうな口調で笑うものだから、かえって申し訳なかった。
「しかし見事な一撃でした。角度、拳の突き上げ、申し分ありません。あのテーブルから身を乗り出した不自然な体勢でよくぞ、と思います」
「いやソコ、褒めるところじゃないから」
オレはつくづく説得の仕方を知らない。
不器用なのは知っていたが、物言いの稚拙さに自分でも呆れる。
もっと他の言い方があっただろう。
口八丁だけで相手を丸め込む詐欺師は凄いと思う。
よくもまぁ有りもしないコトをベラベラと並べ立てて、見知らぬ他人を信じ込ませられるものだ。
見習いたいとは思わないけれど。
弁士というものが職業として成り立つ訳である。
やはり事実だけを何度繰り返しても、真実味が無ければ誰も信用はしないのだ。
「思い込みを変えるというのは難しいものです。急かずに真摯な言葉を重ね続ければ、何時か必ず判ってもらえると思いますよ」
「コイツは特に
「それも魅力の一つなのでは。気の置けない御友人なのでしょう?」
魅力か?
多少のことでは動じない肝の据わり具合は、流石と思う時があるけれど。
しかし折角予約した個室だったのに、早々に引き払って無駄な散財をしてしまった。
呑んだビールの酔いも覚めてしまったし、このまま毛布被って寝るというのも何かシャクだった。
だからコンビニで缶ビールとつまみを買って、部屋飲みを決め込むことにしたのである。
一階にあるヤツの部屋へこのデカい筋肉の塊を放り込もうとしたら、あろうことか部屋に鍵がかかっていた。
どういう事か。
この芽キャベツ亭の住人にあるまじき行為。
これではコイツが留守している時に、誰もヤツの部屋に入れないではないか。
「ご主人様。留守の時に部屋へ施錠するのは、至極当たり前な一般常識です」
ニュートさんのツッコミで我に返り、ヤツが目を覚ますまでオレの部屋に転がしておくことにした。
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