第五幕 正体(その一)

 次の日のオレはヘロヘロだった。

 しかし、へばっているからと言って立て続けに二日もお仕事をすっぽかす訳にはいくまい。コンビニバイトのシフトですら休むことは無かったというのに。

 学校に行くと言ったらニュートさんが目を吊り上げて「駄目です」と言い、またしても休む羽目に為った。怪我は例の注射で治ったものの体力まで回復してくれる訳ではなくって、充分な食事と休養は絶対に必要と言われている。

「まぁ滋養強壮を始め、様々な種類のお注射を用意しておりますから、複数同時投入することで、今この瞬間お身体を絶好調の状態にすることも出来ます。お試しになりますか」

「ちなみに何本くらい必要なの、それ」

「七本から八本といったところでしょうか」

「遠慮しとくよ」

「それがよろしいかと。自然回復がもっともお身体に負担が掛かりませんから」

 ニュートさんの柔らかい笑みを横目に見ながら、オレは呻きつつ身体を起こした。昨夜は胃袋がでんぐり返っていて水かお茶くらいしか入らなかったが、流石に今朝は腹の虫が鳴いて収まらなかった。やはり腹が減っては戦はできぬし、力も出ない。

 朝食を食べに階下の食堂に入ると、やはりというか当然というか其処に居る有象無象の学生全員の視線を一身に受けることになった。誰しも見て見ぬ振りをしているけれど、箸を運ぶ合間にもチラチラ盗み見る視線が後を絶たない。食器棚の脇にある点けっぱなしのTVなんて誰も見ていなかった。

 鬱陶しいな、とは思ったがコチラも無視して食事をとった。

 連中を気にして部屋に引っ込んでいてはコチラが損をするだけである。だから開き直ることにした。部屋に籠もっている事に飽きたという事もあるし、女性のままで過ごす期間が何だか思っていたよりもずっと長くなりそうだったからだ。ならば連中とも日常的に付き合える程度には打ち解けていた方がよろしかろう。そう思ったのである。

 過度の期待や勘違いをさせる訳にはいかないけれど、まぁほどほどに。

「やあ、今朝からは彼女さんも此処でお食事ですか」

 食堂どころか下宿の建屋の外、一筋向こうのご近所さんにまで響いていきそうなデカい声でデカいガタイのヤツが入って来た。

 HAHAHAHAHA!とアルファベットで書き記されたような笑い声を上げ、「塚原うるせえ」と先輩にたしなめられていた。「すんません」とまた大声で返すのも見慣れた風景。コイツはホントに声量というものを理解していない。

 オレの隣に座ると、

「章介と喧嘩でもしましたか」

 と思わぬ小声で囁いてきた。

 なんだ、やろうと思えば出来るんじゃないか、見直したぞ。でもこんな、皆が耳をそばだてているような場所で内緒話をしようだなんて無謀に過ぎる。わざわざTVのボリュームを絞るあからさまなヤツだって居るし。

「何故そう思うんです?」

「いやあ、あなたのことを訊いても何だかヤツの反応が素っ気ないというか、鈍いというか心此処に在らずというか、今ひとつぼんやりしてましてね。彼女さんも何だか元気無さそうだし。何か二人して悩み事でもあるんですか。俺に出来ることがあるのなら協力しますよ」

 むう。声はデカいがその辺りの気遣いは流石だな。そして何気に鋭い。分身クンは基本オレだし、オレもオレ自身がオレの彼女を演じているだけだし、男女のイチャラブまで再現できている訳でも無いからな。っていうか出来るわきゃない。素っ気ないのは当然だ。

「お互い疲れない相手だから一緒に居られるんですよ」

 そう無難に返事をしてその場は凌いだ。けれど妙だなと思うヤツは他にも出来てきそうだ。本来女人禁制だった筈なのに、大家さんが直々に同棲を認めているって辺りも衆目を集めているわけだし。さてどうしよう。このまま放って置くと地味に火傷しそうな気がする。

「放って置けばよろしいのではないのですか」

 ニュートさんもまた素っ気なかった。

「ちなみにバレたとして何か実害があるのでしょうか。確かに公になれば学校側へ些か説明が必要になるかも知れませんが、ご主人様ご自身であるということが理解されれば、特に何かやましい事をやっている訳ではありません。

 問題があるとすれば、ナリ替わりシステムで授業を受けているという事くらいですが、使用ログと突き合わせれば本人との連結は容易く証明できます。実務端末の記憶は逐一ご主人様にダウンロードされていますし、遠隔授業を受けているのだ、という論理展開で学校側を納得させることも可能です」

「え、そんなコトされていたの」

「お気づきになっていらっしゃらなかったのですか」

 あ、ああ~、そう言えば最近しょっちゅう講義内容の夢を見ると思っていたけれど、アレは夢なんかじゃなくって、分身クンの記憶が流れ込んでいたってコトなのか?

 どうやって、という疑問は脇に置いておく。聞いてもたぶん理解出来ないだろうし。

「そういう大事なことはもっと早く言ってよ」

「最初のシステム活用時に全てご説明いたしました。お忘れでしょうか」

「あ、それはスミマセン」

 たぶん途中で面倒くさくなって聞き流していたに違いない。「公開の件はいかがいたしましょう」と再度訊かれてちょっと考えた。

「うーん・・・・今のままでいこう。後で学校を納得させられる手段があるのならその時に対処するよ。藪をつついて蛇を出したくない」

 何よりも迂闊に騒いで実家に知れるコトの方が余程に問題だ。

「ではそのように」

 ニュートさんはペコリと頭を下げた。

 しかし放って置けば良いとは言われたものの、このままのらくら誤魔化し続けるというのはあんまり良い気分じゃ無い。

 それにちょっと前にもオレの入浴を覗こうとして大家さんに見つかり、天罰(パンツ一枚で町内一周。「わたしは恥ずべきデバガメです」プラカード付き&一ヶ月の下宿内外清掃作業。拒否するなら学校当局と実家に報告)喰らった愚か者も居る。似たような事例が再発しないとも限らない。エスカレートして大事にでもなれば、大家さんにも迷惑がかかるだろう。それはだけは避けたかった。

 中身がおれだと知れば、ちょっかい出そうという気もなくなるかも知れない。少なくともこの下宿内だけは平穏が訪れるのではなかろうか?

・・・・無理だろうか。

 少し考えた後にもう一度、あのデカブツに打ち明けてみようと決めた。信頼できて事情を理解している人間は多い方がイイ。それに何よりヤツはオレの友人つれなのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る