4-7 今宵のことは忘れません

 轟音と共に赤い髪の人影が地面にめり込んだ。


 まき散らされた土砂がばらばらと雨のように降り注ぐ。

 だがすぐに止んだ。

 土煙もまた盛大に上がったのだがやがてそれも晴れてゆく。

 人影はピクリとも動かない。


 しばらくして低い呻き声が聞こえ、やがて蠢き出すのが見えた。


「アンタのへなちょこパンチなんて毛ほども効いちゃいないよ」


 叩き付けられて新たに出来上ったクレーターから立ち上がり、虚勢を張る。

 だがそのまま膝が折れ片膝を着いた。


「その有様でまだ減らず口を叩けるのは大したものです」


「これぐらいのハンデが在った方がアンタにゃ適当だろうと思ってね」


 ズタボロのキャプテン・グラージは肩で息をしていた。

 もう全身くまなく打撃を喰らい続け回復もままならなかった。

 スーツの機能はもう半分以上喪失している。

 次の一撃を防げないのは明らかだった。


 来る、今度はトドメだ。

 だがせめて一矢。


 温存していた左拳に残っていた電力の全てを注入する。

 ヤツの決め技にカウンター。


 コレを放てばもう本当に立ち上がることも出来なくなるだろう。

 生命維持にすら支障が出るのは必至。

 ゴーグルには「非提唱」と「警告」の二文字が間断なく明滅していた。


 自分達のドンパチで、この校庭バトルフィールドは猛烈な磁場と放射線の嵐が吹き荒れている。

 到底生身の人間が入り込める環境ではない。

 今此処でスーツの機能が失せれば間違いなくもう二度と目覚めなくなる。

 が、構うものか。


「来な、悪趣味女」


 歯をむき出して言い放つと笑う膝に鞭打って立ち上がった。


「その意気や良し。これで終わりにして差し上げましょう!」


 G・G二号が右の拳を腰だめにし打ち込みのポーズをとる。

 次の瞬間「イカズチ・スマッシュ」のかけ声と共に彼女の姿が消えた。


 いや、違う。


 知覚できぬほどの速度で踏み込み、肌をすり寄せるほどの距離まで間合いを詰め、音速の何倍もの速度を伴った必殺の右拳が放たれる。


 絶対に外れることの無い超至近距離からの一撃。

 拳を放った本人に自分の右拳が作り出した衝撃波が叩き付けられた。

 同心円状に拡がる猛烈な圧縮波動が大気を歪め、校庭周囲にあるスタジアム投光器の白光を屈折させて、一瞬だけの光の輪を放散せしめた。


 拳が目標に到達する。


 重く確実な実感を伴った手応え。

 全身への衝撃。

 振り切った瞬間に訪れる抵抗の消失。


 会心のトドメだと確信した。


 速度、位置、タイミング全て申し分ない。

 完全に相手を撃破せしめたと信じたのだ。

 目標が一人では無く二人の人物であると知るまでは。


 見れば、十数メートル離れた場所で二つの人影が仲良く折り重なって地面に横たわっていた。


「なっ」


 G・G二号は思わず絶句していた。




「な、何でオマエが此処に居る!」


 キャプテン・グラージが素っ頓狂な声を上げていた。

 倒れた彼女の上にオレはフライングボディプレスをする格好で覆い被さっている。

 何とか間に合ったようだった。


 彼女の一撃がヒットする寸前、ホントにもうその一瞬前。

 その打撃点に身体を滑り込ませ、というか何とか飛び込むことに成功したのである。

 お陰で彼女の盾となることが出来た。

 しかしその代償も大きくて、なんたら二号の決め技をモロに受けて悶絶する羽目になったのだ。


 ハッキリ言って滅茶苦茶痛ぇ!


 よりにもよって脇腹に直撃である。

 覚悟していた打撃とはいえ、息することも出来ず悶絶し痙攣する有様であった。

 口の端からは涎どころか胃液まで溢れてきているし。


 ニュートさんが教えてくれた機能は音速ダッシュ。


 文字通り音の速度を超えて駆け抜ける能力である。

 加速装置と言えば最もくだけた言い方だろうか。

 スーツのマックスパワーだと音速の一〇倍まで可能だが、現在この場所では過剰に過ぎて、一から二倍程度が適当と言われた。

 だがそれでも様々な物理的、生物学的制約があり、このスーツでは二秒の発揮が限界。

 それ以上だと着用者の肉体が損壊するのだという。


「よいですか。二秒、二秒だけですよ」


 ニュートさんは何度も念を押した。

 もちろんリミッターは付いている。

 だが着用者は使用権限を有すると同時に解除キーも手にするからだ。

 使用するからにはその責任も自分で背負えという話であった。


 ダッシュが開始されれば身体だけではなくて知覚や思考、反射神経も同等レベルにまで引き上げられる。

 要するに実行中は自分以外世界の全てが、スローモーションで動いているように見えるという訳だ。


 難しいことを言えば、空気抵抗やら地面の摩擦係数やら空力加熱やら様々な問題があるらしいけれど、全てを日常と同じ感覚で動き回れるようにスーツの全機能を駆使してフォローするらしい。


 指定速度がマッハ一でも時速二〇㎞で走る感覚に換算されるので約六〇倍以上。

 マッハ二ならば更にその倍。

 それぐらいのレベルで体感時間が引き延ばされるらしい。

 最低でも一秒が六〇秒以上に感じられるという訳で、それならオレでも充分対処可能な時間だ。


「音速ダッシュの最中は、高速機動から起きる様々な弊害からスーツ着用者を守る為に、保護機能が全力運転を開始します。

 反面、それ以外の外的要因からご主人様を守る術が極めて希薄になってしまうのです。

 平たく言えばダッシュ中は無防備になるとご理解ください」


 成る程ね、道理でニュートさんが教えたくなかった訳だ。


「他には?」


「言い出せばキリがありません。それに何をどう申し上げようとも、お気持ちは変わらないのでしょう?」


「・・・・ごめん」


「最初にお伝えいたしましたが今一度。目的を達しましたらダッシュモードから完全防御へと切り替えて下さい。くれぐれもお忘れ無く」


「分かった。確実に済ませてくるよ」


 そしてオレは軽く深呼吸をした。




 完全防御はありとあらゆる攻撃衝撃から、スーツ着用者を出力全開で完璧に保護するらしい。


 だがそれはあくまでスーツの能力の限界値までであって、この世にある全ての暴力から着用者を守るという意味では無い。

 物理現象を全てキャンセル出来るのは物理を超えうるモノだけだからだ。


 簡単に言えば、限界を超えればスーツはアッサリと音を上げるという事なのである。


「身を挺して盾となり仲間を守るか。敵ながら天晴れ」


 サイケな彼女は感極まった風で拳を握って吠えていた。

 褒めてくれるのは嬉しいけれど正直オレはそれどころじゃない。

 痛みで悶絶するのに精一杯だった。


 そしてその一方、守ったハズの彼女に「阿呆、間抜け」と罵られているのである。


「なに割り込んで来てんだこの莫迦。てめーが当たってどうする。邪魔してんじゃねぇ!」


 そう言って乗っかっている身体を蹴飛ばされた。


 ええいクソ、こちとら身代わりになって直撃喰らったってのに何なんだよこの扱い。

 助けるんじゃなかった。


「てめーソコのアホ赤毛。間一髪のところ助けられて頭に乗ってんじゃねえっ。ご主人様の温情になに文句垂れてんだ。目玉ほじくり返すぞ、このスベタ!」


 激昂したニュートさんの下品な罵声も聞こえて来るし、ああもう何なんだ、このプチカオスなこの状況。

 なんたら二号さんも思わぬ内輪もめに唖然として立ち竦んでいるし。


 悶絶しながら途方に暮れていると、またしても目の前に何某かが地面に叩き付けられた。


 闇夜の中に土煙が舞い上がる。

 土にめり込んだそれは人の形をしていた。

 三原色がふんだんに散りばめられたサイケデリックな衣装を身に纏い、真っ赤なブルマーにピンクのハートマークをあしらった真っ白なヘルメット。

 それと対になるタイツを着けた悪趣味な衣装の人物であった。


 もうアチコチがボロボロで、まるで先刻のキャプテン・グラージをそっくりなぞったかのような有り体である。


「思いのほか手こずらせてくれました」


 校庭を照らす眩く真っ白な光の中から一人の女性が歩み寄ってきた。

 逆光で顔や姿が影絵のような有様であったが誰なのかは明らかだ。

 反射的に芳田さんと呼びそうになったが、咄嗟に「ステキ・レディ」と言い換える事が出来た。

 オレにしては上出来である。


「師匠!」


 地面に半ば埋まった人物をその弟子が呼ぶ。


「最早あなただけです」


 シルエットの中から芳田さんが姿を現し、毅然とした顔つきで彼女に向けて言い放つのである。

 正にヒロインの貫禄であった。


「お、オマエは」


 何故か二号と自称する彼女が声を詰まらせていた。


 目元はゴーグルに隠れて見えない、だが愕然とした表情であった。

 見知った人物だったのだろうか。まぁどうでも良いけれど。


「無益な殺生は好みません。

 もはやスーツのエネルギーも底を着いているはず。

 三対一では勝ち目も無いでしょう。

 あなたが師匠と呼ぶこの人物も、早く手当をした方がよろしいのではないのですか。

 敗北を認め早々に退散なさい。さすれば追いません。

 今宵の闘いは此処までとするのです。

 されど、不服と云いまだ挑むつもりであるのなら、コチラにも相応の覚悟があります。

 さあ、如何に」


 言葉に詰まった彼女が顔を引きつらせている。


 視線が芳田さんと地面で伸びている人物とを交互に見比べ、逡巡し彷徨っていた。


 沈黙はほんの少しの間であったが、やがて「参りました」と彼女は頭を垂れた。

 押し殺した声に混じって歯ぎしりが聞こえて来たが、それは気のせいでは無かった筈だ。


「ステキ・レディ、今宵のことは忘れません」


「再会を楽しみにしておりますよ」


 柔らかく笑む芳田さんに背を向け、なんたら二号さんは師匠を抱きかかえて夜闇の中に消えていった。


 それがその夜の全てであった。

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