第四幕 たぶんソレはちょっとだけ予想外の結末(その一)

 オレはいったいナニをやりたいんだろね。

 まったく自分の阿呆さ加減に呆れる。分身クンに用事があって赴いたにも拘わらず、それをキレイサッパリ忘れ果てて部屋に戻るなんて、どうかしてるにも程がある。

 しかも、部屋に確保してあると信じていた主食は何故だかタマネギに化けていた。汚い文字で「米はいただいた」とご丁寧なメモまで添えられている。この字には見覚えがあった。斜向かいの部屋に住む、エレキギター弾きの先輩のものだ。ふざけんな、と思った。よりにもよってこのタイミングでやらかすかと憤慨した。お陰で今晩の食べる物が無いではないか。

 あ、いや、インスタントの味噌汁とビールくらいはあるけれど、そんなものじゃ腹は膨れない。ほろ酔いが精々だ。我が身はまだ、アルコールを主食として生きていけるほどに解脱げだつ出来ていないのだ。

 こんなことなら大家さんに夕食を注文しておけば良かった。

 再び大きな溜息を一つ。

 仕方が無い、もう一度学校に行くか。

 諦めて靴を履き直すとまた下宿を出た。だが結果から言えばオレの二度手間は無駄足だった。先刻の教室に行ったらすでに分身クンの姿はなくて、一人の女学生が後片付けをしている最中だった。仕事が終わったので労いがてら彼を誘って飲みに行ったのだという。

「一足違いでしたね」

 飲みに行った先は分かるので、と行き先を教えてくれたが、場違いのオレがのこのこ顔を出し、呑んでる最中の彼にバイト代を取りに行けなどと言える筈もない。

 取敢えず彼女には礼を言ってその場を立ち去った。さて、今晩の夕飯はどうしたもんだろう。

 途方に暮れてふらふらと下宿に戻ってくると、大家さんと鉢合わせした。

「あらどうしたの、ションボリしちゃって」

「あ、いや、ちょっと夕飯食いそびれちゃって」

「まぁ、どういうことなのかしら」

 訳を話したら「それはたいへん」と言われ、そのまま大家さんの好意で夕ご飯をご馳走になることになってしまった。

「悪いですよ。夕食の予約を入れた訳でも無いのに。一食くらい抜いてもどってことないですから」

「何を言っているの。手違いというのは誰しもあるのだから、遠慮なんてしちゃ駄目。それに若い子がお腹を空かせているなんて良くないわ、もっての外よ」

 食堂で下宿の連中が食事をしている最中に割り込む度胸はなく、大家さんが気を利かせてくれて管理人室で食事である。一人分くらいなら大丈夫と言われたが、誰かが割りを食っているのではなかろうか。

「そんな心配は無用よ。わたしの分を割増しで作っただけから」

 全く以て頭の下がる話である。

「女の子の生活には慣れた?お仕事の方は順調?学校のお勉強の方は大丈夫?」

 食事をしながら色々なコトを訊ねられ、色々と誤魔化しながら話をした。全部真正直に話したら無用な心配をかけてしまいそうだ。ヤバそうな部分はソレっぽくオブラートに包むことにして、極めて穏当な会話に留め置いた。

「でも、元に戻りたいから仕事を頑張るというのは分かるけれど、その、分身クンだったっけ?その子にお勉強や学校のことを丸投げというのはどうなのかしら。むしろ休学届でも出して、キチンと身辺整えてから事に挑むというのが筋だと思うわ。ご両親に話しにくいというのならわたしからお話をしても良いのよ」

「おっしゃっている事は分かります。それが正論だということも。でも、その、何というか大事にしたくないというか何というか」

「まぁ確かに言い辛くはあるわよねぇ。簡単には信用してもらえないだろうし。塚原くんにすら、まだあなたがあなただということを分かってもらえて無いのよね」

「アイツは基本アタマではなく筋肉で考える人種です」

 以前アイツの部屋に参考書を借りに行ったら、スクワットをしながら応用解析の本を熟読していた。この方がアタマにすんなり入って行くのだという。

「知っているか章介。人間、筋肉にも記憶が宿るのだそうだぞ。だったら身体を鍛えたらその分記憶容量が増えるって事になるよな」

 そんなヨタをほざいていた。内臓の臓器移植を受けた者がその提供者の記憶も受け継いだという、その手の都市伝説を曲解しているらしい。阿呆かと思った。その理屈で云えば、世界最大級のマッチョマンは世界最大級に物覚えが良いってことになる。どれだけ筋肉を信奉しているのだ。筋肉は全ての規範なのか?

 いっその事「オレが勝ったらオレをオレだと信じろ」と力尽くの勝負を挑んだらどうだろう。勝てばアッサリと納得するかも知れない。ヤツに勝てたらの話だけれど。

「理を尽くしたら分かってくれるのではなくて?彼は良くも悪くも素直な子よ」

「悪いヤツじゃないというのは良く知ってます。思い込みが邪魔をしている部分はありますがね。それにしてもホントに、大家さんはよくオレの言うことを信じてくれましたよね」

 前にも確か同じ事を言った。だがこうして今の姿で暮してみて、馴染みの連中と会話しているとよく分かる。人間誰しも日常から少しでも外れたら埒外として、真っ当に取り扱ってはくれないのだ。故に、大家さんがアッサリすんなり納得してくれたのが不思議で仕方がなかった。

 何せ当の本人であるこのオレが、未だに今のオレ自身に馴染み切れていない。周囲の人間ならば尚更だろう。しかもオレの彼女役を、オレ自身が務めるという訳の分からない毎日。何なんだろうなと日々悩みながら暮している。

「若い頃には良くある話よ。珍しくもない」

「女に変わっちゃったりとかがですか?」

 大家さんは実に素っ気なくて今は食後のお茶を口にしている。オレの疑念なんぞ、そよ風程度の扱いだ。

「若い頃の経験は貴重よ。歳を取ると改めてそう思うようになるわ」

 でも、あの、コレはどう控えめに見積もっても、かなり特殊な出来事としか思えないんですけれど。それにこんなコトがアチコチで頻発しているのなら、皆も、もうちょっとオレの言うことを信じてくれる気もするんですけれど。

「今の現実が事実。夢や幻では無いことだけは確かよね。あるがままに受け容れた方がストレス無いわ。それに信じてもらえないのなら、もらえないなりで生活すれば良いだけの話。そうではなくて?」

「其処まで達観出来ないです」

 難問を深刻に受け止めない人なのか、それとも余人には及びも付かぬほどの大物なのか。

「ホンモノの大人というのはね、肚を据えられるかどうかで決まるのよ」

 いずれにしても、自分とは格の違う人物であるというのは改めて確認出来た。


 空は真っ暗で、時間はもう深夜になろうとしていた。

 星はいくつか見えるけれども、どれが何という名前なのかはサッパリ分からない。人気の無い見知らぬ学校のグラウンドはやけにただっぴろく見えた。

 オレは今、バイトで正義のヒロインをやっている。

 正規業務でのヒロインじゃ無い。その時間外に設定されたバイトのヒロインだ。

 よくショッピングモールの広場やちょっと気の利いた遊園地などでやっている「なんたら戦隊ショー」とかじゃなくて、人が見ていようと居まいと所構わず襲ってくる悪の組織を撃退する仕事だ。

 本業と一体何が違うと言うのか、どっちも一緒じゃ無いかというツッコミが聞こえて来そうである。実際オレも最初は何のこっちゃと思った。

 ことの次第はほんの六時間ほど前に遡った。ニュートさんが持ちかけた話は臨時の割り込み業務をしてみないか、というものだった。

「有り体に言えば指定外の業務、アルバイトという扱いになります」

「オレは現在研修中で、徐々に仕事に慣れてもらうとかそういう話じゃなかったの」

 しかもその合間に正義の味方のバイトをやれだとか意味が分からない。

「コタツムリ社の心変わりで状況が変わりました。些か性急ですが難易度の低い相手を数多くこなしてもらい、本採用のレベルまで短期間で駆け上っていただこうというプログラムです」

「そんなに切羽詰まっているの?」

「カチカチ社は正規採用のスーパーヒロインは、数が幾分心許なくて」

「つまり人手不足」

「アイドルは充実しているのですが。大丈夫です。ご主人様は機敏な方ですし、合わせてスーツのチューニングも順調です。二、三現場を体験すれば直ぐに正規の方と遜色のない働きが出来るでしょう。習うより馴れろですよ」

「なんという無茶振り」

 つまり時間内外関係無く四六時中アレをやれと、つまりはそういうコト?体力には些か自信はあるが、それはどう見積もっても二四時間戦えますか的な、かなりのハードスケジュールではなかろうか。

 そういやこの前の練習試合(実質実務そのものだったけれど)の前にも、ぶっつけ本番が日常みたいなことを言っていたし、元々そういう勢いと、当たって砕けろ的な社風の会社なのかもしれない。

 止めて欲しいなぁ、そういうノリ。

「規定外業務ですので、ご主人様は拒否権があります。拒否することによってご主人様が不利益を被ることは決してありません。ですが、承諾すればボーナスポイントが加算されます。契約満期までの期間を大幅に短縮することが可能です」

「やりましょう」

 その時、二つ返事をした自分が今は呪わしかった。

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