3-9 見透かされた気がして

 分身クンが赴いている棟は校内敷地の端にあって結構な距離がある。

 まぁちょっとした散歩みたいなものだ。

 グダグダとどうでも良い事を話ながら歩いた。


 無駄話ばかりでまるで授業を進めない講師のこと。

 学食のラーメンが旨いのは、つぶれたラーメン屋の店主がやっているからだという噂のこと。

 使われなくなった講堂に「出る」という噂を聞きつけた空手部のヤツが度胸試しに入ったはいいが、大量のムカデにまとわりつかれて這々の体で逃げ出したこと。

 倫理の助教授が不倫をしているらしく女学生から不評と尊敬の両方買っていること、等々。


 でも本当はもっと他に話したいこと、訊きたいことがあった。


 ニュートさんはずっと営業だの宣伝だのパフォーマンスだのと言っていた。

 でもホントは違うよね。


 昨日のあの彼とのやり取りやあの本気っぷりは、どう見てもそんな牧歌的なものじゃあなかった。

 ちょっと間違えば大怪我してしまうような、ヘタをすればそれ以上の事態にだって成りかねない出来事だった。


 それを感じ取っていたから、いや知っていたからこそニュートさんはあれだけ焦っていたんじゃないの?


 でもそれを訊くのが怖かった。

 色々と想像は出来るけれども、それらを全部肯定されたらどうしよう。

 今までのコトは実は誤魔化しで、昨日みたいな剣呑なやり取りが本来の仕事なのです、性根を据えて挑んで下さいと言われたらオレはどうしたら良い?


 もうイヤだと逃げ出したら、そのまま見逃してくれるんだろうか。


 訊いたところでホントのコトを言ってくれるとは限らないし、それに全てを投げ出してご破算にしてしまえば、オレはずっとこの身体のままということになる。


「・・・・」


 たとえヘタレと言われようとも、うやむやのままであろうともニュートさんを信じて指示されたことをこなしていくしかない。

 そう思った。

 だって仕方がないじゃいか。

 他に替わりとなる妙案も無く、またぞろ彼や彼の仲間がやって来でもしたらオレには抗する術が無い。


 確かに、スーパーヒロインの仕事をしなければ手出しはされないとは言われた。

 でも万が一ってこともある。

 自分達の正体を知っている者を全部消し去ろう、とか、そんな剣呑な発想をしないとも限らないじゃないか。

 降りかかる火の粉を払う手段はきっと有った方がイイ。


 決断する意気地も無ければ逃げ出す勇気も無く、問題を解決出来る知恵も無いならお金まで無い。

 無い無いくしも良いところである。


 果断であったり、幾ばくかの知勇を持ち合わせた人ならばこれを解決することが出来るのだろうか。

 或いはお金で決着を付けられる問題なのかも知れない。

 だが生憎と今のオレにはどれもコレも望み薄だ。 


 だからこのまま、今のままでやって行こうとするのは間違っていない、その筈だ。

 そう自分に強く言い聞かせた。


 でも何だかちょっと情けなかった。




 分身クンを見つけて軽く手を上げて挨拶すると、彼もまた軽く挨拶を返した。

 分身クンは隣の男に「彼女か」冷やかされて「いちいち確認するな」と照れ隠しに返答している。

 凄く自然だな、と思った。


 手を止めた彼が歩み寄って来た。


「今日は何用で?」


「あ、いや。ちょっと頼みたいことがあってね」


「なに?」


「え、ええと。忙しそうだから後でもいいかな」


 分身クンはちょうど、てんこ盛りになっている紙面の山を整理している真っ最中だった。

 まぁバイト先は遅くまでやっているし、夕刻までに出向けば問題は無いだろう。


「そう。コッチは問題無くやれていると思う。大丈夫だ」


「う、うん。ならいいんだ」


 仕事がまだ残っているから、と分身クンは皆の中に戻っていった。


 ちらほらと何人かがコチラを気にしている。

 放っておいていいのか、と心配する声も聞こえてきて「気にしないでと言っていたから大丈夫」となどとはぐらかしている。

 見ていても違和感なく打ち解けていて、不安に見える雰囲気など微塵も感じられなかった。


「あの、お茶などどうですか」


 気を利かせてくれた女学生の一人が紙コップを差し出してくれた。

「ありがとう」と言って受け取るとそれはちょっと熱めの紅茶だった。


 分身クンは、文学科児童文芸部のサークルに助力を頼まれて手を貸していた。

 定期的に同人誌的な絵本を発行しているのだが、今回は人出が足らないとか何とか。

 脱稿が大幅に遅れて印刷所の指定期日に間に合うかどうかの瀬戸際らしい。

 単純作業だから人手は多ければ多い方が良い、何とか為らないかと言われたらしい。


 オレ自身ならまずそんな事は在り得なかった。

 同じ科の連中とは挨拶する程度の仲でそれ程親密ではなかったし、特になりたいとも思わなかった。

 不必要ににぎやかな人間関係が煩わしかったからだ。

 オレが大事だと思う相手が居ればそれで良い。


 そしてそんな空気を察してか、彼らもまた積極的に拘わってくるということが無かった。


 だが彼は違う。

 屈託なく明るくて誰とでも分け隔てがなかった。

 見ていても話は面白いし、話しかけ易いしいつも人の輪の真ん中に居た。

 ワイワイと楽しげに話して作業に没頭している姿は端から見ても皆に馴染み、そして打ち解けていた。



 何だかオレそっくりの、まったく別な誰かを見ているみたいだ。


 そして誰かに似ている、と思ってそれは芳田さんだと気が付いた。


 いや、確かにオレは今此処にいるオレで、彼はオレじゃないんだけれど。


 ニュートさんは言う。

 分身は分身でしか無くて本人以上の能力は発揮出来ない、良いところも悪いところもキチンとトレース出来るからこその分身なのだと説明してくれた。


 でも彼の様子を見ていると、とてもそうは思えなかった。


「忙しそうだし、オレ、じゃなくてわたしはこれで」


 そう言って軽く挨拶するとそのまま逃げるように立ち去った。

 何だかお尻の辺りがむずむずしてきて長居をしたくなかったからだ。


「御用はもうよろしいのですか」


 彼らの居た教室から棟の外に出ると耳元でニュートさんが囁いた。


「あ、うん。まぁ、邪魔してもなんだし、終わるまで校内をぶらぶらしているよ。それに急ぎって訳でもない」


 何だったら明日でも構わない話なのだ。

 確か買い置きの米も今晩分くらいは残っていた筈だ。

 何だったらストックの缶ビールで、下宿の先輩と食材のバーター取引って手もある。


「随分と社交的で上手くやってるんだな。安心した、というか感心したよ。オレよりも余程に優秀で要領も良さそうだ」


「端から見るからそう見えるだけではありませんか?同じ状況ならご主人様の方が身代わりと同等以上、いえ遙かに上手く振る舞えるでしょう」


「そうは思えないよ。むしろこれからもずっと彼に大学生活を送ってもらった方が田口章介の評価は良くなるかも、とか思ったりなんかして」


「・・・・」


「あ、ゴメン。今のは忘れて」


「どれ程スマートに代用をこなして居るように見えても、彼がご主人様の居場所を奪うようなことはございません」


「いや、別に心配とかしてないし」


「左様ですか。

 時折、身代わりが自分と取って代わるのではないか、乗っ取られるのではないのかと不安を抱かれるユーザーの方もいらっしゃいます。

 念の為に申し上げておきます、ご主人様。

 それは全て杞憂です。

 分身は分身を務めるからこその分身なのです。

 それを違えてしまえば契約違反、即座に処分されます」


「しょ、処分?」


「はい。

 彼はご主人様の記憶と人格を模しては居ますが、ナリ替わりシステムの実務端末です。

 身代わりを務めるのが彼の業務、その為に存在している素体です。

 逸脱は決して許されません。

 不良品は回収されるのみです。

 ルールを違え、己の役割を踏み外せば処罰や処分を受ける、当然の帰結です。

 例外は無いのです。

 そしてそれは人間ひとも同じではありませんか」


「ま、まぁ、そうだね」


「カチカチ社がお客様のプライバシーや生活を害するなど決してありません。

 私も勿論同じように考えておりますし、ご主人様の為に行動しております。

 そして万が一、本当に万が一にも何らかの問題が発生したとしても、私が全力をもって対処し、お守り致します。

 ご主人様、どうかご安心なさって下さい」


「いや大丈夫、信頼してるから」


「ありがとうございます。差し出がましいことを申しました」


 相変わらず姿は見えないけれど、ペコリと会釈した気配があった。


 果たしてこれは業務用マニュアルに書いてある対応なのだろうか。

 それとも彼女の気遣いなのか。


 いずれにしても、見透かされた気がしてちょっと恥ずかしかった。

 そして話に夢中になるあまり、オレは無意識のうちに下宿に帰って来ていた。


 あれ、オレが学校に出向いたのは分身クンに用事があったからでワ?


 そのことに気付いたのは、自分の部屋のドアノブに手をかけた時のことだった。

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