3-8 何だかとんでもねぇなぁ

「子供の頃、スズメバチに刺されたことがあったけれどそれに匹敵する痛さだったよ」


「良薬口に苦し、良い注射は得てして痛いものです」


「言ってくれるね」


 しかしあの時は大変だった。

 刺された場所が背中の肩甲骨の辺りで、皮が薄い場所だったから毒の吸引器が貼り付かず、メスで切ったり指で絞ったりとてんやわんやだったのである。


「何故そんな場所を蜂に」


「真夏に外で遊んでいてね。

 汗掻いたんでシャツ脱いで木の枝に干していたんだけれど、そのとき中に潜り込んでいたんだ。

 ヤツにとっては良い日陰があったってなもんだったんだろう」


 未だに忌々しい思い出である。


 それはさておき、オレは大学の構内をウロウロしていた。

 肩にはニュートさんが居るが、例の「ナンタラ迷彩」のお陰で他の誰かに見られる心配は無い。

 こうして此処にやってくるのも久しぶりのような気もする。


「日曜日だというのに結構学生が居ますね」


「金は無くとも暇だけは有る、ってのが大学生だからなぁ」


 社会人になるとそれが反転すると聞いているが、正直ぴんとこなかった。


 日曜祝祭日に学校に足を踏み入れることの無かったオレだが、何故だかどういう訳だか分身クンはそうじゃない。


 本日は同じ文学科の連中に何某かの手助けを頼まれて、講義も無いというのに学内へお出かけあそばれているらしい。

 一体どんな流れでそんなコトになっているのか、と聞いてみたのだが、本人のもよく判らないなどと不安になることを言う。

 そんな風に言われたら気になるじゃないか。


 そしてもう一つ、オレは分身クンに早急に会わねばならない重大な理由があった。

 財布の中身が空なのである。

 正確には五〇円玉が一個と一〇円玉が三個、そして五円玉が二個である。

 完全無欠な空ではナイが、空と言って差し支えはあるまい。


 何故かように貧相なのか。

 それはバイト代を受け取っていないからだ。


 バイト代の支払日と約束の出勤日をこの頃のドタバタでぶっちぎっているのである。

 受け取ってなくて当然。

 道理でこのごろ何か忘れているような気がして落ち着かなかったよ。

 ようやく合点が付いた。


 親から手渡されたオレ用の通帳には確かに預金残高が刻まれているけれど、ハッキリ言ってそれには手を出したくはなかった。


 大学に行かせてもらって学費を全額負担してもらい、下宿代まで面倒を見てもらっている身だ。

 せめて身の回りの金銭くらい自分の手で捻出しておきたかった。

 意地というか見栄というか、まぁそんな感じのものだ。

 ましてや祝祭日にCD機を使って余分な手数料を取られるなど言語道断、なのである。


 なので、今日にでもあの分身クンに頼んでバイト先に行ってもらわねばならない。

 ついでに無断欠勤の言い訳もだ。

 今のオレがバイト先に行ったところで「アンタ誰」と言われて終わりである。

 田口章介としての日常は、もはや分身クンあっての田口章介なのだ。


 彼が出かける前に気付いていたら、わざわざ出向く必要もなかったものを。


 迂闊うかつ、と歯噛みした。


 とはいえ、ものは考えようだ。

 こういう用事でも無ければ学校に出向こうとは思わなかったろう。

 逆に良かったのかもしれない。


 よく考えてみればこの身体になってからというもの、外出と言えばあの高校への登下校くらいなものでこうして学内を歩くなど幾日ぶりだろう。

 この頃は陽が暮れてからでも下宿界隈をうろつくのが関の山。

 昨日の練習試合が本当に「普通の意味での外出」と、そう言って良かった。


 それがあんな顛末になるなんてなぁ。


 顔見知りに会いたくなくて足を伸ばし、初めて入る居酒屋でたまたま同業者と出会い、そして次の日にマジもんのガチバトルを演じる羽目になる。


 これも縁と言うのだろうか?

 願わくばこれっきりにしておいて欲しい縁であった。


 今は研修期間の真っ最中であるのだから、わずかな空き時間でも実習だの様々な「教材」を用いたセオリーの習得だの、やらなければならない事は山積みだ。

 だがニュートさんから、体調をおもんぱかって今日明日はお休みにしましょうと言われたのである。


「昨日は休日出勤ですので、月曜日は代休にあてるのが良いでしょう。芳田さんは通常業務ですが、ご主人様のコトは連絡済みです」


「手回しいいね」


 部屋の隅にはクリーニング済みの制服が重ねられ置かれている。

 また明後日から女子高生かと内心溜息をついた。


「しかし想定外の出来事で些か予定が狂いました。

 実際このまま研修を続けて良いのかどうかという問題もありますし、本社とも掛け合って今後のプログラムを再検討中です。

 私も昨日の二の舞はごめんですから」


「確かに。もうあれは経験したくはないな」


「本当にお身体の方は大丈夫なのですか」


「うん、平気。痛みは無くなったし、むしろ前よりも調子が良いくらいだ」


 注射の痛みと効果の関係には異論と唱えたかったものの、彼女が打ってくれた薬は確かに良く効いた。

 そうでなかったらまだ下宿の部屋でうんうん唸っていたに違いない。


「でもこうやってブラブラしている時に『正義実行』とか言って彼はやって来ないのかな。そこん所どうなの」


「彼らとてプロです。

 業務外の相手に手出しするような事はしません。

 企業として、公私の区別を付けることが出来なければ自然と人が離れて行きます。

 自分の首を絞めることになってしまうのです。

 どんなにスカタンな企業でもその辺りはわきまえて居ます。

 それにもしもそんな愚行に及んだとしたら、それこそ公的機関から問答無用の制裁が下されて即座に解体されるでしょう。

 むしろコチラとしては、そちらの方が願ったり叶ったりですけれどもね」


「その『愚行』の最初の一撃が、コチラに向くのは勘弁して欲しいな」


「ご心配には及びません。その時には私が全身全霊を賭してご主人様をお守りします。昨日は不意を突かれましたが現在はもう準備万端です。ご安心なさって下さい」


「うん、まぁその時は宜しく頼むよ」


「あと、緊急時には脳内の量子回線を開いてご連絡を。私の姿を強く思い浮かべて通話するイメージをするだけで直結します」


「え、何ソレ」


「昨日頭の中へ直接私の声が聞こえたと思います。アレですよ」


 あ、ああぁ、そういやアレはオレの勘違いとかじゃなくて、ホントに頭の中へ通話してたのか。

 でもそんな便利なモノがあるのなら普段からソレで通話すればいいのに。

 そう言ったら、「脳に負担が掛かるので緊急時や秘匿通話以外は控えている」と言われた。


「でもオレはそんな機械身に着けてなかったと思うけど」


「脳の内部に構築しているので外から見ることは出来ません」


「えっ、頭の中に?いつの間に!」


「ご主人様が変身なされたときに自動的に構築されています。付帯サービスの一環です」


 紛失の心配など皆無ですよ、とニュートさんは何気なく軽い口調で説明するけれど、オレは急に落ち着かなくなった。

 自分の頭の中に通信機とかどっかの電波系のヤバい連中じゃあるまいし。

 しかも妄想とかじゃ無くってガチに送受信しちゃっているし。

 そんな妄想系SFチックな現実が、リアルに我が身に降りかかってくるとは思いもしなかったよ。


 よもやこの調子で、次から次へとオレの身体の知らない秘密が徐々に露わになってゆくんじゃあるまいな。

 説明するなら最初に全部やっておいて欲しいんですけれど。


「私自身を取説そのものとお考え下さい。

 疑問には即座にお答えできます。

 ご主人様のスマホにもアクセス用のメアドが送信済みですので、そちらの方からでも閲覧できます。

 それに洗いざらい口頭で全部ご説明したら、三日三晩かけても時間が足りません。

 テキストとして物理的に印刷してもよろしいですけれど、如何いかがなさいますか」


「どれぐらいの量になるの」


「おそらく、ご主人様の部屋にある本棚では収まりきれないでしょう」


「いや、テキストはいいかな」


「それに、ご主人様の身体に付帯している物理的肉体的なサービスは現在の容姿に加え、以前ご説明した老化の停止と、この通信機のみです。

 したるものではありません」


「その三つだけでもとんでもないと思うけれどね」


 通信機は兎も角、老化の停止とやらは最近よく耳にするアンチエイジングとかいうものだろうか。

 単語はTVのCMとかでチラホラ見聞きするけれど、ネットやニュースではそれ程騒がないな。

 結構スゴい技術だと思うんだけれども。


 何だかとんでもねぇなぁ、と思って溜息をついた。

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