第三幕 不埒な者ども(その七)

 サイケデリックな色合いの人影が青空に浮かんだと思った途端、いきなりそれはかき消えて、次の瞬間にはオレの身体は宙返りをしている真っ最中だった。

 だが高さが尋常じゃない。頭の上にはさっきまで立っていた工場の地面があって、ゆっくりと大きな土煙が上がるのが見えていた。カラフルな人影もその真ん中辺りにあって、全てが映画のスローモーションのようだ。

 オレの身体はその間にもゆっくりと回転し、彼が立っていた建屋の屋根を飛び越えて姿勢を整え、反対側にある駐車場目指して下りて行く最中であった。

:ご主人様、緊急事態ですので一時私がスーツの主導権をお預かりします。

「え、ど、どうなってるの。今頭の中で喋っているのはニュートさん?」

:詳しい説明は後ほど。脱出するまで、しばし全てを私にお任せ下さい。

:ニュートラルグレーの権限においてスーツの待機状態を解除、コンバットモードへ移行。マニューバースレイブシステム起動。起動確認、同調完了。

 そんな意味不明の音声が聞こえてきた。

:少し振り回します。スーツの動きに出来るだけ抗わないように。むしろ眠るか失神していただけると後々酷いコトにならずに済みますが。

「ちょっと待って、それっていったいどういう意味?」

 それから後は何が何やらサッパリ分からなかった。スーツは突然甲冑のように固くなって身動きが取れなくなった。

 そして次の瞬間には突然身体が勝手に動き始めた。

 上下左右、前に後ろに跳んだり跳ねたりし始めた。目で追いきれない程に素早く動くカラフルな人型の何かが居て、どうやらそれを避けたり蹴ってみたりをしているらしい。だが自分の身体なのに自分では全く思うように動かすことが出来ず、拘束されたまま手足を動かされる操り人形になった気分だった。

 だがそれは未だ良い。問題は、とんでもない勢いで立ったりしゃがんだり跳んだり跳ねたりキックをしたりする度に、足だの腕だのが急激に動かされて、全身の関節だの筋だのが異様な音を立てて振り回されることだった。

 その都度に「ぎえっ」とか「ぎゃっ」とか「ぐえっ」とか、蛙が踏み潰されたような声が出た。複数の人間に手足を掴まれて、超高速のラジオ体操をさせられている気分だ。

「待った待った、ちょっと待った。身体が、身体が壊れるっ」

 たまらずオレは悲鳴を上げたのだが、「今しばらくのご辛抱を」と頭の中で返事をされただけだった。

 視界は絶えず暴れていた。

 宿酔いになったときも酷いものだが、それどころの騒ぎじゃなかった。

 頭蓋骨の中で脳ミソがしっちゃかめっちゃかにシェイクされて、ムースかスムージーになるんじゃないかと思える程だ。

 手足の関節は言うに及ばず、背骨骨盤、首の骨までもが悲鳴を上げていた。上下前後左右あらゆる方向に振り回されて、体中の血があっちにいったりこっちに偏ったりと落ち着く暇もない。

やがて全身が痺れてきて意識も朦朧もうろうとなった頃、「大丈夫ですかご主人様」と囁く声があった。

 我に返り目を開けてみると、オレは工場の敷地の真ん中でひっくり返っていた。

「いやぁ凄かったね、きみ。やっぱりテレビの撮影というのは大変なものなんだね。初めて見たけれど、此処まで大仰なものだったなんて知らなかったよ」

 立ち会いのおじさんがしきりに感心した風情で、仰向けになっているオレの顔を覗き込んでいた。手を貸してもらって立ち上がろうとしたのだが、下半身にまったく力が入らなくてぺたんと尻餅を着いてしまった。膝が完全に笑っていて自分の足じゃないみたいだ。

「おやおや、大丈夫かい。まぁあれだけ激しく動いたんだ、腰が抜けても仕方がないよ」

 おんぶしてあげようか、という申し出を少し休めば大丈夫ですからと丁寧に断った。そしてぜいぜいと荒い呼吸をつきながら、ニュートさんに彼はどうしたのかと訊いた。

「お見事です。ご主人様の活躍でヤツは尻尾巻いて逃げ出して行きました」

 いやいやお見事なのはあなたがオレの身体をどうにかして彼と闘わせたせいでしょう、何他人事のように言ってるんですか、操り人形にされて活躍もへったくれも無いですよ。

 そんな嫌みの一つも口にしたかったのだが、その時になってようやく、でんぐり返っていた胃の中身が喉元まで込み上げて来た。

 慌てて口元を押さえたのだが堪えきれず、そのまま口元を突き破り、地面に滝の如く膨大な量の噴流を吐き出すハメに為った。

 つんと酸っぱい臭いが辺りに立ちこめて行く。

 そしてそれが、その場での締めとなったのである。


「結局、昨日のアレっていったい何だったの」

 翌日のオレは全身の筋肉痛と節々の痛み痺れに尋常ならざる疲労、それに未だ収まらぬ吐き気頭痛とが一斉大挙して押し寄せていて、とても立って歩ける状態では無かった。

 真っ昼間から寝床に寝っ転がって、身動きすらままならぬというこの体たらく。寝返りをうつだけでも肩や背骨が軋んで、その都度に「ひい」と悲鳴をあげた。特に首筋の痛みが一際だった。

 高校生の頃マラソン大会の翌日も筋肉痛で酷い目に遭ったが、それの比ではない。

 寝転がっているだけでも辛く、階段の上り下りはもちろんトイレに行こうとしても立ち上がることが出来ず、四つん這いで廊下を移動する有様。直ぐにでも病院に駆け込みたかったが、はいはいするだけでも全身に激痛が走るのだ。こんなんでどうしろというのか。

 ドカチンのバイトの時にも同様に酷い目にあったが、ここまでじゃあなかった。以前、同じ階に住むバレー部の先輩から湿布薬をもらったコトを思い出し、引き出しをひっくり返してみると奥にその残りがあった。今日は一日、コレを貼って大人しくしていることにしよう。病院に行くにしても最低限出歩けるようになってからだ。

 でもそんな状態でも、いやこんな状況だからこそ昨日は何故どうしてああなったのか。それが気になって仕方が無かった。

「簡単に言えばコタツムリ社の契約違反です。よくやらかすのですよ、アソコは」

「こたつむり?」

 年がら年中コタツに籠もって生活する、あの蝸牛かたつむりの亜種のコトだろうか。

「正確に発音するのならクォッタツゥムリが正しいのですが、あんな腐った会社はコタツムリで充分です」

 ズイブンだな。

「本来、市場獲得の為のパフォーマンスはソコに参加する複数企業が互いに協定を結び、それを逸脱しない範囲で競い合います。そうしないと市場そのものを破壊してしまうことにもなりかねません」

 成る程成る程。

「そして協定に反したり、社会的倫理観から甚だしく外れた行為が認められた場合、即座にペナルティが課せられ、最悪の場合はその市場から撤退させられることになります。ここまではよろしいですか」

「まぁその辺までは納得いく話だよ。でもそれが判っていながら約束を破ったってことは、ソコにメリットが有ったって事じゃないの?それとも彼が勝手に暴走したって話なのかな」

「後者なのでしたら話は簡単なのですけれど、あの場所には非公開のコードを使った結界が張られていました。協会で共用されているものとは別物で、アレは彼個人で用意することは出来ません。コタツムリ社のバックアップがあったことは明白です」

「じゃあどんな理由で」

「判りません。現在本社に問い合わせていますが、まだ返答が無いのです。ですので先ずは待ちましょう。ああ、それよりもご主人様の身体を治す方が先決ですね。先程医療パックの配送を依頼しましたからじき届くと思います」

 そんな会話をしている間にもノックの音がした。ニュートさんがドアを開けると白いブリーフケースの様なものが置かれている。配達人の姿は既に無かった。

 昨日、あの会社の更衣室でもあのピチピチパッツンのボディスーツが似たようなケースに収められて届いたが、いったい誰がどうやって持ってくるのか。普通の宅配便では無いことだけは確かだ。いくら日本の流通業界が仕事熱心だろうとも、電話して一分かそこらでお望みの場所にご希望の品物が届くなんて事は有り得ない。

 それともオレが何も知らないというだけの話なんだろうか?

 ニュートさんは自分の身の丈を優に超えるケースを軽々と持ち上げ、部屋の中央で蓋を開けた。そしてごぞごそと中身を物色し、とても小さなガラス製の機器を取り出して見せるのだ。その姿は何処かで見た記憶がある。

「さあご主人様、お注射のお時間ですよ」

 そう言ってニッコリと笑う姿に邪悪な看護士の姿を幻視した。

 彼女の手に握られているのは彼女にとって丁度良いサイズの注射器、オレから見たらネジ釘ほどの大きさだ。まぁ大したことは無かろう、そう高をくくって腕を差し出した。彼女は躊躇無くブスリと突き刺し、オレはそのあまりの痛さに「ぎゃあ」と悲鳴を上げた。

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