第三幕 不埒な者ども(その六)
「しまったな、スーツ姿な上にサングラスだったんで全然判んなかったよ」
端からそれと判っていたら、挨拶の一つも交わしたものを。
「呑気な事言ってる場合じゃありません、ご主人様。早くこの敷地から脱出する算段をつけないと」
「え、脱出って仕事はいいの?相手はノリノリだったじゃない。確かに研修生同士じゃなくなったのかもしれないけれど、此処まで話が進んじゃってるんだし、シカトして帰るっていうのも失礼になるんじゃないかなぁ」
いまオレは、あの居酒屋店員から逃げている最中であった。その場からくるりと背を向けて一目散。ニュートさんがそう急かすからだ。正に血相変えてと言うに相応しく、その切羽詰まった感に気圧されてオレは今こうして走っている。
肩越しに振り返って見れば彼は特に追って来るような素振りはなく、むしろ変身ポーズの真っ最中で、あの居酒屋で聞いた「秩序と安寧云々」を声高に叫ぶのに夢中であった。
やる前は確かにゴネてはいたものの、準備万端段取りが整って、その相手まで現れたとなれば流石にやってやろうという気にはなる。っていうか、どうにでもなれという半ば捨て鉢な気分であった。
だからニュートさんのこの変貌ぶりに、少なからず肩すかしを食った気分だ。
「失敗しても練習中はノーカンなんでしょ?だったら恥の掻き捨てじゃないけれど、ダメ元でも経験を積んでおくのは大事なんじゃないの」
「ご主人様のそういったチャレンジングな精神は高く評価されて然るべきですが、それよりも今は身の安全を確保する方が先決です」
身の安全?これはただの営業パフォーマンスじゃなかったのかな。
工場の敷地を隔てるフェンスまで辿り着くのは簡単だった。だがどういう訳だが、その向こう側に超えて行くことが出来なかった。見えない何か強い抵抗感があって、どうしてもそれ以上先に進めないのである。ちょうど同じ極の磁石同士が反発し合うような感触があり、オレとニュートさんの行く手を阻んでどうにもこうにもならないのだ。
「やはり結界が解除されない。マズい、マズいわ」
「どうしました、悪の組織女幹部見習い。逃げるのはもう諦めましたか」
勝ち誇ったかのような声が背後から響いてきた。それはいまオレの居る地面の高さではなくて、もっとずっと上の方から聞こえて来る。何処に居るんだろうと振り返って見たら、声の主は事務所の屋根の上に腕組みして立っていた。
わざわざあそこに登ったんだろうか。
確かにヒーローはよく高いところから出現する。そのセオリーとキチンと守っているのは流石だと思った。
そしてなんて悪趣味な衣装なんだ、とも思った。
赤黄青、といった原色をこれでもかと使ったサイケデリックな配色もさることながら、三角や四角や丸だのといった布きれをデタラメなパッチワークで縫い付けた、世にも奇天烈なスーツ。
真っ赤なブルマを履き、幅広の黒いベルトを締め、弁当箱くらいの大きさがありそうな銀色の巨大なバックルは電飾でピカピカ光っていた。
真っ白なヘルメットに真っ白なタイツ。しかもソコにはピンクの水玉、と思ってよく見たらそれはハートマークなのだと気付いて二度びっくり。どうもメットとタイツは対らしい。
しかもかけているアイマスクはデカくてゴツくて金ぴかで、オマケに真っ赤なレンズというトドメ付き。口元は兎も角、鼻まで出ているところが残念度数を加速させていた。
なんてスゴい。人をげんなりさせるにも程がある。
或いは、そういった効果を目論んであの格好をしているのだろうか?だとすればある意味尊敬に値する。目的の為には己の恥辱すら厭わない真の仕事人と云えよう。
だが真似をしたいとは思わないし、ましてや見習うなどトンデモない。こう見えても人として踏み越えてはならぬ一線というものは心得ているつもりだ。
良かった、オレが契約したのがあの会社じゃなくて。
彼の格好で仕事をしろと言われたら、その日のうちに全てを投げ出して失踪していたに違いなかった。
「悪の女幹部候補、最後に言いたいことがあれば聞いてあげましょう。それとも今此処で罪を認め、悔い改めてひれ伏しますか。ならば許してあげないコトもありません」
上から目線だなぁと思った。まぁ確かにいま彼は屋根の上から見下ろしているのだけれども。
「ニュートさん、いつの間にオレの配役は悪の女幹部に?変更があったのならもっと早く教えて下さいよ」
「何をとぼけたことおっしゃっているんですか、ヤツの口上に惑わされてはいけません。ご主人様はれっきとした正義の『スーパーヒロイン』です。
やいソコのバッタもん、ヒーローを気取ったチンドン屋め。正規社員だろうが、たかだかレベル2程度のサンピンがなに粋がってだい。あんたの股の下くぐるくらいなら、路地裏のドブ川に頭突っ込んで足掻いている方がまだマシだね。
その趣味の悪いスーツが、そのままあんたの未来を暗示してるよ。吠え面かきたくなかったら今すぐ回れ右して、とっととお笑い業界の門戸をくぐることをお勧めする。
ああ、お礼なんて要らないよ、あたしゃ不憫なお子ちゃまには寛容なんだ」
「おお、なんて気っ風のいい台詞」
「妙なところに感心している場合ではありません」
「よく言った、遺言として聞いて置くぞ。とうっ」
そう言って彼は、万歳の格好をして屋根の上から跳んだ。ああ、やっぱりジャンプする時にはそういうかけ声でそういうポーズなんだ、そう思いながらボンヤリとその姿を見上げていた。
実はハッキリと憶えているのはその辺りまでだった。その後の出来事は事を終えたその後に、記録レコーダーの映像や音声を見聞きして記憶を掘り起こした追体験なのである。
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