第三幕 不埒な者ども(その四)

 取り敢えずあのカラフルな教材は明日拝聴することとしよう。本日は心身共にヘロヘロでとてもではないが見る気が起きなかった。

 まぁなんだ。逃げているだけと言われても致し方なけれど、本日は追加の特別講義で色々とすり切れているのだから勘弁して欲しい。

 ヤキトリとナンコツを頼んで二杯目の生を飲んでいると、ボックス席に座っていた若い二人組の男性から一緒に飲まないかと誘われた。

 苦笑して結構ですと断ると、まぁそう言わずにと割としつこく声を掛けてくる。ぐいと腕まで引っ張られた。酔っ払いにはよく居る手合いだが少なからず鬱陶しい。

 居酒屋でナンパとかしてんじゃねぇ、このボケ。

 よっぽどそう言ってやろうかと思ったが堪えた。正直こんな場所で目立ちたくは無いのである。取られた腕を振り払う。結構ですから、と語気も荒げた。相手に向き直り、もう一度断ってそれでもダメなら店を出ようと身構えた時だった。

「ちょほぉいと待ちなぁ」

 唐突に妙な声が聞こえてきた。

 それはキザったらしく、そして何処かお間抜けなイントネーションであった。見ればオレと若い連中の前にするりと割って入る人影がある。この店のロゴの入った作務衣を着て、前掛けをしていたから店員であろうことは見当がついた。

 だがこの思わせぶりな登場の仕方はどういうことか。しかもこの御仁は斜に構えてポーズをとると、オレに向けてニカッと笑いウインクをして寄越した。

 うなじの辺りに鳥肌が立ち、ぞぞっと怖気が走った。芳田さんに感じたのとは似て非なる、全く以て別のヤツである。

「此処は美酒を嗜み一日の疲れを癒やす紳士淑女の社交場。ご婦人に酌を無理強いとはいただけない。そこなご両人、些か弁えてはもらえぬかな」

 含み笑いをした後に大仰な身振り手振りで口上を述べると、その場でくるっと回って、ぱっと両手を左右に拡げた。ものの見事なドヤ顔で再び歯を見せて笑う。本人はたぶん決めているつもりなんだろう。左の犬歯の辺りに銀歯がぴかりと光っていた。

「何だ、お前」

 オレの腕を取っていた男が呆れ顔で問い返していた。その一言ナイス。あんたが口にしなければオレが言っていたよ。

「問われて名乗るも、ぅおこがましいがぁ」

 待ってました、とばかりにその珍妙な店員は声を張り上げた。

「うゎたしぃわぁ、秩序とぉ安寧うぉ地上にぃもたらすぅ、希望とぉ正義の使徒っ!」

 そこで一旦台詞を切ると大股を拡げて二回、三回と両手を回し、大仰なダンスにも似た複雑なポージングをやってのけた。ちょっとだけ子供向けの戦隊ヒーローの登場シーンにも似ていると思った。記憶は遠い子供の頃のものだったけれど、多分間違いじゃ無かったろう。

 ただ、この狭い店内でやって良いパフォーマンスではなかったコトだけは確かだ。

「輝ける」と叫んで回した右手はカウンターに座っているサラリーマンの後頭部に直撃した。彼が頭を押さえて、もの凄く不機嫌そうな顔で振り返っている。だがあえて知らぬ振り。

「未来の」とめげずに振り出した左手は柱にぶつかって、ごきりと不吉な音を立てた。彼の顔が一瞬歪んだが、見なかったことにしてやろう。

 そして「勝利の戦士」と一際声を張り上げて両手を小脇に固め、右足を回し蹴りよろしく勢いよく振り上げた。その途端、斜め前のボックス席のテーブルを蹴り上げてしまったのである。

 擬音にすればどんがらがっちゃん、というのが適当だろうか。

 ボックス席には三人組の女性客が座っていて、ひっくり返されたビールだの料理だのが散らばると共に甲高い悲鳴を上げた。周囲の喧噪は一瞬にして止み、店の中に居た者全員の視線が一斉に集まった。

「馬鹿野郎!バイト、何やってやがるっ」

 調理場からの怒号が響き渡り、張本人であるかの店員は何度も三人の女性客に頭を下げ、平身低頭しながら大慌てで後始末を始めた。全く以て何をやりたかったのか。

 何となく彼の御仁の心情は理解出来そうな気もするが、決して判ってやりたくなどはない。それが正直な感想であった。

 事の発端であった男性客二人は完全に毒気を抜かれてボックス席に座り直し、オレはといえば伝票と手にしてレジへと向い、そのまま店を後にしたのである。


 部屋に戻って件の出来事をニュートさんに話したら「それは間違いなく同業他社ですね」と言われた。

「居酒屋に陣取って世界征服を企んでいるのでしょう」

「何だかバイトのようだったけれど」

「足元から徐々に固めてゆく彼らの常套手段です。油断は禁物です」

「でも世界征服って何よ」

「我らカチカチ社のシェアを奪う商売敵なのですから、世界を奪われるのも同然です。我々の市場統一事業を阻む相手には、いくら注意を払っても払い過ぎと言うことは在りません。大義は我に在り。されど気を緩める事なかれ、ですよ」

 でもそれはきっと、相手も同じように考えているんだろうな。そう思ったのだが口にはしないことにした。堂々巡りの水掛け論になるのは目に見えている。

「でも我々って、オレも数に含まれているのね」

「何をおっしゃっているんですか。もうご主人様は、私たちと同じ正義の味方の一員なのですよ。自覚を持って下さい」

「あ、はい。すいません」

 一応謝りはしたものの仄かな疑問が脳裏を過ぎった。正義と悪との戦いってのは、営業パフォーマンスの一環じゃなかったのだろうか。彼女の口ぶりではまるでマジモンの対立でもやらかしているようなニュアンスが感ぜられ、ちょっとだけ不穏な気分にもなる。あくまでほんのちょっとだけ、だけど。

「正義の味方ってのは、あくまでオレたちがその役割ってだけの話だよね」

「当然ではありませんか。私たちは正義なのだから正義なのですよ」

「・・・・」

 今ひとつ噛み合っていないような気がした。だが一度キチンとお勤めを果たせば仕事の内容も理解出来るだろう、そう考えることにしてその日はそのまま眠る事にした。明日もまたやるべき事はしこたま在るのである。

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