第一幕 契約(その二)

「そのような事をおっしゃられましてもぉ、当方と致しましては正規の手続きに則った契約の締結と履行を果たしたまでのお話でしてぇ、変更はお承り出来かねますぅ」

「本人の意思ではありません間違いです。たんっっっなる間違い。指先がちょっと滑っただけ。差し戻して下さいっ」

「ご契約の規約にも明記してございますがぁ、本商品はリコール不可の条項がございましてぇ、ご不満と言うことでしたら、補填オプションをご選択いただくという方法もございますがぁ」

「戻してくれるというオプションは無いの?」

「申し訳ありませんがご用意出来ませぇん。規則でしてぇ」

「そこを何とか」

 何がどうすればこんなコトが出来るのかサッパリ分からない。

 だが一つ確実なのはこのメールの発信元が某か怪しいコトをやって、オレをこういう姿にした張本人ということだけは分かった。ならば、この相手に何とか食い下がって元に戻る方策を探るしかない。違約金が必要というのなら払おうじゃないか、幾らなのか分からないけれど。

 今のオレにはお金の当てなんて無いけれど!

 出世払いのローン契約って出来たかな、多分ダメだよなと思い巡らし、これもまたイカガワシイ詐欺紛いの商法なのかと不穏な予感が脳裏を過ぎった。が、こんな状態である、背に腹は替えられない。

 父ちゃん母ちゃんスマン。迂闊な息子のせいで無駄な出費をすることに為るかも知れない。

「どうしてもとおっしゃるのでしたらぁ、早期契約解除の特例条項がございまぁす。ご利用になられますかぁ」

「ソレってどんなんです?」

 迷わずオレは食いついていた。どんなモノでも構わない。この際しがみつけるモノには何でもしがみつく。如何に条件が厳しかろうと、チャンスを逃す訳にはいかないからだ。

「特例条項は追加契約となりますのでぇ、まず専門のアドバイザーが直接お客様のお宅へお伺いしご説明致しますぅ。この通信機の発信元でよろしいですね」

「え、あ、はい」

「位置を確認しましたぁ。それではしばしお待ちくださいませ。ご不明な点がございましたらお手数ですがまたこの番号へお掛け直しくださぁい。担当は○○○○○○がお受け致しました。ご利用ありがとうございましたぁ」

「あの、直接って」

 一瞬唖然としたせいで聞き返す前に通話は切れてしまった。しかも何だかよく分からない発音だったので、担当者の名前も理解出来なかった。少なくとも日本人の名前じゃない、多分。

 しかし此処に来るって言ってもな・・・・

 通話を切りながら小首を傾げた。しばし待てとは言われたが五分やそこらで来れるはずもなかろう。オレの場所は昨日のメール転送から後追い出来るにしても、再契約の件は今し方連絡したばかりなのだし。

 そう思っていたらドアにノックの音がした。


 オレが借りている部屋は、学生の為に作られた二階建て集合アパート型下宿屋の一室である。「芽キャベツ亭」などと大衆食堂みたいな名前が付いていた。もしかすると下宿屋をする以前は定食屋だったのかもしれない。

 長方形の建物はその中央に通路が通っていた。それを挟み出入り口が向かい合わせに並んでいる部屋割りだ。

 昨今の世情もあって流石に玄関は各部屋個別、土足禁止なのは部屋の中のみで、ドアは鍵付き、簡素な台所もあった。一階には食堂と浴場と大家さんの住居が在って、一階の部屋数はその分少ないが基本的に二階も同じ。二階に上がる階段はスレートの屋根こそ付いているものの吹きさらしで、横風の強い日などは外と変わらない。そして風呂やトイレが共同という昭和時代の建屋造りだった。

 なんでも創業四十年以上という由緒正しい下宿屋なのだそうだ。そんな遙か昔に、今オレの通っている大学があったのかどうかは知らないけれど、あんまり気にしたことはない。此処を選んだのは単純に部屋代が安いからだ。

 望めば一階の食堂で朝夕の食事を出してくれる。朝飯なら前日の夕方まで、夕飯なら当日の昼までに大家さんへ連絡する必要があるけれど、財布の軽い学生にはなかなか有り難かった。しかも大学まで徒歩でわずか五分という好立地。多少建屋が古くともこの利便性は捨てがたい。すぐ近くにコンビニとスーパーがあるというのもポイント高かった。お陰で人気は割と高く毎年満室なのだという。

 そんな訳でオレの部屋の周囲は学生しか居なかった。

 大学生なので皆が皆四六時中構内に入り浸っている訳でも無く、講義のない時間は部屋でだべっている者も多い。しかも入学以来見知った連中ばっかりだ。建屋の中には始終学生がうろちょろしていて、顔見知りではない者はすこぶる目立つのである。

 訪ねて来たのは誰だろう、下宿の誰かだろうか。

 女人禁制的なこの下宿において今のオレは甚だ都合が悪かった。居留守を使っても良かったが、さっき塚原が来た時にドア越しとはいえ対応している。やって来たのが真向かいの部屋に住む先輩なんぞだったりした日にゃ、後々何を言われるか分かったもんじゃない。

 だからオレはそっとドアに近付くと来訪者に「誰」と問うた。

「田口章介さまのお部屋で間違いございませんか。先程お電話を頂いたカチカチ社から参りました契約アドバイザーの者です」

 そんな莫迦なと思った。電話を切ったのはほんのついさっきだ。ちと早過ぎはしないか。気まぐれな同輩か先輩が暇潰しにやって来たのではないのか。

「ホントに?」

「はい。少々お時間を頂けませんか」

 迷いはしたものの少しだけドアを開け、その隙間から外を窺うようにして来訪者を確かめた。

「?」

 だが誰の姿もなかった。

 ドアの死角に立っているのかと恐る恐る頭を少し出して周囲を伺った。だが他の下宿部屋のドアや壁が見えるだけで来訪者どころか歩いて居る者すら居ない。

 悪戯か?

 しかしそれにしても、人影どころか立ち去った気配すら無いというのはおかしくなかろうか。

 周囲は決して五月蠅くはなかった。斜向かいの部屋からは、薄っぺらいドア越しに何やらアップテンポな音楽が漏れ聞こえて来る。耳を澄ませば歌詞くらい聴き取れるかもしれない。だが、後ろ姿はおろかその足音すら聞えなかったのだ。

「田口章介さまでいらっしゃいますか」

 可愛らしい女性の声が聞こえた。しかし相変わらず姿は見当たらなかった。

「はい。え、え、何処?」

 声はすれども姿は見えず。慌てて半身を乗り出し、ドアの外へ一歩踏み出すのだがやはり誰も居なかった。

「此処です。足元をご覧下さい」

 言われて視線を落とすと其処には身の丈二〇センチほどの女の子の人形が立っていた。いや、しかし随分とリアルなフィギュアだ。まるで生きて居るかのような生々しさがあって・・・・

「お初にお目に掛かります。カチカチ社より契約特例のご説明に伺いました、アドバイザーのニュートラルグレーと申します。お見知りおきを」

 そう言って足元の人形はにっこりと微笑むと、ぺこりとお辞儀をしたのである。

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