知ってしまった
私は、ゆっくりとベッドの中で目を開けました。昨日は、確か。そう、日記を書いた後に寝てしまったのでしたっけ。私はうとうとしながら、ふかふかでほのかにせっけんの香りのするシーツから起き上がります。
思いっきり体をのばすと、気持ちいですわ。さて、今日から訓練が始まると聞いています。どんな訓練でしょう?やっぱりきついのかしら?
そんなことを考えていると、鐘の音が響きます。時計を見ると、朝の七時。どうやらこれは、起床のベルのような役割のようですわ。
ぼんやりとした頭でそんなことを考えていると、部屋にガチャッという音が響きます。誰かが私を訪ね、ドアを開けたようです。
「よう。気分はどうだ?体の違和感とかないか?」
気さくに声をかけながら入ってきたのは、昨日会った助手さんでした。
「ええ、特に不調はありません。」
「そうか、ならよかった。さて、じゃあ早速お前にはこれから訓練に行って貰うわけだが、その前に
「はい。」
私はパジャマのワンピース姿のまま、助手さんについていきます。昨日行った礼拝堂とは別の方向に歩き、〈関係者以外利用禁止〉と書かれた
チン、と短いベルの音がして、昇降機のドアが開きます。開いたドアの向こうに広がっていたのは、近未来的な研究所の光景でしたわ。
白衣姿の人たちが、見たことのない色の薬品を手にあちこちを行き来しています。ビーカーやフラスコ、蒸留器などの実験器具がこぽこぽと不思議な音を立てています。壁は無機質な金属がむき出しで、研究所の様子が微妙にゆがんで写っていました。
薬品が詰まった棚や様々な機械の間を縫うように、私たちは奥へ奥へと進んでいきます。どうやら助手さんは研究所の奥の壁に隠れるように存在する、鈍い銀色のドアを目指しているみたいでした。
見て…人造人間だわ…細い手足…悪魔みたい…
これ見よがしに囁かれても、気づかないフリ。穏やかでいるためには、気にしないことが一番ですわ。私は心を逆なでする声を無視して、助手さんの後ろを歩きます。
もうすぐドアにつくと思った、その刹那。
すれ違った一人の研究所の職員が、吐き捨てるように私に囁きました。
【人の命を引き換えに生まれた機械仕掛けの癖に。】
一瞬子供かと思う程の小さな体に、ぶかぶかの白衣を纏った女性。幼子のような外見に見合わない妙に艶やかな声で、その研究者は囁きますの。
その声に見合わない、嫌悪感を露わにした言葉を、私に。
一瞬見えたオパールのように煌めく瞳は、こちらを恐ろしいほどに強く睨みつけていましたわ。私は思わず背筋に悪寒が走って、一瞬歩みを止めてしまいました。
それは一瞬の出来事でしたけど、私には何分もあったように思いました。ただ我に返った時には助手さんが不思議そうな顔をして、こちらを振り返っていましたわ。
「どうした?何かあったか?」
「い、いえ。なんでもありませんわ。ただ少しぼうっとしていただけですの。」
「そうか。ならいいが。ほら、こっちだ。」
幸いにも、変に勘繰られて詮索されることもなく、私は再び助手さんの後ろに続きます。そして、鈍い銀色に光るドアをくぐりました。
「人の命と引き換えに…そんなはず、ありませんわよね?」
あの意味深な言葉を、脳の中で打ち消しながら。
ギィ…重そうに軋む金属のドアの先。
そこには一つのカプセルがありました。私が入っていたよりも一回りくらい小さい、まん丸な形のカプセルです。
その中に、不思議な機械が入っていました。
さほど大きくなくて、カプセルが大きすぎると思えるくらいの、歯車がたくさん組み込まれた不思議な機械です。時折ちかちかと瞬いて見えて、何とも言えない美しさのある機械でしたわ。
「これが電池だ。これは人造人間専用のやつだな。ほかにも種類があって〈量産用〉とか〈実験用〉とかがある。よし、これからお前に、この電池を組み込むぞ。ただ、この電池はまだ完成しちゃいない。一瞬で終わるから、ちょっとドアの向こうで待っててくれ。そうだな、五分くらい待ってもらうことになるかな。」
助手さんは、そう言って私をドアの向こうに押しやりました。目の前でギィ…と微かに軋みながら、金属の重たいドアが閉められます。
私はじっと、ドアが開くのを待っていました。中で何が起こっているのか、すごくすごくすごーく気になってはいましたけど。
あの美しい機械にこれ以上何を組み込むのでしょう。あれだけでいっそ完成されているようにも思えるのに。
あんな部品かしら、いやこんなパーツかもしれない。わくわくといろいろな妄想を繰り広げていると、ざわざわとさざ波のように広がる囁き声が嫌でも耳につきますの。
見て…おぞましい…穢れているくせに…悪魔とそう変わらないのに…
煩いですわ、私の何を知っていますの?悪魔のよう?人ではない機械だからですか?それとも悪魔のように細すぎる手足がいけないのですか?
何をもって私を、悪魔のようだと貶めるのです?
思わず少し手を握りしめてしまった時でした。
私にすっと近づいてくる、一人の研究者。子供のような小さな体躯に、ぶかぶかの白衣。幼子のような容姿に見合わない、妙に艶やかな仕草が目を引く女性の研究者が、私にこう囁いたのですわ。さながら、悪魔の誘惑のように。
【ねえ、気になるんでしょう?覗いてごらん、扉の向こうを。貴方が悪魔と忌み嫌われ、おぞましいと陰口をたたかれる理由がわかるかもしれないよ…?】
それだけ言って、小さな影は瞬きの間に機械の隙間へと消えてしまいました。
でも私は、その言葉を無視することはできませんでした。助手さんから、覗いてはいけない、と言われていても。あの研究者に何らかの思惑があることも。ここであの研究者のいうとおりにしてはいけないことも、わかっていたのに。
ドアの向こうに耳を澄ますと、何やらぎゅるぎゅると鳴る物音が聞こえてきます。これなら、ドアを開けても軋んだ音でばれてしまったりはしないでしょう。
私は気になって気になって仕方のなかった、少し軋む重いドアの取っ手に手をかけ。
そのまま、そうっとドアを開けてしまいました。
わずかにある隙間から、そうっと部屋を覗き見ます。
「っ…‼‼‼‼‼‼‼‼」
扉の先にあったもの。それは…
電池へと吸い込まれていく人間の躰でした。
「どうして?今まで私が何をしたというの!?ああ、神様、助けてください!」
「やめてくれ!し、死にたくない!うわあああああ!」
「ああ、天使様、お助け下さい。お願いします。この身にわずかでもお慈悲を…」
男性。女性。泣き叫ぶ人、ただ祈る人。まだ若い人、年老いた人。様々な人たちはカプセルへと放り込まれ、その中でゆっくりと電池に取り込まれていきます。
電池に口はないように見えます。でも私にはなぜか、「咀嚼している」というイメージが沸き上がりました。決して早くはないけれど、遅くもないペースで、ただ淡々と生きた人間を咀嚼し飲み込んでいるように見えましたわ。
私は声も出せず、その光景を見ていることしかできませんでした。あのペースで人間を食べているのだとしたら、もう五人は食べていることになるはずです。そして今部屋にいる生きている人間は、あと七人。
ああ、機械が、人間を食べるだなんて。
そんなことあり得ない。
そう思いたかった。悪夢のようです。
でももっと最悪で、信じたくなくて、考えると壊れそうになることがあります。
それは、この人を喰っている
これでは私は間接的に、人を殺したことになるのではないですか?あんなに綺麗な電池でも、あれは血に塗れて穢れています。それを動力源として使う私もまた、血に塗れ穢れているのではないですか?このことを知っていたから、研究者たちはみんな私を悪魔だ、穢れている、と言っていたのでしょう。
そのとおりですわ。
私は悪魔と変わらず、人を喰って動力とする電池を持つ私は軽蔑されて疎まれて当然です。どれだけなじられても、私は何も言えませんわ。
私は涙すら流すことはできません。この胸は虚しく静まっていて、鼓動を刻むことはないのです。そういうことを意識するたびに、私がつくづく機械であることを思い知らされます。それでも、私は
たとえ体が数多の歯車の回転で成り立っていても。電池によって動く、機械仕掛けであっても。私は人間だと、誰かを救って慈しめる生物だと、思い込みたかった。
けれど今、そんな願いは目の前で打ち砕かれました。私は人を喰って生きている、
思わずへたり込み、呆然とカプセルを見つめました。つい先ほどまであんなに美しく煌めいて見えた私の電池は、いまやどす黒く血に塗れていました。
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