暴かれた世界の理

これは、今より少し昔の御話。


世界に悪魔が君臨した、その直後の出来事。


後に救世主と呼ばれる一人の奴隷の少女と、その少女を救い出した救世主の物語。



わたしには、おやがいなかった。


わたしがもっていたのは、じぶんのからだとこころだけ。おなじようななかまといっしょに、まちはずれのぼろぼろのいえでくらしていた。


姉さんは、やさしかった。姉さんだっておなかがすいているはずなのに、いつでもわたしにパンをはんぶんこしてくれた。そのせいか、姉さんはすごくやせてた。そんなからだで、それでもわたしや、わたしより年下のなかまのために、まいにちパン屋さんではたらいていた。わらうと、かみのけについてるおかざりがゆらゆらした。おかあさんがいたら、きっと姉さんみたいなのかな。


兄さんは、かっこよかった。やまのなかで、ほうせきをほっているんだって!たまにほうせきがうまっているといって、ちいさな岩を売りに行く。そのなかには、どんないろのほうせきがはいっているかわからないんだって。でも、それがたかいほうせきだったときは、なかまみんながおいしいごはんをたべられた。おとうさんはきっと、兄さんみたいにかっこいいんだろうな。


わたしはなかまのなかでさんばんめ。兄さんや姉さんにはかなわないけど、はたらけないかわりになかまのめんどうをみた。みんなかわいいわたしのたいせつななかま。


だから、いまみているこれは、みんなじゃない。


みんな、おきてよ。へんじをして。ゆさぶっても、なきわめいても、だれもめをひらかない。ねえってば、おきてよ。ねえ…みんな…


どうして?みんなはどうしてこうなったの?まっかなみずたまりが、みんなのまわりにできてる。てにねばねばとはりつく紅いみずは、あめのときのみずじゃない。


わたしは、なにもできなかった。だいすきななかまがあいつにうばわれても、なにもできなかった。


よわかったから。


あいつは、わらってた。すごくたのしそうに。


「あははははははは!死んだ死んだ!みーんなみーんな、死んじゃった!真っ赤だなあ、綺麗だあ!ねえ、君もそう思うだろ?やっぱり君らが流す血の紅さは格別さ!これだからやめられないんだよ、あははははははははは!」


まっくろなはねとつのをはやした、ういてるおとこのひと。兄さんよりおおきいのに、姉さんよりほそい。


にんげんじゃない。


こわい、からだがうごかない。しにたくない!やだ!だけど、みんなをおいてはいけない…でも、でも、でも!ここからにげなきゃ。でも、みんなが…


どうしよう、どうしよう、どうしよう…


「にげ、な、さい…わたした、ちは、もうだ、めだから…」


「まよう、な…!い、け!」


姉さん、兄さん!そんなこと、いわないで…きっと、たすけてあげるから。


うしろをふりむきながら、わたしははしっていた。きづいたら、にげていた。こわくてこわくて、ないていた。兄さんが、おとこのひとにふみつぶされた。姉さんが、ふくをひきちぎられていた。なかまが、たべられた。


やめて!姉さんのふく、つぎはぎだらけなの!わたしたちのために、かわいいふくも、ごはんもがまんしてたの…兄さんは、いしをなげつけてた。がんばってたたかおうとして。でも、そんなのはむし。ふきげんそうなおとこのひとが、ぐちゃっとおとをたてて、兄さんからあしをひきぬいた。


わたしは、もうふりかえるのをやめた。もう、たいせつななかまはどこにもいない。


はしりつづけて、むねがくるしい。あしがいたい。でも、にげなきゃ。


かなしくてさびしくて、あたまがぐちゃぐちゃで、なきながらはしった。





懐かしい、夢を見た。初めて悪魔を見た時の夢。仲間が死んだ。蹂躙されて。その時の、言いようの無い心の穴は、今でも私の胸にぽっかりと開いている。


私は、粗末なベッドから起き上がった。お腹が空いたとも、疲れたとも、つらいとも思わない。ただ死んだように、命令されるままに働く。それだけ。


朝起きて、食堂に降りる。すると、スープとパンがもらえる。ずいぶんと少ないそれらを、文句も言わずに胃に流し込んだ。あの時から最早、生きるのは呪いだ。


逃げろと言って時間を稼いでくれた、兄さんと姉さん。大好きだった仲間たち。あの場所は今よりずっとひどい所だった。雨漏りはするし、ご飯の無い日だってあった。


でも、みんながいた。それだけで、幸せだったのに。


私は食事を終え、仕事場へ向かう。今日は奴隷市の日で、私は今日、商品として誰かに買われる身だ。


主人などどうでもよかった。私はなにも感じないから。


首につながった鎖を引っ張られ、せまい牢に押し込められる。そのままガタガタと揺られてどこかへ向かう。痛みすらもはやマヒしていた。すべてがどうでもよかった。


やがて目的地に着いたらしい。牢の揺れが止まり、扉が開かれる。


目の前にはたくさんの、着飾った醜悪な人々がいた。香水のにおいをまき散らして、化粧を塗りたくった顔でにやにやと笑っている。


「あら、この子可愛いじゃない、いじめがいがありそうだわあ。」


「こっちの子もいいわよ。目つきが反抗的で。泣かせるのが楽しみね。」


悪魔と同じだ、人を泣かせて喜んで、死ぬことすら許さず搾り取る。そんな醜悪な人々を、冷めた目で見つめていた。


その時だった。


「へえ、君、他の奴隷と違うねえ。いいじゃんいいじゃん。好きだよ、この世のすべてがどうでもいいって感じのその顔つき。私も同じだからさ。」


唐突に誰かに腕を引かれ、顎を持ち上げられた。されるがままに見上げた先には、精悍な顔立ちの少女がいた。華やいだ気色悪い醜悪な人とは違う雰囲気の軽装の少女は姉さんによく似ていた。


「なあ、オーナー、この子買うよ。いくら?」


「はあ、誰っすか…ってあなたは!?なんでこんなとこにいるんですか?」


「そんなことどうだっていいんだよ、それよりいくらなの?」


「ああ、えっと、三十ルクラになります。」


「ああ、そんなもんなの。ほい。」


「ああ、ちょうどっすね、毎度あり。」


私をあっという間に買った少女は、軽い足取りで私をどこかへ連れていく。


「これから、どこ、行くの?」


「ああ、まだ言ってなかったね。私の家だよ。」


にっと笑い、悪戯っぽく少女は告げた。私は手を引かれるままについていく。


白亜のなんだかすごそうな建物に行きつき、そこに入る。そのまま昇降機に乗り、地下へと降りて行った。チン、とベルの音が短く鳴り、昇降機のドアが開く。


「さあ、着いたよ。ここが私の家だ。これから君もここにいてもらうことになる。」


そこは異様な空間だった。たくさんの機械がゴウンゴウンと稼働する音が響き、いくつもの本や書類が乱雑に床に散らばっている。それだけじゃなく、よくしらない薬品もいたるところに置かれていた。


そして部屋の中央には、大きな透明のカプセルがあった。


淡い蒼色の薬品で満たされたカプセルの中には、小さな人間のようなものが眠っていた。体の大きさの割に細く、翼と角を生やした、何かが。


「…っ!なんで、あれが…がここにいる!?」


私は思わず叫んでいた。ここ数年で叫ぶなんて初めてだった。兄さんや姉さんを殺した、あいつみたいなのが何でここに!?とっさに身構えた体が、小刻みに震える。


私を買った少女は、至極当たり前のように言った。


「なんでって、そりゃあ…。」


そしていつもしているかのように、そこらへんに脱ぎ捨てていた白衣を拾って身に纏い、カプセルへと近づく。


「な、なにしてる!?そんなことしたら、あっという間に悪魔に殺されっ…」


「はっ、そんなことあるわけない。悪魔が、私を?殺すだって?」


カプセルから距離を取り、震えていることしかできない私を振り返って、少女は不敵な笑みを浮かべた。


「冗談だろ、こいつを閉じ込めたのは、私だ。こいつがスラム街の少年少女を殺して暴れているところを、私が拘束して閉じ込めたんだ。そうして、念のために弱体化させてからこうして研究してるのさ。」


少女は笑って、カプセルに向き直った。私は、少女の言葉をゆっくりと咀嚼する。その意味を脳が理解するのを拒んでいた。もしかしたら、この悪魔は…


「なあ、今、どこでこの悪魔を拘束したと言った…」


気づけば私はそう訊ねていた。訊ねずには、いられなかった。


「え?ああ、ここより少し南に行ったあたりのスラム街。そうだ、そこにいた少女がこんなものを持っていてね、見るかい?」


そう言いながら少女が差し出したのは、小さなストラップだった。姉さんがいつも髪につけていた、ストラップ。


「ああ、姉さんの、そんな…」


私はふらふらと、少女が差し出すストラップに吸い寄せられるように歩き、そっとそれに手を伸ばした。


もうすぐ手が届く、と思ったその瞬間、少女はパッとストラップをしまってしまう。不服そうに少女を見上げる私を、少女は笑いながら見下ろした。


「実はね、君の前にももう一人買ってるんだよ。会うかい?」


私は少女が誰を買おうとどうだってよかった。それよりも、姉さんの遺品を…姉さんが生きていたことの、確かな証明を…


何も言わずに少女を睨む私を気にも留めず、少女は「おーい、出ておいでー」と奥に向かって呼びかける。


「はーい、何ですかー。…っ!なんで、ここに…」


出てきたのは、かわいらしい女の子だった。細いけれど健康そうで、私を買った少女によく似た面立ち。この子が誰なのか、聞かなくてもわかっていた。


ずっと、心のどこかで願っていた、また会えることを。


ただ、その女の子に向かって、私は駆け出していた。


「姉さんっ、姉さん…!」


私が勢い余って転びながらも抱き着くと、姉さんはしっかりと私を抱き留めてくれた。ああ、変わらない、安心する、この体温。


「よかった、生きてたっ…!」


気づかないうちに泣いていた私の涙を、柔らかい仕草で拭ってくれる。私を買った少女は、ただにやにやと笑っていた。


「よかったよかった。感動の再会ってやつかな。二人で水入らずで過ごしたいだろうし、居住スペースまで行ってて。お姉さんの方は、もう場所わかるよね?うん、じゃあまた後で。」


少女は微笑したまま、悪魔の囚われたカプセルへと向き直った。私は姉さんに連れられて昇降機に乗り、そのまま二階部分へと上がる。そこには至って普通のリビングがあって、私はそこで姉さんとたくさん話をした。


今までどうしていたか、あの少女のこと、悪魔のこと。


「あの人はね、すごい人よ。私が死にかけていたときもすごい勢いで色んな薬をくれたわ。全部白い粉だったのに、よく見分けがつくわよねえ。それに、あなたを見つけて連れてきてくれたことも。可愛い可愛い、私の妹。生きていてよかったわ。」


「うん、姉さん、生きてて、良かった!あの…ほかの子たちは?」


「…ダメだったみたい。助かったのは、私だけ。」


「そっか、でも、あの人に感謝する。姉さんだけでも生きててくれたし、私を姉さんのところまで連れてきてくれたし。」


そんな会話をして、久々に笑った。泣いた。


幸せな気分になった。


そして、その平穏は続くものと思っていた。実際、そのあと何年かは平穏だった。朝起きて、ご飯を食べて、少女の研究を手伝ったりして。私の躰は小さいままだったけど。少女が言うには、栄養状態が長年良くなかったせいで、成長が止まったとのことだった。姉さんは、少しだけ背が伸びて、大人っぽくなった。


少女の研究を手伝っているうち、私には意外な才能があるとわかった。人造人間てんしの改造だ。そのころ少女は悪魔に対抗する人造人間を作っていて、私はそいつらを強化するのが得意だった。


その才能を生かし、私は少女とともに研究するようになった。姉さんは相変わらず優しく笑いながら、私を応援してくれた。


そして、あの日がやってくる。



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