目覚めた希望

ピー、ピー、ピッ。機械音が響く、静寂に支配された空間。誰もが音を立てることをためらうような、どこか神聖さすら感じさせる静寂に満ちた空間。


そこには、一人の最強の人造人間てんしが眠っている。


真白な髪と肌、ガーネットのような深紅の瞳、整った顔立ち。人に非ざる者だと誰もが納得するような、浮世離れした美しい容姿だった。


人造人間は、カプセルの中でまどろんでいた。長いまつげが薬液の中でふよふよと揺らめいている。その手は祈るような形に組まれ、真白な容姿と相まって聖女のようだった。


人造人間が眠っている部屋に、一人の女性が入ってきた。ぶかぶかの白衣を纏い、幼さの残る顔立ちに見合わない妖艶な笑みを浮かべた風変わりな女性。


彼女は、「研究者」と呼ばれていた。人に非ざる人造人間を飛躍的に進化させ、この世界を救った救世主、とも。


彼女はカプセルに近づき、そっと透明なガラスの表面に指を這わせた。その仕草すらどこか艶を含み、艶やかに見える。


彼女はそっとカプセルの表面に口づけるように、人造人間に囁く。


【私が生み出したお前たち。美しく戦場を駆ける『死の天使』達よ。もうすぐ、私がこの手ですべてを無に帰す。お前たちのような紛い物など、この世界に在っていいはずがない。機械仕掛けの癖に人間あのこを気取るなんて、許し難い。】


愛しそうにカプセルの表面を撫でる仕草とは裏腹に、吐き捨てるような嫌悪を纏った言葉を吐き出した。そして彼女はパッと険悪な雰囲気を変え、楽しそうにカルテを作り始めた。


そのカルテの患者名の欄には、「人類の希望」とつづられていた。





「…ぼ…人類…う…人類の希望!目を覚ませ!」


誰かがカプセルの外で誰かを呼んでいるのね。誰を呼んでいるのでしょう?必死に呼びかけているのなら、その人は大切な方かしら。


「人類の希望!起きろ!くそ、また失敗か?」


人類の希望?それが大切な方の御名前?随分と大げさで、仰々しい名前ですこと。私ならそんな名前、嫌です。大切な方ならもっといい名前を考えて差し上げたらいいのに。というか、うるさいですわ。私は眠いの。お黙りになって下さらない?


「認識はしているのに、微睡んだまま…呼ばれていると認識していないのか?カプセルの中で眠るお前だよ、おまえ!はやく起きろって。」


カプセルのなか?もしかしなくても、私ですわね。あら、呼ばれていたのは私?ちっともわかりませんでした。


「ん、何ですか?私を呼んでいるのはどなた?」


「め、目覚めた!成功だ!目覚めたぞ!」


カプセルの外で私の名前を呼んでいた方が、狂喜していますわ。成功って、私が目覚めたということが、でしょうか?どうして目覚めただけで、成功なのかしら?気になったことは、聞いてみるに限ります。


「貴方が、私の創造主ですか?それと、どうして成功なのですか?私はただ目覚めただけ。それの何が、あなたをそこまで狂喜させるのです?」


「おお、好奇心が旺盛だな、いいことだ。まず、俺はお前の創造主じゃない。お前の創造主の、助手ってとこだ。雑用係とも言うが。そして、お前が目覚める、つまり意識を持つというのはすごいことなんだ。お前ができるまでに、何体もの人造人間が目覚めずに停止しちまってるし。ようやくお前が、お前として目覚めてくれて俺は嬉しいよ。同時に、目覚めないことを望んでもいたが…」


あら、存外しっかりと答えてくださるのね。でも、答えに矛盾がある。それはどうして?とても興味深いわ。


「目覚めて喜ぶのに、目覚めないで欲しい?矛盾しています、説明を。」


「ああ、いや、その。心苦しいんだが、俺たちは人類のためにお前を作ってる。つまりお前を慈しんで、普通の人間の子供のようには扱ってやれない。生まれた瞬間から兵器として訓練して、悪魔を殺してもらわなきゃならない。そういうのを拒否する奴は殺さなきゃならないし、戦闘に向かない奴は役立たずの烙印を押さなきゃならない。だからそんな身勝手にお前たちを作るのに、どうにも心が痛んでな。」


ああ、そうでした。眠っている間にある程度の知識はインストールされていますが、そんな知識もありましたね。そう、本当に私は兵器、なのね。


「そうですか、あなたはいい人ですね。では私の暗号名を教えてください。」


「ああ、お前は研究者の史上最高傑作、『人類の希望』だ。」


「長いですね、もう少し縮めていただけません?私はそんな仰々しい名前を頂いてもちっともありがたくないんですの。」


「そ、そうか。まあ確かに長いっちゃ長いか…じゃあ、『希望』。お前の暗号名は『希望』だ。」


「わかりました。インストールします。成功、個体名『希望』を登録。私は今から、『希望』です。」


「おし、じゃあこれからの説明すっからな。取り敢えず『希望』は、訓練を受けて、心身を鍛えまくってもらう。最強たる才能を十分に発揮してほしい。そのあと、たぶん研究者がお前に能力を授ける。戦いにおいて重要な、ポジションを決める能力だ。多分お前は、主力のアタッカーもしくは近接で立ちまわるサブ、バフ掛けの能力だと思う。まあ、そんなとこだな。今日は特に予定されてることはないから、明日の朝までにこの部屋にいてくれ。」


「了解しました。」


そうして私は「希望」として、目覚めたのです。


これは私が、真っ白なカプセルで生まれて、死んでいくまでの物語。





私が目覚めた部屋は、真っ白でした。私の髪や肌と同じ色。カプセルの枠組みも、隅に置かれた本や本棚も。床も壁も、何もかも。


そんな真っ白な部屋で、私は目覚めました。助手の方ももう帰ってしまいましたし、私は暇を持て余していますわ。


助手の方は、私にワンピースをくださいました。七分丈の、くるぶしまである長い裾の、真っ白なワンピース。


部屋は暖かくもなく寒くもなく、ちょうどいい環境です、でも、私はもっといろんな色が欲しいです、全部が真っ白で、味気なくて、見ていて飽きてしまいますの。


私は床に座り込んでいたのをやめて、立ち上がりました。この部屋にはドアがありますけど、カギはついていませんわ。


どこかほかの場所を見てみたい、そう思った私を止めはしません。


私はドアを開け、色のあふれる外へと歩き出しました。





「緑に、赤、でも廊下には、白ばかり…」


私は廊下を歩きながらそっと呟きました。廊下のそと一面に広がっているのは、どうやら薔薇園のようです。紅く色づく花びらが、はらはらと舞い落ちるのがとても美しいです。深緑を湛える葉も艶があって、ため息をこぼしてしまう程。私が見た初めての色が、これでよかったと思いましたわ。廊下はひたすらに真っ白で、味気ないのが残念でなりません。


私は先へ先へと歩いていきます。


窓ははめ殺しでしたので、残念なことに見事な薔薇園は窓越しに見ることしかできませんでした。せっかくなら棘を持つというその枝に触れてみたかったのに。


突き当りに来たので曲がり、すぐに行きついた扉があったので、私は両開きの重たいそれを押し開けましたの。その先に広がった光景に、私は感動のあまり呆然と立ち尽くしているしかありません。


扉の先は、礼拝堂でしたわ。窓が色とりどりのステンドグラスで彩られ、柔らかな朝の光が幾重にも重なって窓辺に差し込みます。シャンデリアも天井から釣り下がっていて、絢爛豪華とか荘厳なんて言葉がよく似合いました。そして礼拝堂の一番奥には慈愛の笑みを浮かべる、白亜の女神さまがいらっしゃいましたわ。


そこに一人の少女がいましたの。見たこともない、一風変わった少女が。


少女は金髪を床まで長く伸ばしていて、女神さまに向かって懺悔しているのでしょうか、両膝を地につき跪いていましたわ。


そして、うたっていたのです。聖歌のように、聖なる力を感じる調べを。


高く響くソプラノと、柔らかく広がるアルトを使い分け、少女は歌い続けています。私はその美しい声音と調べに、静かに耳を傾けました。


一曲歌い終わったあと、少女がふとこちらを振り向きます。こちらを向いた顔はビスク・ドールのように愛らしい、可憐という言葉がぴったりな西洋人でした。


「あ、あなたは、誰なの!?僕の歌を聞いていたの?」


驚いた様子で叫ぶその声は、少女…?どちらかというと、少年といった方がふさわしい爽やかな声でしたわ。私は聞かれたことには素直に応えます。


「ええ、僭越ながら。とても素晴らしい声をお持ちね。こんな声なら悪魔すら聞きほれて戦いを忘れてしまいそう。」


私の言葉に、少年は自虐的な笑みを浮かべましたわ。あら?ほめたつもりでしたのに傷つけてしまったのかしら?


「君もそういうんだね。いや確かに、そのための歌だよ。悪魔に聖なる調べは毒だ。そして天使にとっては聖なる歌が救いとなる。僕は戦場を音で支援する、戦えない支援する能力の天使なのさ。それに、この声だってもうすぐ終わり。声変りがきて歌えなくなったら、僕は不良品の烙印を押されてしまう。」


声変り…確かに、そんな現象もありましたわ。そうしたら、確かにこの声は今しか出せないのでしょう。でも、と私は至極当然の疑問を口にしました。


「あなた、声が低くなろうと歌えばいいと思いますわ。これだけ上手に歌えるのなら、たとえソプラノじゃなくたって、清浄な雰囲気はかわらないと思いますし。」


私の言葉に、少年は暫くの間黙っていましたわ。でもやがて、絞り出すように声を紡ぎます。その声音は、やりきれなさと悲しみを含んでいました。


「そうできたら、どんなに良かったか。僕だって、できれば声が変わろうと歌い続けようと思ったさ。テノールだろうとバスだろうと、聖なる調べは変わらないから。でも、それじゃダメなんだ。声変りがきたら終わってしまうボーイソプラノ、その期限付きの声だからこそ、聖なる調べは力を持てる。声変りのあとにどれだけ歌おうと意味はない。きっと僕はもうすぐ、悪魔を引き寄せる餌にでもされるんだ。」


そして少年は、そのままうなだれてしまいました。私は眉を八の字に下げます。少年の才能は素晴らしく、たとえ声が変わろうとその美しさは本当に変わらないでしょうに。民草の前に出て、戦場を満たすその美しい調べを聞かせてあげれば人々は喜ぶでしょうに。生きることすら許されず何もかもを、築いてきた総てを奪われるなんて。


私は、怒っていました。こんな素晴らしい声を、こんな可憐な少年が必死につかみ取った歌声ちからを、身体的な成長によって無理矢理取り上げられるだなんて。


きっと、人造人間として、この考えは間違っているのでしょう。悪魔に死をもたらせないなら、人造人間わたくしたちの存在意義はないに等しいのですから。


それでも、こんな幼気な少年が、こんなに必死に彼なりに戦う少年が生きられない世界なんて、守る価値があるのでしょうか?


私は、最強となるべく創られた「希望」です。とはいえまだ訓練も受けていませんし、戦場で悪魔と相まみえたことすらありません。それでも。


「希望」という名を授かったのなら、誰しもに、たとえそれが道具のように扱われる人造人間てんしであろうとも。


同じく道具てんしとして生まれてきた私をも救えるような、そんな「希望」として誰かを守りたい。


だから私は暗号名すら知らない少女のように無力で可憐で、でも誰よりも強い意志のある少年に、とびっきりの微笑みを向けました。


「大丈夫です、あなたは絶対に、生きてていていい存在ですわ。だってこんなにも美しい声が戦場の不協和音を掻き消してくれるなら、私はたとえ力を授ける声でなくとも、その調べに合わせて舞う名誉で勇気をもらえるでしょうから。」


こちらを見上げ、私を見上げる少年に、慈しむように手を伸ばしました。



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