リトルガーデン

鉄 百合 (くろがね ゆり)

リトルガーデン

カツリ、カツリ。静寂が満ちる空間に、一人分の靴音がよく響いている。


靴音の主は、美しい少女だった。


黒く艶のある肌、すらりと伸びた細い手足と整った顔立ち。ぱっちりとした瞳は紫色に怪しく煌めき、腰までまっすぐに伸びた肌よりなお黒い濡れ羽色のストレートヘア。


太ももにまかれたガーターベルトに、薬品の入った試験管を何本か挟み込んでいて、少女の美しい指先が戯れに蓋をいじっている。


漆黒を体現したような美しい少女は、電気もほとんどついていない暗い空間を歩いていた。その足取りは迷いなく、少女は何かを目指して歩いているようだった。


カツリ、カツリ。少女が履いている黒いピンヒールが音を響かせる。


カツリ、カツリ。ピタ。歩く音が止まり、空間には再び静寂が満ちる。


少女が止まった場所。そこには「これより先立ち入り禁止」の文字が地面にでかでかと踊っていた。少女はその場所にとどまり、じっとその先を見つめる。


少女が見つめていたのは、透明なカプセルだった。SF映画に出てくるコールドスリープ装置のようなカプセルだ。それが一つ、縦長になるように置かれている。カプセルのはるか上には天窓があり、天窓からは三日月の光が降り注いでいる。


カプセルはワイヤーで宙に吊られており、繋げられている何本ものチューブが地面に垂れ、その先の何かのタンクとつながっている。カプセルの中は薬品で満たされ、時折気泡が水面へと昇っていく。


カプセルの中には、一人の少女が入っていた。


不健康なほどに細い、骨と皮ばかりの長い手足。生気はまるで感じられない、蝋のように真白な肌と髪。半分ほどまどろむように開かれた瞳は、鮮やかな紅。そして、いまカプセルを見つめている少女と瓜二つの美しい顔立ち。


カプセルの中で揺蕩う少女は、ただ目を開いたり、閉じたりしながらまどろんでいる。そして、少女の入ったカプセルには、「人類の希望」と刻印されたプレートが付いている。どうやらそのプレートが、少女の暗号名コードネームのようだった。


カプセルを見つめる漆黒の美少女は、誰に言うでもなく呟く。


「貴方に罪はない。たとえ貴方が試験管から生み出された、人造人間てんしだったとしても。人でなくても、あなたの創造主マスターが大切にしてくれるなら、慈しんでくれるなら、私は今ここにいない。」


そこで漆黒の少女は、大きく息を吐きだした。そして、何かを決意したような紫の瞳で、カプセルの中の純白の少女を見据える。


「私は、創造主から貴方を盗む。貴方には私のように『堕天使』になって欲しくないの。『盗まれた天使』として、惜しまれる者であってほしい。だから、あなたに翼が生えたら、私がお迎えに上がるわ。」


そう言い終えた漆黒の少女は、背中から大きな真黒の鳥の翼を生やして天窓から飛び去った。少女が消えた直後、けたたましいサイレンと多くの足音が静寂を破る。多くの武装した人間が、銃を構えて突入してきたのだ。どいつもこいつもガタイがよく、生粋の武人といった風である。


その中でもひときわガタイのいい、猛者の雰囲気を纏った大男が無線機で通信する。


「監視カメラに異常のあった、『人類の希望』のカプセルルームですが、侵入者の痕跡もなく正常です。映像モニターまたは感知センサーのバグの確認を要請します。その他ありますか、どうぞ。」


【ご苦労だ、第三部隊分隊長。ないとは思うが、『堕天使』の可能性だけ探っておいてくれ。お前ひとりで事足りるだろう、『人類の希望』の安息のため、部下は全員下がらせろ。お前もなるべく静かに動くように。『人類の希望』は今までの中で最高傑作なんだ。丁重に扱ってくれたまえよ。】


「了解しました。ではこれより、単独での詮索行動を開始します。対象は『堕天使』にセット。カプセルルームを一時閉鎖しますが、よろしいですか?」


【かまわんよ、やりやすいようにしてくれたまえ。では、よろしく頼むよ】


大男は無線機をホルダーに戻し、部下たちに指令を出す。


「よし、お前らは撤退だ。俺は今から単独行動して、それから帰還する。気をつけろよ、今は緊急宣言アラートが解除されてるからな、50デシベル以上の音を立てたら殺されるぞ。っし、わかったやつからとっとと帰れ!」


ぞろぞろと屈強な男たちが退室していき、部屋には男一人が残った。


「ったく、人使いの荒らい。この俺を詮索に使うなんて、贅沢な野郎だ。」


そのまま夜は更けていった。




【天使を鳥かごに閉じ込めて聖なる戦いを制すべし。偽物の人造人間に、仮初の自由と安らぎを。数多の天使が大空を飛び、星空は戦場へと瞬きの間に姿を変える。柔らかな真白の翼を携え地に堕ちるまで、命散るまで舞い続けよ。生きた兵器よ。】


謳うように柔らかな声が、世界中で幾度となく繰り返された文言を紡いだ。ぶかぶかの白衣を纏った一人の女性が、手に持った分厚い本をパラパラとめくる。


【聖書もいいかげんだね、天使に全部丸投げなんてさ。そんなことしなくたって、この私が全部解決してあげるっていうのに。もうすぐ完成するこの薬ができれば、人造人間なんてまがい物はいらなくなる。】


女性は傍らに置かれた薬品棚から、ビーカーを取り出す。そこには、燐光を発する液体がなみなみと入っていた。


【うん、イイ感じだ。発光してるし、濃度も申し分ない。そろそろ次の段階に進むかな。待ってろよ、救世主のふりして動いてる人造人間きかいじかけども。】


彼女は忌々しそうに、吐き捨てるように呟いて、ビーカーを薬品棚に戻した。そして今までいた部屋をでて、「人類の希望」の眠るカプセルルームへと向かう。


カプセルルームについた彼女は、鼻歌交じりに人造人間どうぐの眠るカプセルまで歩を進めた。


【うんうん、さすがは私が作った「最強」だ。ステータスは全て限界突破、授かる力も確定で戦闘系統。翼はきっと、どの天使より大きくて純白だろうなあ。…本当にあの子にそっくりだ。】


思わず漏れ出た最後の言葉に、彼女は自虐的に笑う。


【救世主になった時から、あの時のこともあの子のことも、思い出さないって決めたのに。私もあの子もほんとうに、馬鹿だ。疑いもしなかった、迷うこともなかった、それが仇になった。あの子はもう、戻らないのに。】


幼い容姿に見合わない、艶のある声が震える。一筋の涙が、救世主と呼ばれる研究者の頬をつたって流れ、真っ白な床にポトリと落ちた。


彼女は泣き続ける、この部屋を出るまで。彼女にとって誰より大切だった、あの子に生き写しな道具てんしを見つめたまま。




この世界は、いつからか狂ったようだ。人々は今までと何ら変わりなく、田畑を耕し戦争をし、金をめぐって世界が動く。それが永遠に続く平穏だと思い込んで疑わなかった、疑う必要もなかった。そんな当たり前の停滞した世界は、ある一日でひっくり返ってしまった。


この世界に、悪魔がやってきたことで。


そいつらは不治の病をまき散らした。悪戯に国を壊した。圧倒的なまでの力で武器を悉く破壊した。命を弄び、人々の願いを踏みにじって笑った。


各国はこの事態に大層怒り狂った。とにかく悪魔をどうにかしよう、というのが、世界の出した結論だった。


ただ悪魔には既存の武器は効かない。どうしようかと頭を悩ませていたときに、かねてより進んでいた人造人間の研究の技術的な躍進があった。今まで簡単な命令しか遂行できなかった人造人間が突如、飛躍的に進化したのだ。超常の力を宿し、改造したものは空をも飛び、美しい容姿を手に入れた。


そして世界にとって朗報だったのは、人造人間の戦闘力だった。


人造人間はその身一つで悪魔と渡り合い、打ち倒すことができた。人造人間は量産もある程度でき、兵器として十分使える。そのため、今では生きた兵器として、多くの国が人造人間を使っている。


そして当たり前だが悪魔にいつでも勝てるわけではない。とくに、「大公」の名を持つ四大悪魔にはただの人造人間が何人束でかかろうと返り討ちになってしまう。


そこで世界は、強化された人造人間を欲した。より強く、勝ち続けられる兵器としての人造人間を。


その結果、とりわけ力が強く創られた人造人間には、名前が付けられた。(例えば圧倒的な速度で悪魔を打ち倒す人造人間は「閃光」と呼ばれた。)


今、世界は人造人間の防衛によって成り立っている。陰ではたくさんの人造人間が死んでいるのを知らず、民草は平和ボケを享受している。


この世界の真実を知るものは、この世界の惨状を嘲笑う。


「所詮、人外の気まぐれで成り立っているこの世界で、のうのうと生きられるのは人類の傲慢さ故だ。この世界など、神が気まぐれに作ったものにすぎない。」


だからこそ、この世界の陰の功労者を知るものは、この世界をこう呼ぶ。


実験場ラットワールド、奴隷の戦場、そして。


神々が悪戯に作った小さな箱庭、リトルガーデン、と。

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