第二十五章 ④それから(テツメンピ)

 所沢市・公営住宅。

 夜九時。レンジは来客用駐車場に向かって足早に歩いていた。

 ……やった! ナナがプロポーズを受けてくれた! こんな俺に、温かい『家族』ができた! ああ、顔がにやける。嬉しくて叫びたい。

 家族と過ごした時間は余りに幸せだった。出来るならあのまま滞在たいざいして住み着いてしまいたかった。……しかし仕事の都合もあって一旦帰宅する。今の心境はまさに『後ろ髪をひかれる思い』なのだ。


 …………? 

 愛車アルファードのまわりに人だかりができている。ひとりの女性が俺を指差した。すると甲高かんだかい悲鳴が上がった。あっという間に取り囲まれてしまった。

 「きゃあっ! やっばい!」

 「マジで本物よっ! 素敵ねえ!」 

 「きゃはは! サインちょうだいっ」

 あまりの威勢にたじろいだ。そして思わず苦笑いした。

 この中年女性陣には見覚えがあった。それは以前、ナナを罵倒侮辱じょくしていた中年オバサン集団だったのだ。

 

しかし大人の対応をする。

「ああ、サインですか? いいですよ」

 集団は芸能人オーラに見惚みとれてメロメロだ。ベタッ、ベタッ、無遠慮にボディタッチする。ジシャシャシャシャッ…………、至近距離でスマホのカメラを連写する。

 そうして好き勝手に盛り上がる。

 「やっだあっ! ぶりっ子羽衣ちゃんの父親が俳優レンジって、本当だったのねっ」

 「マジでショック!」

 「だけど要するに! レンジさんとナナちゃんの関係は、『若気の至り』のアクシデント(災難)だった、ってことよね!」

 「なるほどっ! 一時いちじの気の迷い(一時の魔酔まよい)で売春女子中学生と遊んじゃって、妊娠させちゃったってわけねっ」

 「あっ、もしかして! 貧乏家族から『慰謝料』請求されちゃった?」

 「やっだあ、マジ最悪!」

 「羽衣ちゃんはうっかりの『失敗作』でしょう? あんな出来損ないに慰謝料なんて必要ないですよっ」

 

 女たちは意地の悪いみを浮かべる。

 「そうだわ! レンジさんは何にも知らないだろうから、親切な私たちが教えてあげないと!」

 「そうよね! もしもほだされてだまされたら大変ですもの!」

 「じつは……、とっても言いにくいんですけど……。『ナナちゃん』は、絶対にやめておいたほうがいいですよ?」

 「噂ですけど……、男にだらしなないらしいですよ?」

 「それにほらっ、敬語もなってないし? 中卒だからお馬鹿さんでしょう?」

 「ナナちゃんに出来るのは、簡単なアルバイトと親の介護だけ!」

 「そうそう! 生活に追われて疲れ切っているのに『全然大丈夫!』なんて笑って嘘をつくんです。見栄っ張りの鈍感女どんかんですよ」

 「見た目もみすぼらしいのよね。それに貧乏すぎて旅行どころか浦安遊園地ディズニーにさえ行ったことがないらしいですよ?」

 「やっだあ! 信じられないっ」

 「あんな野暮やぼったくて冴えない女と親しくしたい人なんて何処どこにも居ないわよね!」

 「もしも万が一、『再婚』をお考えでしたら、今すぐに考え直してください」

 「そうよ! 間違いなく『俳優レンジ』のイメージが大幅にダウンするわ!」

 「人気だって急降下しちゃいますよ?」

 「私たち、ナナちゃんのことが大っ嫌いなんです!」

 

 レンジは静かにいきどおる。

 ……なんて厚かましい嘘つき連中なんだ! こいつらは事実を知らない。複雑な経緯けいいを知らない。それなのに捏造話ねつぞうばなしをさもありげに吹聴ふいちょうしている。

 ……俺とナナの未來をビリビリに引き裂こうとしているのか? 親切者を装って、家族のきずなを破壊するつもりなのか……?

 「申し訳ありませんが! 貴女方あなたがたが誰を好きでも嫌いでも一向いっこうに構いません。しかし、俺の『家族』が侮辱ぶじょくされる筋合いはありません。『親族』に対する嫌味や悪口を面と向かって聞かされて、気分を害さない人間は何処どこにもいませんよ? 貴女あなたがたこそ非常識ではないですか? 大変、不愉快です」

 

 …………ヤバッ! 

 集団はレンジが不機嫌になったのを察した。即座にアイコンタクトを交わして戦略変更をこころみる。

 「いえっ、あの、違うんです! 私たちはナナちゃんのことが心配で……」

 「そっ、そうです! 実は私たち、ナナちゃんの友人なんです!」

 「そっ、そうそう! 『親友』ですっ」

 「同じ公営住宅と近所のタワーマンションに住んでいる『ご近所さん』ですっ。ナナちゃんとは大の仲良しです」

 「きゃはは! 私たちは間違いなく『良い人』ですからご安心ください!」

 「いつも『介護は大変ね、えらいわね』って。優しく声をかけてあげているんですよ?」

 「ナナちゃんは周囲から馬鹿にされていますけど、私たちは『味方』なんですよ?」

 

 レンジはチクり、くぎを刺す。

 「ああ、そうですか。貴女あなたがたは、思慮深くて親切な人間だ……、というのですね? そして俺の家族を大事にしている……、というのですね? それはそれは、厚く御礼申し上げます」

 「そうです! その通りですう」

 「いえいえ! どういたしましてっ」

 「それにしても! サユミさんが『レズビアン』だったなんて、ビックリですよね?」

 「ほーんと! あんなにエレガントな美女だったのに! 今じゃ、まるで男みたい! ガッカリよね」

 「だけどそれでも、ナナちゃんよりは全然イケてるわ!」

 「やだあ! そんなの当たり前! 大女優と地味女を比較しないでよっ」

 「きゃはは! ナナちゃんと比べたら、私たちのほうがお似合いなんじゃない?」

 「そうかも! だって私たちは外見も内面も磨いているからっ!」

 

 レンジはつくづくあきれ返った。

 「ああ、なるほど……。どうやら貴女あなたがたは、以前の『俺』によく似ています(自己中心的で心がねじ曲がっている) 。きっと心が美しくなれば、さらに美人になりますね?」

 女たちはなぜか図に乗った。

 「やだあっ! 美人、ですって!」

「きゃあっ! 光栄ですぅ!」

 「嬉しいわあ! 一緒に写真撮ってもいいですかあ?」

 レンジはきっぱり断言する。

 「俺にとって、ナナは誰よりもいとしい女性です。羽衣や義父母は大切な家族です。……賢明けんめい皆様方みなさまがたにお願いがあります。今後は貴女方あなたがたやいば矛先ほこさきは俺ひとりに向けてください。『俳優レンジ』をお気の済むまでコケにして、嘲笑あざわらって、罵倒ばとうしてください。できれば陰口ではなく盛大にお願いします」

 「……?」

 女たちは訳が分からずポカンとした。

 「それでは、失礼っ」

 バタン……ッ! 愛車に乗り込んだ。

 

 ……ああっ、忌々いまいましいっ! ムカついて血管が切れてしまいそうだった。しかし不遜ふそんなあいつらは、以前の『俳優レンジ』と同類どう人種るいなのだ。

 自分に甘く他人に厳しい。物事は自己都合のメリット・デメリット(損得)のみで判断する。周囲を巻き込んで攪乱かくらんさせてその場しのぎの嘘をつく。状況が変わって責め立てられれば速攻で手の平を返す。もっともらしい言い訳をして、責任てん転嫁して、優位な側にびを売る。

 無遠慮で厚かましい『鉄面皮てつめんぴ』め! 恐らくきっと救いようがないだろう。

 

 ……いや? 待てよ。もしかすると『未來のチャンス』は誰にでも等しく与えられているのか……?

 遥か彼方かなたの『天上界』は戦慄せんりつするほどシビア(峻厳しゅんげん)である。その一方に千万無量せんまんむりょうの慈悲がある。さすれば『悔恨かいこん』や『改悛かいしゅん』によって『恩賜おんし』に浴する可能性がある。そしてそれは恐らく、誰彼だれかれの差別なく『平等』に与えられている……。

 間違いない! 素直に得心した。さらにはそれを証明できる。

 なぜなら、最低最悪の『鬼畜レンジ』でさえもゆるされ、すくい上げられたのだから…………。

 

 さらば! 同類『テツメンピ』よ。悪いが俺は先に変わるぞ!

 俺には守るべきものがある! 大切な人たちのために、愛する人のために、踏ん張って生きていく! 

 「よしっ! これから忙しくなるぞっ」

 レンジは真っ直ぐ前を向いた。

 幸せな未來に向かって、輝かしい明日に向かって、アクセルを踏み込んだ。

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