第二十五章 ③それから(家族)

 所沢市・公営住宅。

 レンジは真っ直ぐに想いを告げる。

 「ナナさん! 本当に俺をうらんでいませんか? 本当に怒っていませんか? 本当に慰謝料はいらないのですか?」

 ナナは怪訝けげんがおをして首をかしげた。

 「……? 恨んでないし、怒っていません。それに全然苦労していないので慰謝料はいりません」

 「本当に……? もしそれが本当ならば、俺に『同情心』をくれないか?」

 「同情心……?」

 「あわれな俺をひろってくれ! 俺をナナさんの『夫』として、羽衣の『父親』として、『家族』として、迎えてくれ! 俺は天涯こどく孤独男おとこだ。もしもナナさんがひろってくれなければ、この先ずっと独りぼっちだ」

 「え……? えっと……」

 「もしも俺を家族に迎えてくれたなら、精一杯に働く。少しでも役に立てるように努力する。それに、信じてもらえないかも知れないけれど、俺の初恋はナナさんだ。自分から誰かを好きになったのは、あとにもさきにも一人ひとりだけだ」

 「……う、そ」

 「ご両親と羽衣に誓います! 俺は一途いちずにナナさんを愛し抜きます! だからどうか俺と結婚してくださいっ」

 「…………」

 「ナナッ! 孤独な俺を助けてくれっ! 愛する家族と共に、残りの人生を歩みたいんだ……。頼むよっ! お願いだ……っ」

 かたくなだったナナの心は揺らいでいた。大きな瞳から涙がぽろり、こぼれて落ちた。

 ジイジとバアバは嬉しそうに目を細めてうなずいている。

 羽衣がかす。

 「ママッ! もう意地を張らないで素直になってよっ! ほらっ、早く早くっ! プロポーズの返事をしてあげてっ」

 

 ナナは遂に観念した。

 「本当に、私でいいのですか? 美人じゃないし、勉強もできないし、親しい友達はいないし……。恥ずかしいけど自慢できる取り柄がひとつもないの。だからレンジさんまで笑われてしまったら…………」

 レンジは半べそ顔で首を横に振る。

 「俺はナナがいい! ナナが世界で一番だ! 俺にとって、きみよりいとしい人間は存在しない。……ナナ、俺たちの天使を産んでくれてありがとう。羽衣を立派に育ててくれてありがとう」

 「……は、い」

 「過ぎ去ってしまった時間ときは、もう取り返せない。だけどこれからの『未來』は、家族みんなで力を合わせて仲良く暮らそう。ナナ……、俺と、結婚してくれますか?」

 「はいっ! レンジさん、おかえりなさいっ」

 

 ジイジとバアバは涙ながらに歓迎する。

 「おか、えり……。おめでとう……」

 「本当にもうっ! いい加減、待ちくたびれちゃったよ! おかえり、レンジさん」

 羽衣は声を張り上げる。

 「パ、パパッ! おかえりなさいっ!  帰ってきてくれてありがとうっ」

 「ナナ! 羽衣! お義父さん! お義母さん! だいぶ遅くなりましたが放蕩ほうとう婿むこが帰って参りました。こんな俺を待っていてくださって……、ありがとうございます……。本当に、ありがとう…………」

 そしてレンジは万感ばんかんの思いを込めて告げた。

 「ただいまっ!」

 

 ようやく家族がそろった。レンジはせきを切ったようにしゃべり出す。

 「よしっ! それじゃあ早速、指輪を買いに行こう! あっ、待てよ……。その前に婚姻届だな! まずは役所に行かなくては……。ああっ、そうだ! 家族がそろって暮らせる新居を決めなくてはいけないな。ナナは都内がいい? それとも…………」

 ナナは慌てて言葉をさえぎる。

 「待って待って! ちょっとだけ待って! まだ混乱していて頭が追いつかないの。だからひとつずつ、ゆっくりでいいかな?」

 レンジは照れながら笑う。

 「あっ、ああっ、そうだよな。つい嬉しくて焦りすぎた。年甲斐もなくはしゃいでしまった……。カッコ悪いよな? ごめん……」

 「うっ、ううん! 私も、嬉しい、よ?」

 レンジはナナの両手を包み込む。

 「ナナ! 俺をひろってくれてありがとう。これからのことは家族で相談して、ひとつずつ決めていこう」

 「うんっ! なんだか、夢みたい……」


 バアバは勢いよく立ち上がる。

 「さあさあっ! レンジさんの手土産のお菓子でもいただこうかねえ! すぐにお茶を入れるからね」

 羽衣が説明する。

 「ダロワイヨのマカロンと、柳家のたい焼きだよ! どっちも美味しいのっ!」

 ジイジが笑う。

 「どっちがいいかなあ。マカロンってのも食べてみたいけど……。たい焼きも捨てがたいなあ……」

 「ねえ、パパ! 両方食べていい?」

 「ああ、ははは! よーし、全部食べてしまおう! また買ってくるからな」

 ナナはすかさず注意する。

 「レンジさん! あんまり甘やかしちゃダメッ! それに節約を覚えてくださいっ」

 「ああ、そうか、そうよだな……。はは、ママの言うことが正しいな。これから気をつけます」

 「うん。だけど、今日は特別だから……、両方、食べていいです……」

 羽衣とバアバは笑う。

 「やったあ! 今日はお祝いだから特別だよね! パパッ、夕ご飯も一緒に食べようねっ」

 「そうだね。レンジさん、何が食べたい?」

 「え? 夕飯……? ご一緒して、いいのですか?」

 「あははっ、何を言ってんの? 家族なんだから当たり前でしょっ! それじゃあ、羽衣の大好物メニューにしようか!」

 「やったあ! ママの特製唐揚げと、バアバの炊き込みご飯、大好きっ」

 

 レンジは感慨かんがいにふける。

 目の前のちゃぶ台に温かいご飯とおかずが並んでいる。家族がつどって雑談に花を咲かせている。ささやかな日常に愛があふれて満ちている。

 ……俺は『えせの世界』で華々しいポジション(地位)を得ていた。美食を極め、セレ生活をひけらかして、偉そうに踏ん反り返っていた。世間せけんからの羨望せんぼうと評価のみをほっしていた。

 虚栄きょ虚飾えいに支配されて心身がむしばまれていた。いつも何かが足りなくて何かをほっしていた。しかし欲張っても欲張っても満たされなかった。どれだけ多くを得てもからっぽ(空虚)だった。

 ああ、涙が止まらない。なんて柔和にゅうわなのだろう。どうやら人間は、慈悲深い優しさに包まれたとき、勝手に泣けてくるらしい。

 

 『本物の幸せ』とは、思いやりの積み重ねでしか手に入らない。派手ではないけれど、温かくて尊い……。まさに、その通りだった。

 他愛たあいない『ひと時』にはかり知れない値打ちがあることを知った。

 俺はお義父さんから差し出された右手を、ぎゅっと握りしめた。

 きっとあの瞬間に、『真心まごころ』をつかんでいたのだろう…………。

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