第二十五章 ②それから(ナナ)
所沢市・公営住宅。
向かい合うのは『ジイジ』と『バアバ』と『ナナ』だった。
今日の羽衣はアービトレーター(
「ほらっ! ママ、ジイジ、バアバ! レンジさんが来てくれたよ! 大切なお話があるんだって」
レンジは頭を下げる。
「本日は貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます」
シン……、気まずい。あまりに
ナナは顔を
沈黙を破ったのは
「……ご用件は?」
「あっ、はいッ! ……二十三年前、当時中学生だった『ナナさん』を妊娠させた『犯人』は自分です。どうしても謝罪をさせていただきたくて厚かましく参上いたしました」
バアバは思わず口を
「犯人って……。そんな
「いや……。俺は極悪非道な
ジイジがぼそり、
「俳優レンジは、『鬼畜』か……。そうかも、なあ……」
「……今さらどの
レンジは
バアバはため息をもらす。
「あのね? ナナを妊娠させたのが俳優のレンジさんだってこと……。そんなの
「……え?」
「養育を認める条件として、
「そう、だったのですか?」
「そう……。すべてを知っていた。そして、すべてを承知の上で黙っていた。……これが家族の意志なのよ。だから今さら
「いやっ、しかし! 俺のせいで人生が狂わされて、とんでもないことにっ……」
「そんな、大げさな……」
「そして何より!
「いしゃ、りょう……?」
ナナはおもむろに顔を上げた。レンジをキッ、
「すべては過ぎ去って終わったことです。だから今さら、罪悪感を持たなくて大丈夫です。謝罪の気持ちは受け取ります。だけど慰謝料は
思いがけない言葉にレンジは動揺する。
「え? い、いや? 羽衣はすでに成人しているから『
「
「いっ、いや、待ってくれ! この金は取引きのつもりではないんだ! せめてものお
「だったら
羽衣は怒り出す。
「もうっ、ママったら! レンジさんの
「……泣いてないっ」
「意地っ張り! 頑固者っ! 押入れに隠してるママの『宝物』のこと、知っているんだからっ!」
羽衣は押入れの奥から水色の収納ケースを引っ張り出してきた。ごそごそ取り出したのは『ザ・ラッキーラビット・オズワルド』のトートバッグだった。
「ほら、レンジさん! これを見て?」
バッグの中には数冊の大学ノートが入っていた。渡されたノートをペラペラ、めくって見る。
大学ノートはスクラップブックになっていた。週刊誌や新聞記事の切り抜きが丁寧に貼り付けられている。そのひとつひとつに
【秋の新作ドラマ・刑事役で主演決定! 嬉しい! 楽しみ!】
【被災者支援! レンジさん、素敵です】
【女優サユミさんと結婚! 美男美女、お似合いだなあ……】
【羽衣と不倫? (絶対にこれはデマ)】
スクラップブックは『俳優レンジ』でいっぱいだった。
羽衣はさらに畳みかける。
「それからね、この封筒を開けてみて? これはママが一番大事にしている宝物なの!」
それは無地の茶封筒だった。おそるおそる中身を確認する。そこには『一万円札(諭吉)』が二枚、入っていた。
ぶわっ、レンジの視界は涙で
「ナッ、ナナさん……! これはまさか? あのときのっ…………」
ナナは動揺を隠せない。目を泳がせて
バアバはしみじみ語り出す。
「あれから、二十三年も
「あ、は、はい……」
「
「はい……」
「そうしたら『大好きな人との赤ちゃんなのっ! だから絶対に自分で育てるっ』って、その一点張りでね……。ナナは情が深いうえに
「ナナ……さん……」
「だけど私はどうしても納得いかなくてね……。テレビで『相手の男』を見るたびにムカムカして、憎たらしくて! それはそれは
「それは……、当然です」
「だけどねっ! いざ孫(羽衣)が産まれたらっ! そりゃあもう可愛くって可愛くって! 憎しみやら口惜しさなんか、どこかに吹き飛んで消えちゃったのよ」
「しっ、しかし! 長きに渡って大変なご苦労を……っ」
「苦労? ……したかしらねえ? 確かに何かにつけて
「だいぶ、
「あははっ、平気平気っ! だってね、励ましてくれる人のほうが圧倒的に多かったの! それにね、我が家には『魔法のおまじない』があるのよ。ドリス・デイの名曲をペギー葉山さんが歌っていてね! 『ケセラセラ!』って元気に歌って笑い飛ばして、そうして乗り越えちゃった。だからもう昔のことは……、忘れちゃったよ」
バアバは陽気に笑った。
「おかあ、さん……」
レンジは胸がいっぱいになった。
多発性硬化症(MS)を
「……握手を、して、くれないか?」
「え? あっ! はいっ!」
レンジはジイジの手をぎゅうっ、力強く握りしめた。
「……待っていたよ。レンジさんがここに
「え……?」
「……顔を隠して、ジョギング姿で、何度か
「俺に……、気づいて、いたのですか?」
「うん。……ナナの顔が見たくて、わざわざ来ていたんだろう? ははは……、どうやらやっと、
ジイジは穏やかに笑った。
「おとう、さん……っ」
レンジは義父母から勇気をもらった。
そうして強く決意する。ナナの正面でいずまいを正した。
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