第二十四章 ④審判(処罰・パニッシュメント)

 映画館・ステージ上。

 空気が変わった。

しょうは閉じたまぶたの外に差し込む光を知覚しておもむろに目を開けた。ふと気づく。頭にかぶっていた遮光頭巾きんが消えていた。

 しかしまだ観客席の『時間とき』は動いていない。まるで静止画像のようにピタリ、止まっているのだ。

 きょろきょろ、辺りを見渡す。すると足元に小ぶりな『みかん』がみっつ、並び置かれていた。 

 ぼそり、つぶやく。

 「ああ、これが……、『邪払ジャバラみかん』か」

 

 レンジはステージの床にして泣いていた。

 輝章はスッ、手を差し出す。

 「あの、もし良かったら……。つかまってください」

 レンジはビクッとして顔を上げた。気まずい心地にわずかに躊躇ためらった。しかし、おずおずと手をつかむ。支えられながら立ち上がった。

 「あ、あの……。ありがとう……」

 「はは……、だいぶボロボロですね」

 レンジの顔は泣きすぎてれぼったい。ワックスで整えられていた髪も吹き荒れた突風で原形をとどめていない。高級オーダースーツはほこりまみれになっていた。

 輝章がぱんぱんとほこりを払い落とした。

 「ああ、参ったな。ヨレヨレだ……」

 「僕も、ボサボサです……」 

 ふたりはいささかばつが悪かった。しかしまるでき物が落ちたかのような静穏せいおん面持おももちに変わっていた。

 

 羽衣ういはうずくまって泣きじゃくっていた。やはり遮光頭巾きんは消えていた。

 「……大丈夫?」

 輝章が腰をかがめてのぞき込む。羽衣の大きな瞳からは涙が止めどなくあふれ出ていた。

 ジャケットのポケットからハンカチを取り出す。そっと涙をぬぐっってあげた。

 「ほら、僕につかまって?」

 「わっ、あっ、あのっ! ありがとうございますっ」

 羽衣の涙はピタリ、止まった。ほおと耳を真っ赤に染めて、差し出された手をつかんだ。

 

 輝章は床に並んだ小さいみかんをひろう。

 「さあ、レンジさん、羽衣さん! 『処罰ばつ』を有り難くいただきましょうか!」

 「はいっ」

 羽衣は大きな声で返事をした。レンジは神妙な面持おももちで首肯しゅこうした。

 つやのないしわしわの皮をむく。そうして、ポイッ、一房ひとふさを口に放り込んだ。

 「…………! ううう?」

 「うっ、わあっ! っぱああああいっ」

 「ゴホッゴホッ……、ゔゔっ、ぐぐっ……」

 三人の顔はくしゃくしゃになった。あまりの酸っぱさに思わずむせかえってゴホゴホ咳込せきこんだ。

 涙目になった輝章は苦笑にがわらいする。

 「これは……、なかなか素敵な制裁ですね」

 「……はい」

 「……本当に」

 なぜだか笑いが込み上げてきて吹き出した。ひとしきり笑った。

 

 がやがやがや…………

 観客席がざわめいている。いつの間にか会場に熱気が戻っていた。静止していた『時間とき』が動き始めたのだ。

 輝章はすぐさまマイクを握る。観客席に向かって言葉を発した。

 「『リレーション・えにし』、いかがだったでしょうか? とある家族の、とある『きずなの形』をくり抜いて、映像化させていただきました」

 盛大な拍手と歓声が起こった。

 「そして本日は、皆さまにご承知おきいただきたい『重大発表』があります! ……この作品の出演者であるレンジさんと羽衣さんは、『実の親子』ですっ!」

 

 ザワッ? ザワザワザワッ…………!

 観客席がどよめいた。無数のフラッシュが光る。芸能記者たちは驚愕きょうがくして身を乗り出す。

 「映画のシナリオではレンジさんと羽衣さんは愛人関係にありました。しかし当然ながらそれはフィクション(虚構)です。そして世間を騒がせている不倫の噂は完全なるデマ(流言)です。真実はただひとつ。おふたりが正真正銘の親子である、ということです」

 スマホに速報ニュースが流された。

 「生きていく道のりには複雑な問題や葛藤かっとうがあります。無論むろん、レンジさんと羽衣さんの経緯いきさつにもつらい事情があったのだろうと推察すいさつできます。もしかすると大きく間違えた行動を取っていたのかもしれません。

 しかし、離ればなれだった父と娘がきながらも精一杯に生きてきた。だからこそ『現在いま』が存在しているのだと思うのです。 

 そこで、皆さまにお願いがあります!

 レンジさんと羽衣さんが必死に乗り越えてきた『過去』を興味本位に詮索せんさくして掘り返すのはやめませんか? この先の親子の姿を気長に見届けて、そしてそののちに『未來』の評価をしていただきたいのです!」

 観客は共感して拍手でこたえた。

 

 輝章はえりを正す。

 「それからもうひとつ、お伝えしたいことがあります。……僕には、心から尊敬する女性ひとがいます。彼女は本来ならば決してゆるせないことに対しても慈悲心を向けます。幸せを願って背中を押してくれます。彼女は長所を見出す意義と、惜しまず与える尊さを骨のずいに染み渡るまで教えてくれました。

 僕は今ここで決意表明をします。……この先の未來は、彼女の『透明な心』に恥じない生き方をしていきます!」

 

 記者からの質問が飛ぶ。

 ≪輝章監督! それは監督の特別な女性ということですよね? 恋人、ですか?≫

 輝章は即答する。

 「いいえ、違います! 彼女には素敵な恋人がられます。聡明そうめいな彼女に相応ふさわしいパートナーは、残念ながら僕ではありませんでした。 本日は貴重な時間ときを共に過ごしてくださいまして、ありがとうございました!」

 清々すがすがしい笑顔で礼を伝えた。レンジと羽衣も観客席に深々と頭を下げた。

 

 会場はふわふわした空気がただよっていた。

 心身が癒されて優しさに包まれる。温かな慈悲を感じて満たされた柔らかい心地だった。希望が沸きあがってウズウズする。躍動やくどうの予感がただよっていた。

 『天赦てんしゃ光芒こうぼう』が降り注いでいた。

 

 控え室にて。

 レンジが改まってびる。

 「輝章監督! この度は……、あの、何と言ったらいいか…………」

 輝章は笑い出す。

 「あれ? なんでしたっけ? ジャバラみかんがっぱすぎて忘れてしまいました」

 羽衣が同意する。

 「もう本当にっ! 酸っぱすぎてビックリしちゃったっ! だけど凛花さんの言っていたとおり、お料理とかお菓子に使うとおいしいのかも!」

 「うん、確かに。いろいろな料理に合いそうだよね。今度取り寄せて自宅で試作してみようかな」

 「じゃっ、じゃあ! そのときには羽衣も誘ってください! こう見えて、お料理もお菓子作りも得意なんですっ! ご迷惑じゃなければですが……」

 ふと輝章は羽衣に視線を向けた。瞳を潤ませて恥じらいながらも勇気を振り絞っている。その切実さが、無性むしょうに『可憐かれん』に見えた。

 「……。そうだね。じゃあ、邪払ジャバラみかん料理を作るときには手伝ってもらおうかな?」

 「わっ、わあっ! はいっ!」

 羽衣は満面の笑顔になって飛び跳ねた。

 レンジの心中しんちゅうはバタバタ忙しかった。処理できないほど多くの感情が去来きょらいしていた。

 しかししんおうしずやかで清らかだった。

 

 映画館の上空。

 雲を突き抜けた遥か天空に『巨大不死鳥フェニックス』が空上停止していた。赤い炎を全身にまとったフェニックスの背には、スラリとした若い男性が立ち乗りしていた。

 その両脇には表裏ひょうりの龍王の姿があった。龍蛇神王燦りゅうじゃしんおうさんもん黄金おうごんりゅうおうトールはうやうやしく畏敬いけいしてひれ伏した。

 「未來王! この度は寛大なる『恩赦おんしゃ』をたまわりまして誠にありがとうございます……」

 「未來王の『天赦てんしゃ』に心よりの畏敬をひょうします……」

 未來王は微笑ほほえむ。

 「ハハ。おふたりにはあれこれと指示を出してしまって申し訳ありませんでした。まああとは人間の秘めたポテンシャルにあわく期待でもしてみましょうかね。さんもん、トール、ご協力ありがとうございました」

 「とっ、とんでもございません……!」

 「はっ! 恐悦きょうえつ至極しごくに存じます」

 「…………。もういい加減に、敬語はやめてくださいませんか? 古臭いのも堅苦しいのも好きではありません」

 「ああ、は、はあ……」

 「は……はい」

 「さあ、いよいよ次のステージです。今年の神在かみありつきが楽しみですね」

 「はっ!」

 

 未來王はたっときアルカイックスマイルを浮かべた。

 そしてその清冽せいれつ眼差まなざしは、到来するネオフューチャー(新時代)を見澄ましていた。

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