第二十四章 ②審判(懇願・クレイブ)

 映画館・ステージ上。

 レンジは頭上を見上げて懇願こんがんする。

 「もしも羽衣があなたと同じ目にわされたとしたら、俺は犯人を殺したかもしれません。

 たとえ殺せなかったとしても、強い憎悪ぞうおが消え去ることはありません。

 凛花さん、お願いです。どうか制裁をお与えください。」

 「……」

 「時すでに遅しではありますが、被害者家族の悲嘆や苦悩を理解できました。だからこそ、この罪は決してゆるされてはならないはずです。加害者は深く懴悔ざんげして最大限の制裁を受けるべきなのです」

 

 凛花は問う。

 「レンジさんにとっての『制裁』は何ですか? 自己満足のための手段ですか?」

 「え?」 

 「今ここで、あなたが命を捨てたとします。……それが一体何になるというのですか? 恐らく、愛娘まなむすめの羽衣さんは涙が枯れるまで泣き続けるでしょう。そして心に深い傷を負って、生涯を通じて天真爛漫てんしんらんまんな笑顔を失ってしまうかもしれません」

 「し、しかし……」

 「断言します。レンジさんが制裁によって永眠したとしても誰も幸せになりません。新たな苦悩の種がかれるだけです。単なる徒労とろうに終わります」

 「じゃ、じゃあっ、俺はどうしたらっ……!」

 

 凛花は毅然きぜんと告げる。

 「レンジさん、生きてください。恥も外聞がいぶんも捨てて、死に物狂いで生きてください。羽衣さんや大切な方々のために、踏ん張ってみてください。そして『本物の幸せ』というものが、ささやかな日常の中にあることを分かってください。

 本物の幸せは、温かくて尊い。決して派手ではありませんが、思いやりの積み重ねから得られるかけがえのないものです。

 ご家族と共に本物の幸せを掴んでください。そしてこれから先は、羽衣さんの自慢のお父さんになってください……」

 レンジはひざから崩れ落ちた。

 

 凛花はゆっくりと歩を進める。遮光頭巾きんを被った羽衣の目の前に立った。

 「こんにちは。驚かせてしまってごめんなさい。どうしても直接お伝えしたいことがあったので羽衣さんに会いに来ました」

 「羽衣に……?」

 「はい。私から羽衣さんに重要なお願いがあります。聞いていただけますか?」

 「は、はいっ。できることならっ……」

 「羽衣さんには、幼い頃から『神様』とか『サンタクロース』とか『彦星・織姫』に祈っていた『願い事』がありますよね? その全てをレンジさんに今すぐ伝えてください。レンジさんが叶えてくれます」

 「え、えっと……。でも、……いいの? だって凛花さんはレンジさんにひどい目にわされて……」

 「ふふ。あれ? どうだったかな? もしかしたら誰かに『忘却の魔法』をかけられたのかもしれません。覚えていません」

 「嘘っ! だってさっき在狼あるろうくんが言ってた。みかん畑で死んじゃう寸前だったって! 女性機能がぐちゃぐちゃに破壊されてしまったって! 痛くて苦しくて泣いていたって…………」

 「もう十五年前のことです。つぶさに覚えていません」 

 「……。ねえ凛花さん、これだけは正直に答えて? レンジさんのせいで赤ちゃんを産めない身体になっちゃったの?」

 「はい」

 「……! 本当なの? あ……、どっ、どうしよう……」

 「ですが今、私はとっても元気です。それにもうゆるしています」

 「本当にっ? もう怒ってないの? レンジさんをゆるしてくれるのっ?」

 「ふふ。はいっ! もう全然怒っていません! 

 時間がありません。幼い頃からの羽衣さんの『願い』を今すぐ伝えてください」

 「はっ、はいっ!」

 

 羽衣は『願い』を伝える。

 「羽衣はね、ずっと前からお父さんの帰りを待っていたの。いつか『ただいま』って帰って来てくれますように、って願っていたの。そしてママとジイジとバアバと一緒に仲良く暮らせますように。家族がそろってご飯を食べられますように。って……。いっぱい、いっぱいお願いしていたの……」

 「あ、あ、あ、嗚呼あああああああっ……! 過去の自分が憎いっ! 俺は『鬼畜きちく』だった。誰のせいでもない……。おのれの弱さと姑息さのせいだっ。俺は! 俺を殺してやりたいっ……」

 レンジはつんいになって泣き崩れた。肩を震わせて涙を湧き立たせた。

 尽きることのない悔恨の念がせきを切って止めどなく溢れ出していた。

 ぼたり、ぼたり……、大粒の涙がステージの床を濡らしていた。

 凛花は優しく微笑む。

 「レンジさん、私からもお願いします。どうか羽衣さんの『願い』を、叶えてあげてください」


 ふわり…………

 

 その刹那せつな、レンジの視界は真っ白になった。

 ……遥か彼方かなたの天空から眩いひかりが放射線状に降り注いでいる。

 天使の梯子はしごの光線が醜悪げれ下劣な俺を照らしてくれている……。

 ふわふわして地に足がつかない……。気分がうわついているのだろうか?

 柔らかなベールに包み込まれている。

 ……ああ、なんてあたたかいのだろう。

 まるでたっと御方だれか大慈悲御手おんていだかれているかのようだ…………。

 

 脳内は不思議な感覚に支配されていた。呼吸がゆっくりになり、心身ともに神秘的きょく極限値げんちに到達した。


 バタリ……。

 レンジは意識を失った。

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