第二十三章 ⑤制裁(因果・コーザリティ)

 映画館・ステージ上。

 しょう羽衣うい茫然ぼうぜんと立ち尽くしていた。ふたりの視界は『ははき遮光頭巾きん』によって完全にさえぎられている。しかし目には見えずともヒリヒリした不穏な雰囲気アンビアンスが伝わってきていた。


 凛花はレンジに澄んだ眼差しを向ける。そうして矢継やつばやに問いかけた。

 「あなたは罪過ざいかを悔やんでいますよね? 深く反省していますよね? 心から後悔しているからこそ贖罪しょくざいしたいと願われたのですよね?」

 思いがけない言葉に足元がぐらついた。しかし即座に叩き返す。

 「いや違う。これは偽善ぎぜん抗弁こうべんだ。贖罪しょくざいの意志でさえ自分を慰める気休めに過ぎない。単なる誤魔化ごまかしであって反省とは違う」

 「そうでしょうか……」


 凛花はそっと息を吐き出した。

 「レンジさん、覚えていますか? 数年前に起こった未曾有みぞうの大震災を……」

 「震災……?」

 「レンジさんは真っ先に義援ぎえんきんを贈ると表明して各方面へ支援を呼びかけていました。そして自らも被災地におもむいてき出しをされていました。避難所では被災された方々の手を握って、背中をさすって、温かい言葉を掛けられていました。被災地に繰り返し足を運んで寄り添い励ます姿に感銘を受けました」

 「あ……、いや、それは……」

 「各地での台風被害に際しても同様でした。いち早くボランティアに駆けつけて被災されたお宅の片づけ作業をされていました。炎天下に汗を拭って、顔までも泥まみれになって…………」

 レンジは声を荒らげる。

 「違うっ! あんなものは下劣な茶番劇だ! 俳優レンジの好感度維持のために画策かくさくした単なるイメージ戦略だ。悪巧わるだくみの偽善活動であってそれ以外の他意はないっ」

 「いいえ。たとえ動機や意図いとが不純であったとしても関係ありません。被災地の多くの方々が嬉し涙を流していました。曇っていた表情が明るくなっていました。レンジさんの周囲には笑顔があふれていました。私は媒体ばいたいを通して拝見し、感動いたしました」

 「いや、違う。破廉恥男レンジはお人好しや弱者じゃくしゃを利用して地位ポジションを得ていた。絶望のふちに立つ被災者までも利用していた。大衆は善人を装った破廉恥男はれんちにまんまとだまされていた。……それがまぎれもない事実だ」

 「だとすれば。紛れもない事実がもうひとつあります。レンジさんの率先した善なる行動かつ言動どうによってほんのひと時でも被災された方々の心が晴れて笑顔を取り戻していました。励まされ勇気づけられていました。生きる希望を見出みいだして再起した方々がおられました。大衆にとって『俳優レンジ』という存在そのものに価値がありました」

 レンジは首を横に振る。

 「いや……。俺の行動の裏側には、いつだって汚い魂胆こんたんがあった。私利私欲を満たす思惑おもわくのみで動いていた……」

 凛花は微笑む。

 「レンジさんの呼びかけは『真心の連鎖れんさ』に発展しました。日本中に、世界中に善なる化学反応が起こりました。そして被災地に大きな希望の光が差し込んだのです。ですから結果として偽善ではなかったのです」

 

 凛花はさらに続ける。

 「数年前に刊行されたレンジさんの自叙伝じじょでん『決別』を拝読させていただきました」

 「え……? あ、あんなものを……?」

 「レンジさんは幼少期から子役として活躍されていた。しかし出演料ギャラを巡ってご両親のいさかいが絶えなくなった。そしてレンジさんが十歳のときに離婚されたと……」

 レンジはかわいた笑いを漏らす。

 「は、ははは……。そうです。いつの間にか両親の金銭感覚は狂っていた。子供の稼いだ金を奪い合って競って使い込むようになっていた。互いを責め立ててののしって、喧嘩けんかが絶えなかった。離婚は必然だった」

 「はい……」

 「親権者は母親に決まった。それでも父親は金の無心に訪れた。連日連夜、飲み屋の女をはべらせて豪遊ごう散財ゆうしていた。そして離婚から二年後に肝臓を壊して死んだ……。まさに自業自得じごうじとくだ。『ろくでなし』の父親だった」

 「……」

 

 「とは言え母親も相当な『ろくでなし』だった。情緒メン不安定ヘラ女は次々に若い彼氏を作ってみついでいた。揚げ句に何度も男にだまされて逃げられていた。すると決まって『邪魔者こども(レンジ)のせいだ!』とヒステリックに泣いてわめいた。……子供心に愚かな女だと思った。しかしそんな母親でも好きだった。男がいないときだけは俺に優しくしてくれた。……そんなある日、母親が失踪した。俺を置き去りのままホストと駆け落ちした。

 当時未成年(十三歳)だった俺は事務所の社長に引き取られた」

 「確か……、中学生から成人するまでの数年間は事務所の社長宅にお世話になっていたのですよね?」

 「そうです。社長が俺の親代わりでした。……それから半年後、ホストに捨てられた母親が社長宅に乗り込んできて子供レンジを返せと怒鳴り散らした。しかし俺は親元に戻らなかった。いつだって男の影がある身勝手でだらしない母親に心底いや嫌気がさしていた。社長から金を受け取ると母親はすぐに消えた。いつしか俺は『親の金ずる』に成り下がっていた」

 「……」

 「そんな母親もすでにこの世にいない。俺が十七歳の時に自殺した。理由は当時の彼氏に捨てられたからだった。失踪先のアパートに遺書のような走り書きのメモが残されていた。そこには【捨てないで。愛してる】とだけ書かれていた。息子おれへの遺言ゆいごんは、なかった。……親は子供を所有物のように扱う。親は子供を利用する。親は子供の稼いだ金で豪遊する。大人は信用できない。大人は嘘つきだ。大人なんて大嫌いだ。……そう思った」

 

 凛花は小さく頷いた。

 「レンジさんのかたよった倫理りんりかんは、家庭環境が原因だったのかもしれませんね……」

 「無論むろん、それが一因いちいんとしてあるかもしれない。しかしたとえ家庭環境が最悪だったとしても犯罪を肯定する理由付けにはならないはずだ。……要するに俺は『ろくでなしの両親』と『同類』だった。か弱い者を押さえつけて征服して、もてあそんで、捨てた……」

 「レンジさんは被害者でもありますよね?」

 「いや、俺は加害者にほかならない。そしてはなはだ今さらですが、ようやく理解できました。被害者が負った心の傷は生涯消え去ることはないことを…………」

 「はい。確かに心の傷の『完治かんち』は難しいです。ですがそれでも、ゆっくりとゆっくりと、少しずつ軽くなってえていきます」

 「いや! 俺の仕出かした罪は途轍とてつもなく重い。すべては俺の暴慢ぼうまんが招いた結果です……」

 

 ピュン……! 

 凛花は真珠色龍神ノアの背にまたがった。ステージ上方に移動するとレンジの頭上でピタリ、静止した。

 そうして高らかに宣言する。

「レンジさん。私はあなたをゆるします!」

 「え…………?」

 コン太は焦る。当事者の申し渡しによって制裁執行を中止しなければならないのだ。

 「やめろ! 凛花っ、ゆるすなっ! 今までどれほど涙を流してきたのか思い出せっ! どれほどの痛みに耐えてきたのか忘れるなっ」

 凛花はにっこりする。

 「コン太、もういいの。だって私は今こうして生きているでしょう? 幸せに暮らしているでしょう? だからもういいの……」

 「ダメだっ! レンジの暴行のせいで命が助かっても女性の機能のすべてを失ったじゃないか! 内臓がぐちゃぐちゃに破壊されて子供を宿やどすことができなくなったじゃないか! どれほど家族が嘆いたか思い出せ! どれほど泣いたか忘れるな! 赦してはだめだ! こいつに同情の余地などない! こんな鬼畜は八つ裂きにして殺してしまうべきなんだっ!」

 

 レンジは立ち尽くしたまま涙を落とす。たった今、残酷な事実を知ったのだ。

 「そ、そんな、ま、まさか……? 嗚呼ああァァっ…………!」

 ……どうやら俺は正真正銘の『鬼畜』だった。俺が宇和島の幼女の純潔を奪った。さらに女性機能のすべてを破壊していた。輝くはずの『未來』の光を奪って取り返しのつかない暗い影を落としていた……。

 どれほど罪過を悔いても時は戻らない。金では解決できない。俺の罪は決して赦されてはならないのだ……!

 

 レンジは在狼あるろう(コン太)の前に立つ。そうして懇願する。

 「是非とも死んで償いたい。在狼くん、頼む。俺を、殺してくれ……」

 「はいよ、了解だよ! 空蝉うつ模様せみの烙印を焼き付けられた張本人レンジの強い要望とあらば制裁は可能なんだ。それにあんたの過去に如何いかなる経緯けい背景があろうとも情状酌量どうじょうの余地はないからねえ? イヒヒ……、それじゃあ、覚悟はいいかい?」

 「はい。どうぞよろしくお願いします」

 コン太はほくそ笑む。レンジの首筋にりゅうそうを突きつけた。

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