第二十二章 ④男たちの決意

 都内・某撮影スタジオ。

 しょうはため息を漏らす。

 ここ数ヶ月間の映画撮影を通して『俳優レンジ』に対する印象が大きく変わった。

 スタッフたちはささやき合う。

 ……傲慢ごう横柄まん俳優レンジはどこかへ消えた。高圧的に振る舞わない。暴言を吐かない。若手スタッフや新人俳優に対しても丁寧に応対する。脚本だい台本ほんを読み込んで役柄に入り込む。鬼気迫る演技に圧倒される。やはり凄い役者だ……。

 

 映画撮影がクランクアップした。輝章は主演俳優に大きな花束を渡す。

 「レンジさん、これでクランクアップ(撮影終了)です。長丁場ながちょうば、お疲れさまでした」

 花束を受け取ったレンジは頭を下げる。

 「天才脚本家・輝章監督の作品にたずさわることができて光栄でした。そして優秀なスタッフたちにおおいに助けられました。ありがとうございました」

 「こちらこそ! 『名俳優レンジ』の実力を改めて思い知らされました」

 「いや……。個人的プライ私事ベートで世間やマスコミを騒がせて現場の雰囲気を悪くしてしまった。至らぬ主演俳優で情けなくて心苦しかった。本当に、申し訳ありませんでした……」

 泣いているのか? かすれ声になっている。

 「あ、そういえば。羽衣ういさんは一足早く昨日クランクアップしました。彼女の成長は目覚ましいものがありましたね」

 「はい。羽衣は……、間違いなく良い女優になると思います」

 「同感です。恐らく人知れずに相当努力しているのだと感じました。スタッフたちも彼女の演技力の高さを絶賛していました」

 レンジは思わず目尻を下げる。

 「ああ、ハハ。何でかな? 羽衣が褒められると俺まで嬉しい気持ちになります……」

 「そういえば昨日、羽衣さんはスタッフたちに熱弁していました。『もしも私が成長できたのだとしたらスタッフの皆様のお陰さまです。そして何より俳優レンジさんから演技指導や的確なアドバイスをいただけたからです。レンジさんはとっても優しいです。尊敬できる大先輩です』と」

 「羽衣が? そんなことを…………」

 「あ、二か月後になりますが。映画宣伝を兼ねて『プレミアム上映会』が予定されています。その時はまたよろしくお願いします」

 「はい。ありがとうございました」

 ふたりは握手を交わした。

 

 レンジは決意していた。

 ……二ヶ月後のプレミアム上映会までに過去を清算する。そしてえりを正して再出発する。

 まずはサユミと離婚する。脅迫して偽装結婚をせまったことは罪深い。資産のすべてを整理して相当の慰謝料を支払うつもりだ。

 そして残りの財産は『ナナ』と『宇和島の幼女』に渡したい……。

 しかし現実げん問題じつとして。宇和島の幼女に渡すことは叶わない。十五年前。弁護士を介して幼女の家族と約束が取りわされていた。 

 【被害者に二度と近づかない。被害者家族や近親者に関わらない。その対価として強姦ごうかんの事実は無かったことにする……】

 ……我ながらあきれ返った。要するに。慰謝料は支払わない。何事も無かったことにする。という取り決めだったのだ。被害者ひがいしゃたいして配慮の欠片かけらもない非道な取引だった。

 

 レンジは思案に暮れる。

 まずは妻サユミに慰謝料を支払う。その残り財産をナナに渡したい。どうにかして羽衣に、ご両親に渡したい。

 早朝の『ところさわ神明社しんめいしゃ』でナナは言った。

 ……レンジさんは誤解している。羽衣はあなたの子供ではない。うらんでいない。苦労などしていない。奥様のサユミさんと仲良くして。家族を大切にして……、と。

 ナナは俺の俳優としての地位や立場を守ろうとしてくれているのか? わかりやすい嘘までついて。どこまでお人好しなんだ。俳優レンジは最低最悪の鬼畜野郎だぞ? 

 俺のせいで苦汁くじゅうの日々を与えてしまっていた。……だからこそ! これからは少しでもらくをして欲しい。幸せになってもらいたい。

 汚い男の稼いだ金は汚いと感じるかも知れない。だけどどうかつぐなわせてくれ。ナナ、俺はお前がいとおしくてたまらないのだから……。

 

 敏腕弁護士と相談を始めた。しかし想定として受け取り拒否もあり得ると言う。

 ……そうしたら『一般財団法人・リンカ』に寄付をする。世間には胡散臭うさんくさい慈善団体が多い。しかしどうやらそこは信頼の置ける財団らしいのだ。

 不遇な境遇に置かれた者への援助。難病トゥレット症候群の啓蒙活動。マイノリティ(少数派)への理解活動など。不平等の調整に向けた未來型支援活動をしているのだそうだ。

 ミリオン歌手や人気タレント。売れっ子作家や漫画家。スポーツ選手や実業家たちまでもが『財団・リンカ』にこぞって寄付をしている。ことに輝章監督はわざわざそこを選んで寄付をしていることで知られていた。

 ……ああ、痛い。最近やけに首筋が熱い。ズクン、ズクン、火傷やけどあとうずいている。

 『改悛かいしゅんの情』があらわれていた。


 市川市相之川あいのかわ・輝章のマンション。

 湯気が立ち上り、芳醇ほうじゅんな香りがただよう。リビングのソファーには来客の男が腰掛けていた。

 「どうぞ」

 目の前にきたてれたてのコーヒーが置かれた。来客はそれを一気に飲み干した。

 「ぷはぁっ! やっぱり『デロンギ』でれたコーヒーは美味しいねえ? 最高だねえ?」

 「はい。あっ『プレミアム試写会』の会場と日時が正式決定しました」

 「おっ! いよいよ、だねえ?」

 「はい…………」

 「ん? あれれえ? どうしたの輝章くん。……もしかして、躊躇ためらっているのかい?」

 「いやっ、あのっ……」

 輝章は気まずい顔をする。

 「ありゃりゃっ! まさか俳優レンジにほだされちゃったのかい?」

 「い、いいえ。ただ改めて『名俳優』の実力を思い知らされて……」

 「ふぅーん…………」

 「とにかく圧巻の演技力でした。彼の実力は本物でした。そして真摯しんしな姿勢にスタッフたちも感銘を受けました。それに共演の羽衣さんは過去を知らないとはいえ、レンジさんを心からしたっている様子でした……」

 「へええっ! じゃあさあ、才能があって人気があれば何をしたって許されるってことかい? それが犯罪でもかい?」

 「そっ、それは違います!」

 「そうだよねえ? それじゃあ特別に! 輝章くんに見せてあげるよ」

 「え?」

 「おいらの恋人ノアがさあ、十五年前に空から見た景色だよ」

 コン太は人差し指で輝章の眉間みけんをグッ、グッ、二回押した。

 

 ……輝章の脳裏のうりに映像が投影される。

 はじまりは瀬戸内海を見下ろす宇和島のみかん畑だった。小雨降る濡れた地面に泥まみれのボロ人形がぽつん、捨て置かれていた。

 「あ、あ、あ…………?」

 輝章は青ざめて震え出す。取り乱してわめさけんだ。

 「うっ、ううわああっ! うわああああああっ! りっ、凛花さんっ、凛花さんっ……!」 

 ……違うっ! これはボロ人形ではない。幼い子供だ。地面にぐったりと横たわっているのは五歳の『凛花さん』だ。着衣は乱れ下着が脱がされている。泥と血液で全身が赤黒く汚れている。

 「ああ……ああ……、嗚呼ああッ……!」 

 もはや見るにえない。命が尽き果てる寸前だ。

 幼い凛花は意識もう朦朧ろうとしてうわごとを繰り返している。消え入りそうなか細い声で何かをつぶやいている。必死に何かを伝えようとしている。

 「龍が、……龍が、たすけ、て、くれた、の…………」 

 それは最後の力を振り絞って、宇和島湾の龍神(真珠色龍神ノア)に感謝を伝えようとしている姿だった…………。

 

 ……プツンッ、影像が切られた。

 「どうだい? 決意は定まったかい? おいらと輝章くんがおんなじ心になれれば準備スタンバイオーケーだ」 

 輝章は目を見開いたまま泣いていた。涙が滝のように流れ出ていた。

 「許せない……。許せない許せない! どうしても許すことができないっ。……僕はレンジを許さないっ!」 

 「もういいかい? ……どうやら、もういい、みたいだねえ?」

 輝章は決意を新たにする。涙をぬぐって承服しょうふくする。心の奥底まで強い怒りと憎悪ぞうおが支配した。

 「へえ? 輝章くん、なかなかいい感じだねえ? それじゃあ、よろしくねえ?」

 「はいっ」

 コン太はにやり、不気味に笑う。

 「レンジさんの『願い』はおいらが叶えてあげるからねえ……。イヒヒッ! 首を洗って待っていてねえ?」

 レンジの首筋に焼き付けられた『空蝉うつせみ模様の烙印らくいん』が赤黒さを増していた。

 龍神界からの指名手配の『証憑しょうひょう』がその輪郭をあらわにしていた。

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