第二十一章 ④三峯のオオカミ

 三峯の丘・桜色のベンチ。

 イレーズが息を小さく吐き出す。

 「凛花、ごめん。楽しい物語ストーリーじゃなかったね?」

 「…………」

 気づけば凜花は大粒の涙をボロボロとこぼして泣いていた。

 「おっ、おい? 大丈夫か?」

 目も頬も鼻先も真っ赤だ。ヒックヒックと呼吸まで荒く乱れている。

 「イッ、イレッ、イレーズさんっ! こ、孤独に慣れ、ないで、くだっ、さい……!」

 凛花は途切れ途切れに言葉をつむぐ。


 ピューーーーーッ…………

 

 風が音を立てる。冷たい北風がヒューン、吹き抜けた。

 ガサッ、ガサリッ……。何かが枯葉を踏みつける音が聞こえてきた。

 二頭の『ぎんろう(神霊獣)』が姿を現した。それはヒグマほどもある巨大オオカだった。

 ぎんろうは『大口おおくちのまかみ』の化身けしんだ。じゅうもうは白銀色をしていて毛先はあお紫色むらさきに輝いている。深いこんじょう色の瞳を鋭く光らせる。

 凛花は息をんだ。龍神以外の神霊獣を目にしたのは初めてだったのだ。

 二頭はふたりの目の前に正対してしばしジイッとたたずんでいた。それからゆっくりを進めてカリスマ神霊獣使いイレーズの足元にり寄った。そうしておごそかに敬仰けいぎょうして平身低頭の動作をした。

 

 イレーズが三峯の銀狼の名を呼びかける。

 「カン(寒)、ダン(暖)、そろってどうした? 俺になにか依頼たのみがあるの?」

 すると平伏ひれふす『カン』と『ダン』の背からヒョコッ! 姿を現したのは丸々肥えた座敷ざしきわらしだった。

 わらしかすりの着物姿で足元は裸足はだしだった。金太郎のような散切ざんぎりおかっぱ頭。あごしたまでありそうな長い前髪を輪ゴムで束ねて『ちょんまげ』にしていた。細い半月目をさらに細めてニターッと笑った。

 「よお、イレーズ! あたいを呼んだか? 寂しくなったのか?」

 「あっ、ゴン子……!」

 イレーズが小さく叫んだ。

 「ゴン子さん……?」

 凛花は驚くのだった。

 

 ゴン子は凛花を指差した。

 「おいっ! イレーズの隣にいるそこの女っ! あたいと友達になってくれないか?」

 凛花は即座に姿勢を正す。そして元気よく返答する。

 「はいっ、もちろんです! 凛花と申します。ゴン子さん、よろしくお願いいたします」

 ゴン子は銀狼カン(寒)の背の上で腰に手を当てて仁王立におうだちをした。

 「では、凛花。あたいの『友達』として問う。イレーズを恋人にしないのはなぜだ?」

 「え? あの、えっと…………」

 凛花は口ごもる。ゴン子は指を差して問い詰める。

 「もしや……。イレーズがこの世の者ではないからか? 呪術をあやつ呪術師シャーマンなど気味が悪くて耐えられないということか? イレーズ程度では相手にならないということか?」

 「ちっ、違います!」

 「では。愛想が無いからか? 顔が整い過ぎていて自分のプライドが許さないからか? それとも……、落胤らくいん(非嫡出子ひちゃくしゅつし)であった得体えたいの知れない男など迷惑だということか? 誰からも愛されなかった冷え冷えした孤独男などごめんこうむるということか?」

 「違います! お願いです、やめてくださいっ! 全部全部、違いますっ」

 凜花は浴びせかけられる辛辣しんらつな言葉を必死に振り払った。

 イレーズが傷つくのではないかと心配になる。

 「ゴン子さん、違います! イレーズさんはこの上なく素敵な男性です。聡明であり清らかで思いやりもあります!」

 「じゃあ、何が不足なんだ?」

 「不足などひとつもありません! 申し分ない完璧パーフェクト御方おかたです。だからこそイレーズさんの隣に立つのに相応ふさわしいお相手は『凡夫ぼんぷ』であってはならない。私であるはずがない! そうシンプルに感じたまでのことです」

 「そうか……。では改めて問う。イレーズに相応ふさわしいのはどんな奴だ? あたいに教えてくれ」

 「はい。恐らくですが……。群を抜いて聡明であり、一切のけがれがなく、純然じゅんぜんたる御方なのではないかと思います」

 「ふうん? それで?」

 「イレーズさんと同様にきらめきを放つ容姿端麗の佳人かじんこそがお似合いなのではないかと思います……」

 「へえ? それから?」

 「……。ですからっ! とにかく私のようなチンマリしてけがれのある人間であるはずがないのです! イレーズさんと恋人なんて、とんでもないことでございます。こんな私がイレーズさんの『友人』にしていただけた、それだけでも過分かぶんです。恋慕れんぼなどおこがましいのです……」

 「ふうん? じゃあ仮に。きわめて容姿が美しく聡明な恋人がイレーズにできたとしよう。お前はイレーズを祝福するのだな? 美男美女だからお似合いだと。相応ふさわしいと。『友人』として喜ぶのだな?」

 「…………。恐らく」

 「そこに一切の『愛』が存在しなかったとしてもベストだというのだな? それがイレーズとっての幸せだというのだな?」

 「いえっ! あの、それはっ…………」

 凛花は言葉をまらせた。

 「要するに。イレーズは愛する者からは愛してもらえない。その程度の男だということか。……不憫ふびんな奴だ」

 「違いますっ! 私には愛する資格が無いと言っているだけですっ」

 「なんだそれは。人を愛しうやまうのに資格が必要なのか? どこかで資格を取得するのか? 何か選抜でもくぐり抜けねばならないのか?」

 「いえ、私はただ単純に完璧なイレーズさんに私如ごときが相応しいはずがないと…………」

 「勝手に思い込んで決めつけるな。お前の『本音』は違うだろう?」

 「…………。はい」

 「今すぐに本音を言え! 早くしろっ!」

 「はっ、はいっ! 私はイレーズさんにたくさん笑って欲しいです。たくさんの愛を感じて欲しいです。もしもイレーズさんの恋人になれるのなら……。どれほど幸せなのだろう、……って思いますっ!」

 凛花は胸の内を正直に吐露とろした。ゴン子の辛辣じん尋問もんくっしたのだ。

 

 「……ククッ! イレーズ、良かったな」

 ゴン子の声色が聞き覚えのある独特なバスバリトンの低音ヴォイスに変わった。

 「え、え、ええっ? その声は……! まさか太郎さん?」

 「ハハ。凛花さん、こんにちは」

 ゴン子は『太郎』の姿に変化へんげする。巨大オオダン(暖)の背にストン、足を組んで座った。

 服装はスリムジーンズにスニーカー。ジャガード編みのセーターの上からワッフルジャケットカーディガンを羽織っている。大学生らしいカジュアルファッションだ。

 太郎は微笑む。

 「もう知っているかとは思いますが。イレーズは飛び切りの『良い男(グッドガイ)』ですよ?」

 「はい。重々じゅうじゅう了知りょうちしております……」

 「凛花さん、一体なにを迷っているのです? 自分の心に従うだけですよ?」

 「……はい」

 

 太郎は小さく息を吐いて肩をすぼめた。

 「では特別に。『兜率天とそつてん』での恋愛観や結婚パートナー制度についてお教えしましょう」

 「はいっ」

 「兜率天とそつてんは欲界といえどもほぼ『色界』です。あらゆる欲望が極めて薄い世界だといえます。ですのでスキンシップは親しい友人同士でも握手かハグまで。気が向けばあいさつ程度に頬ずり程度はあるかも知れませんが。せいぜいその程度です」

 「え……、そうなのですか?」

 「そうです。ましては『極等万能祭司』のじゅうする『藍方らんぽうせい』は特殊パティキュ設定ラーです。まず、藍方星の住人は一桁ひとけたしかいません。基本的に極等万能祭司四人衆と彼らのパートナーだけが居住しているのです。住民は藍方星では悠久の長き時間軸で『極上ごくえん』と認められた者のみです」

 「極上ごくえん、ですか?」

 「そうです。たったひとりの極上うんめいの縁者ひとのみがパートナーとして認められます。極上ごくえんであれば生存していた時代も国籍も年齢も性別も問いません」

 「時代、国籍、年齢、性別さえも超越した特別スペシャルパートナーですか? ……素敵です!」

 「藍方らんぽうせいではパートナー変更不可ですので重要なことはただひとつ。運命的に出会い、互いに惹かれ合い、『極上縁』を手にすることだけです。極上ごくえを手中にしたパートナー同士は愛情表現として唇にキスをします。しかしながら。それ以上の行為は存在しません」

 「兜率天とそつてん全体が『極上ごくえんシステム』なのですか?」

 「いいえ、そうではありません。数多あまたの星の中には子孫繁栄が可能な惑星も少ないですが存在しています。しかし四人衆の居住する藍方らんぽうせいは『極上ごくえん』制度です。どれほど個体能力値や容貌や特性がすぐれていたとしても極上ごくえん以外は対象外です」

 「……はい」

 「兜率天らん藍方ぽうせいのシステムにご理解いただけたでしょうか? それらを踏まえまして。イレーズを恋人に昇格の件、是非とも前向きにご検討ください。少なくともイレーズにとって凛花さんは『特別な存在』なのだと思います」

 凛花は思考がぐるぐるして追い付かない。

 「あ、あのっ、太郎さんっ! どうしたらよいのか……、まだ正解がわかりませんっ」

 「ハハ、ただ素直に純粋ピュアに。深奥(こころ)に従うだけですよ。それでは、また……」

 

 …………シュンッ!

 太郎と二頭の巨大オオ(カン・ダン)は消え去った。

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