第二十一章 ③イレーズの過去(ゴン子)

 小次郎屋敷・別邸。

 ゴン子は人差し指で俺の鼻先をツンツン、二回突つついた。

 「お前とあたいは友達だからな。特別に『内緒話オフレコ』を教えてやる」

 「オフレコ?」

 ゴン子は俺のてのひらを両手で包み込む。ギュウッ、握りしめて唐突だしぬけに告げた。

 「……死ぬなっ!」

 「え……?」

 「お前は明日死のうとしているな? だがまだ死んではだめだ。寿命尽きるまで待て」

 「なんで? どうして? ……死んだらだめなの?」

 「なぜ死にたい? あの強欲ごうよくな父親が原因か? それとも孤独こどくだからか?」

 「うーん……。孤独は平気だよ? もうとっくに慣れているからさ、たぶんだけどさ、もう悪事に手を貸すのが嫌なんだ。気分が悪くなって吐き気がする」

 「そうか…………」

 「それにさ。そもそも俺には名前すら無い。この世に居ても居なくてもどっちでもいい人間だ。死んだって誰も悲しまないよ」

 「馬鹿を言うなっ! 友達が悲しむだろう? あたいを悲しませるなっ!」

 「ああそうか、そうだった。俺にはゴン子がいたんだっけ。……だけどさ、この汚物せか世界にうんざりしているんだ」

 「汚物世界にうんざりか……。確かにそうだな。それはあたいも同感だ。しかし自殺したら、死んだあと身体が浮かばない。だから寿命が尽きるまで耐え忍んで生きるしかないんだ」

 「まだ、我慢しないといけないの?」

 「踏ん張れ。そのかわりお前の『死出しで旅路たびじ』には、あたいが迎えに行ってやる」

 「……! ほんと? ほんとに? ゴン子が迎えに来てくれるの?」

 「約束する」

 「それじゃあ頑張るよ。父親こじろう隷下れいかとして生きるのは嫌だけど。まだ頑張ってみる」

 「ああ、そうしろ。それにお前の定められた寿命はそう長くはない」

 「……?」

 「いいか、よく聞け。お前は四日後に父親こじろうに連れられて貴賓きひんらが集う『うたげ』に同行させられる。そこで『流行り病(エピデミック)』に感染する。それから三十日後にお前は死ぬ」

 「そうか。俺はもうすぐ死ねるのか」

 「そうだ。だから今は死ぬな。耐え忍んで生きろ」

 「あのさ……、ゴン子は俺が死んでからもずっと『友達』でいてくれる?」

 「ああ、もちろんだ。永遠に友達だ。約束する」

 ゴン子はニターッ、笑って消えた。


 庭園の奥座敷。

 四日後。ゴン子の予言通りに父親こじろう主催の酒宴しゅえんに同行させられた。其処そこは回遊式庭園が見渡せるみやびやかな奥座敷だった

 大勢の貴賓きひんらがうたげに集う。賓客ひんきゃく表裏ひょうり社会の大物有力者だ。俺の頭脳ブレイン損耗そんもうし私腹を肥やそうとする浅薄せんぱく連中だ。虚栄と虚飾にまみれた意地汚いやからが寄ってたかっていた。 

 猫も杓子しゃくしもへったくれもない。似たり寄ったりで差異など無い。どいつもこいつも同類おなじに見えた。

 このときすでに父親こじろうは俺の頭脳を悪用して桁違けたちがいの富者に成り上がっていた。

 大物有力者を前にり返って華麗かれい奔放ほんぽうに振舞えるほどの地位ポジションを確立していた。両脇にはケバケバしい遊女ゆうじょはべらせている。

 巨万のとみを築き上げた小次郎を誰もがちやほやする。褒めそやす。へつらって機嫌を取る。父親こじろうは名も無き息子ボンを『餌食くいもの』にして立志伝中の人物にのぼめていたのだ。

 俺はゴン子の言葉に従って悩乱のうらんしそうな苦痛時間をひたすらに耐え忍んだ。

 

 盛大なうたげから二日後。

 俺は高熱を出して寝込んだ。熱は一向に下がらない。体中からだじゅうに紅い発疹ほっしんができた。

 出生してから甲斐甲斐かいがいしく世話をしてくれていた『ハル婆』は流行り病(エピデミック)に罹患りかんして倒れて数日後に悶死もんしした。ハル婆の遺体は別邸に放置されたままだ。閉じ込めきれない腐敗臭ふはいしゅうは外までにじみ出ているだろう。

 父親こじろうはもちろんのこと。他の使用人も誰ひとりとして別邸に近づかない。流行り病に感染することをおそれていた。

 ついに薬も食べる物も無くなった。次第しだいに起き上がることも困難になった。俺はベッドに横たわったまま浅い呼吸を繰り返していた。


 だけどひとりじゃなかった。

 かたわらにゴン子が居座いすわっている。俺の手をぎゅうっ、握りしめてくれている。

 「痛いか? あたいも痛い。苦しいか? あたいも苦しい。……いいか? お前はひとりじゃないからな!」

 「つらいか? しんどいか? それでも早く死にたいと思うな。定められた寿命をまっとうしろ!」

 「大丈夫だ……。あたいがずっとそばにいる。怖がるな。安心しろ」

 「悲しいか? それでも命が燃え尽きる最期さいごの瞬刻まで生きるんだ」

 「あともう少しだ。まだ藻掻け、足掻けっ」

 「どうやらお前は生まれる時代を間違えたようだな。この天才的頭脳ははるか先の『新たな未來ネオフューチャー』にかすべきだった。……悪用されたのはお前のせいではない。自分を責めるな」

 「お前の『慚愧ざんき』や『悲哀ひあい』や『後悔』の念。……すべてをあたいが受け止める! だから何にも心配するな」

 

 俺はうわごとを繰り返す。

 「ゴ、ゴン子……。まだ? もうすぐ? つらいよ……、痛い、よ……。もう、少し……? 苦しい……、よ……」

 意識は朦朧もうろうとして遠くなる。いよいよ死期が近づいたと悟った。

 突如ゴン子が泣き出した。

 「ゔうっ、ゔゔうっ……! いいか? ひとりが平気な奴なんていないんだ! お前は母親の胸に抱かれて甘えたかったのだろう? ずっと寂しくて心細かったのだろう? いつも泣きたかったのだろう?」

 「……わ、から……ない」

 「弱音を吐けっ! 我慢するなっ! あたいにだけは正直に言えっ!」

 俺は最後の力を振りしぼってゴン子の小さな手を握る。うつろな目をしてうなずいた。

 「うん……。あのさ、実はそうなんだ……。俺さ……、ずっと、ひとりぼっちはつらかった。孤独で、寂しかった。……親に、愛されてみたかった。頭を、撫でて、もらいたかった……。……友が、欲しかった。……誰かを、愛してみたかった…………」

 「うん、うんっ、そうだな。お前は良く耐えた。よく頑張った。いい子だ! えらいぞっ」

 「クク……。『いい子』なんてさ、初めて言われたよ……。あのさ、ゴン子……、約束したよね……? 死出の旅路に迎えに来てくれるって……」

 「ああ、約束したな」

 「それとさ……、あの世でもずっと友達でいてくれるんだよね? ……永遠えいえんに友達でいてくれるんだよね? 頼むよ……。もう『ひとりぼっち』はいやなんだ……。お願いだ……、お願い、だよ…………」

 俺は固く閉ざしていた心の内を明らかにした。ゴン子は俺の頭を撫でながら何度もうべなった。

 「もちろんだ! 約束しただろう? お前の願いは必ず叶えてやる。お前とあたいはずっとずっとずっと! 友達だっ……!」

 「う、ん。や、く、そ……、く…………」

 

 享年十歳。

 しんしんと初雪が降り積もる夜半やはんぎ。俺はゴン子に看取みとられてこの世を去った。

 死出の旅路は驚くほど安らかな心地だった。俺の死に顔は幸せそうに笑っていた。

 

 息子ボンの死後。『別邸』は取り壊された。そうしてボン(落胤らくいん)の生きたあかしかげかたちもなくなった。

 汚物この世界から完全に霧散むし霧消ょうした。

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