第二十一章 ②イレーズの過去(座敷童)

 小次郎宅・別邸。

 学童期になった坊やは、無戸籍むこせきゆえに学校に通うことはない。相変わらず別邸(軟禁場所)にこもっている。食事や身の回りの世話は寡婦じょ女中ちゅうのハル婆がしてくれていた。

 

 下弦の月の夜。

 ルナの命日。泥酔でいすいした小次郎(父親)が数年ぶりに別邸の門をくぐった。浴びるほど飲んだ酒の勢いに任せて居住空間にがり込む。

 そうして父子おやこは数年ぶりに対面した。

 「おっ、お前は……、坊や(ボン)、か?」

 父親こじろう驚嘆きょうたんする。美しく成長した『坊や』の容貌ようぼう溺愛できあいしていためかけルナとうりふたつだったのだ。途端に追慕ついぼしてわなないた。

 「おおっ! 母親ルナによく似ている! ボンっ(坊や)! ボンや、ボンやっ! ああっ、わしのボンっ…………」


 父親こじろう頻繁ひんぱんに別邸を訪れるようになった。豪奢ごうしゃな椅子にどさりと腰かけひじをつく。ルナの面影を強く残す息子の顔をくることなく凝視ぎょうしする。それが日常的いつもの光景になっていた。

 「ルナッ、ルナッ! ルナやっ! ああっ、わしのルナ…………」

 時どき半狂乱でめかけの名をさけび呼ぶ。そうして息子ボンいとおしに抱きしめるのだ。


 ばん父親こじろうが不意にたずねた。

 「ボンよ。お前の母親ルナは読書人だった。お前も本が好きか? ここの書物は難解なんかいなものが多いが少しは読んでみたのか?」

 ボンは答える。

 「はい。すべて」

 言われた小次郎は驚愕して立ち上がっていた。書斎の机上きじょうに乱雑に置かれた紙片しへんを手に取って目を通す。ボンが暇つぶしに書き留めていた論文を片っ端から読みあさった。

 そうしてゴクリ、息をむ。

 紙片にはこの国の『未来予想図』が端的たんてきしるされていたのだ。

 小次郎は歓喜かんきに震えた。

 ……どうやらわしは『かねのなる木』を手中に収めていたらしい。まだ十歳ととせにも満たない息子ボンにはたぐいまれなる才覚があるようだ。息子ボンを使えば莫大ばくだいなる富をもたらす可能性がある。かねにおいがプンプンする。利用価値は計り知れない。


 あろうことか。父親こじろうは『天才的プロディク頭脳ション』の切り売りを始めた。そこにあるのは自利を満たす欲望だけだった。

 父親こじろうともなわれて大物有力者が別邸を訪れる。社会の表裏を問わないいわく付きの権力者たちがつどう。

 「利益を潤沢じゅんたくに出す方法を教えろ」

 「戦勝方法を教えろ」

 「人心じんしん掌握術しょうあくじゅつを教えろ」

 「さらなるぜいを極めたい」

 「絶世の美女はいないか」

 「人々にあがめられたい。ひれされたい。特別扱いされたい」

 「もっとたたえられたい。もっとめそやされたい」

 「欲しい欲しい欲しい……。もっともっともっと……。足りない足りない……」

 奴らの求めは尽きることがなかった。

 

 奴らはボンの顔色をうかがって機嫌を取る。『天才だ』『美しい』と賞賛してめそやす。いやらしい目つきでり寄ってくる。

 ……下心丸出しでひたすらに奪うことだけを考えている。搾取さくしゅすることだけをたくらんでいる。称賛と羨望せんぼうの眼差しを欲して躍起やっきになっている。

 奴らのターゲットはお人好しや善人である。甘く見られたものだ。

 ……強欲ごうよく野郎、ごまり野郎、破廉恥はれんち野郎! くだらない、馬鹿馬鹿しい、愚かだ。心の底から侮蔑軽蔑べつした。薄気味悪い笑い顔に虫唾むしずはしった。

 だけど父親こじろうの要望に淡々と従っていた。理由は特にない。ただそのほうがらくだった。逆らうのが面倒だった。俺の心はむしばまれていた。死んでいた。

 しかしたとえ本意でなくとも。悪党に知恵を与えてしまっている。間接的とはいえども悪事に手を染めてしまっている……。 

 幼い心は少しずつ罪悪感にさいなまれた。同時に父親こじろうに対する反発心が渦巻うずまくのだった。

 

 ……俺の頭脳はもはや『害悪がいあく』だ。そもそも名も無い俺はこの世に存在すべきではなかった。

 幼い頃から『天眼通てんがんつう』(透視能力)が備わっていた。だからこそ人間の醜悪しゅうあく本性ほんしょうを見澄まして嫌気いやけがさしていた。この欲塗よくまみれの汚物世界に心底うんざりしていた。がんとは『地獄』にほかならない……。

 もう嫌だ、消え去りたい! そうだ、明日死のう…………。

 肌寒い初冬の深夜、ベッドの中で決意した。

どうやって死のうか。もうすぐ死ねる。悲しいくらいワクワクした。

 

 …………ユラリ、グラリ…………

 

 部屋の空間がぐにゃり、ゆがんだ。不規則に揺らめいて平衡へいこう感覚かんかくうしなわれる。経験したことのない不可思議な感覚に戸惑った。

 即座に得体えたいのしれない『何か』を察知する。別世界から正体不明の侵入者がやって来たことを観取した。

 シュッ……! 部屋の中を小さな影が素早く動いて横切った。俺は思わず叫んだ。

 「誰だっ? 出て来いっ!」


 ……三歳くらいの『幼児ようじ』が立っていた。

 

 丸々肥えた散切ざんぎりおかっぱ頭の幼い子供が目の前で仁王におうちしていたのだ。

 「もしかして……、『座敷ざしきわらし』か?」

 問いかけるとわらしが答えた。

 「そうだ。お前はひとりか?」

 質問を返された。俺は素直に返答した。

 「うん、そうだよ」

 「じゃあ、あたいと友達になってくれないか?」

 「あたい、って。お前、女か?」

 「寂しいんだ。だから友達になってくれ」

 「そうか。お前は寂しいのか……」

 座敷童の髪は顎下あごしたまでおおかぶさって顔が完全に隠れてしまっていた。そのせいで表情をうかがい知ることができなかった。

 俺はベッドから降りて丸々した座敷童に向き合った。くしゃり……、前髪をかき上げて顔を見定める。

 「よせっ、やめろっ! 見るなっ!」

 座敷童は顔を見られるのが余程よほど嫌だったのだろう。両手をブンブン振り回して抵抗した。

 肉付きのいい輪郭、細い半月目、低い鼻、への字口。まるで民話の金太郎のような愛嬌のあるおんなわらべだった。

 顔を見られて恥ずかしに視線をらす。困惑して眉をハの字に下げる。ふくれっつらをして唇をとがらせた。威勢いせいのいい座敷わら悪態あくたいをつく。

 「やめろっ、この阿呆あほうめ! あたいの顔を見るな! あたいにさわるな! このハイカラ野郎! 調子に乗るなっ!」

 

 俺は『阿呆あほう』と言われて唖然あぜんとした。『ハイカラ野郎』って、もしや悪口のつもりか?  

 ……このわらはどこか愛嬌あいきょうがあって憎めない。なんだか面白くて可愛かわいいらしい。誰かをかわいいと思ったのは初めてだった。

 ドキンッ! 胸の鼓動が高鳴った。こんなに心が弾んだことはない。不覚ふかくにもときめいた。本音がぽろり、漏れ出した。

 「ククッ! お前はかわいい、ね?」

 「は……? お、おいっ、嘘を言うな! 馬鹿を言うなっ! 揶揄からかうなっ! あたいはいつも『みにくい』とか『不細工ぶさいく』だとののしられているんだぞっ! 自慢じゃないけどなっ」

 「え、そうかな? すっごく可愛かわいいけど?」

 「よせっ、やめろっ! められたことなどない! 黙れっ」

 座敷童は照れて赤くなって不貞腐ふてくされた。プクリッ、紅潮こうちょうした頬を膨らます。

 「クククッ! 俺はさあ、人の心が読めるんだ。だからわかるよ。お前はい奴だ」

 「違う! あたいは『い奴』なんかではないっ」

 「だけどさ。『悪い奴』でもないよね? それに俺と友達になってくれるんだろう? だったら名前を教えてくれ」

 「…………。『ゴン子』だ」

 「そうか、ゴン子か。そうだ、俺には名前がないから教えられないや。ごめん……」

 「……そのようだな」

 「それにしても嬉しいな。俺に初めて友達ができたよっ!」

 「あたいもお前と友達になれて嬉しいぞ。よろしくな」

 「うん、よろしく」

 ゴン子と俺は握手をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る