第二十章 ④恋の自覚

 三峯の丘の上。

 「なぜかよくわかんないんだけどさ。凛花に会いたくてたまらなかった」

 イレーズがぼそり、つぶやく。

 凛花の胸がときめいた。

 「あ、あの! たった今、自覚じかくできました」

 そしてようやく『ある結論』に思い至った。

 「自覚?」

 「はい。出雲おおや大社しろでイレーズさんとお会いした神在かみありつきのあの日から体調がへんだったんです。急に胸が痛くなったり。耳が熱くなったり。ドキドキソワソワして落ち着かなくて。悪い病気ではないかと疑うほどでした」

 「それで? 悪い病気だったの?」

 「いいえ。どうやら私はイレーズさんにこいをしていたみたいです」

 イレーズは瞠目どうもくする。

 「ああ、『恋』か……。そうか、なるほど。恋の自覚か……」

 「……すみません」

 「なんで謝るの?」

 「えっと、何となく……、です」

 「瞳を照覧しょうらんさせてくれる? 凛花の過去を辿たどってみるからさ」

 「はい……」

 ふたりは見つめ合った。

 

 凛花はそっと覚悟を定めた。

 ……ああ、ちょっとだけつらいな。イレーズさんに五歳の『あの日』の出来事を感応とう透視されてしまうということだ。

 同情されるのかな。それともけがらわしいと毛嫌いされてしまうのかな。友人関係も終わって絶交されてしまうのかな。……そうなったら仕方ないけど悲しいな。ずっと友人でいたかったな……。

 

 イレーズの眉がかすかに動いた。ほんのわずかに表情を曇らせたのを凛花は見逃さなかった。

 ……ああ、胸が押しつぶれてしまいそうだ。恋の自覚と失恋が同時に訪れてしまった。

 わかっている。了知りょうちしている。私に恋などおこがましい。厚かましい夢を見てはならない。

 イレーズさんは未來王の四大弟子であらせられる極等万能祭司なのだ。相応ふさわしいのは純然じゅんぜん全美ぜんびたる者に違いない。けがこわれた不完全な欠陥人間の出る幕などないのだ。


 イレーズは自問じもんする。

 ……凛花の幼き日にまわしいインシデント(出来事)があった。

 しかし彼女はきながらも乗り越えてきた。卑屈ひくつにならず自棄やけにならず悲劇に酔いしれることもなかった。健気にほがらかに生きてきた姿を感応とう透視した。

 そして心を動かされた。

 ……そもそも俺は人間の過ぎ去った歳月になど興味はないはずだ。冷血漢であり同情心の欠片かけらさえも持ち合わせていない。呆れるほど冷淡無感情であることを自認している。

 それなのに凛花をけがしたこの男への憤りを抑えることができない。

 

 イレーズは天を仰いだ。

 ……ああ、そうか。そういうことか。もしかしたら俺は初めて『恋』をしたのかもしれない。

 神在かみありつきの出雲で凛花は『王』と友人になっていた。賢くて憎めない面白い女だと思った。

 俺も友人になりたい、率直にそう思えた。

 俺は凛花との再会を待ちわびていた。そして今日、会うことができた。

 ……嬉しかった。勝手に表情筋ひょうじょうきんゆるんだ。楽しい気分になれた。自然体でいられた。

 なぜか凛花の手料理を食べてみたいと思った。優しい味だと感じた。

 胸ががれるとか? 切ないとか? そんな感情はよく分からない。

 だけどもしかすると。この浮き立つ感覚が『恋』だというならば。……そうなのかもしれない。恋とはこんなに心がうわついて落ち着かなくなるものなのか……?


 イレーズは大きく息を吐き出す。

 「あのさ……。もしかしたら俺は、凛花に恋をしたのかも知れない……」

 そう言って頭を抱えた。イレーズは未知なる感情に戸惑って混乱していた。

 凛花にはイレーズが大きなため息をついて頭を抱えて途方に暮れているように見えた……。

 「あのっ! それはたぶん思い違いです。イレーズさんが私のような人間に恋をするはずがありません! だからきっと勘違いのはずです。安心してくださいっ」

 イレーズは怪訝けげんがおをして眉間みけんにしわを寄せた。

 「ねえ、それってどういう意味? 俺がミスリーディング(誤想ごそう)したってこと? 見解に狂いはないはずだけど?」

 「……。もしも間違っていないのだとすれば。私がイレーズさんをたぶらかしてしまったということです。申し訳ありません」

 「……? たぶらかしたって?」

 「私如ごときがたっとき未來王におつかえする極等万能祭司イレーズさんの心をまどわしわずらわせてしまったということです。それは罪深く恥ずかしいことです」

 「……? 何を言っているの?」

 「申し訳ありませんっ」

 凛花は深く頭を下げた。

 「……。それってさ。要は『友人』から『恋人』には昇格しない、ってこと?」

 「はい」

 「どうして?」

 「すでにご承知かと思いますが。私の身体はけがれています。あちこちが壊れています。イレーズさんに相応ふさわしいお相手は私のような者ではありません」

 「相応しいって……、何なの? 要するに俺は凛花の恋愛対象外ってこと?」

 「はい。恋人、なんて有り得ません」

 「……。そっか…………」

 イレーズは神妙な面持おももちをしてしばし考え込んだ。

 「うーん、とりあえずこの件は『保留』にしよっか。今はお互いが混乱している気がするしさ。お互いに少し頭を冷やそう」

 「……。」

 「じゃあさ、俺たちの共通の友人である『太郎』の話でもしようか」

 「太郎さんの? ……はいっ!」

 凛花の沈んだ感情はわずかに持ち直した。

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