第二十章 ③ブランチタイム

 三峯の丘の上。

 ノアがしびれを切らす。

 「ねえっ! そろそろお弁当タイムにしましょうよ! お腹が空いたわ」

 「うんっ! すぐに用意するね」

 凛花はリュックから弁当を取り出してふたを開けた。助六寿司に厚焼き玉子。唐揚げとレンコンきんぴら。白菜と生姜の浅漬けが重箱にいろどりよく詰められていた。おしぼりと紙皿と割り箸を渡す。 

 コン太は右手に三角いなり、左手に唐揚げをつかんだ。大きな口でかぶりつく。

 「ムグムグムグ。あー、やっぱり美味うまいっ! 凛花の手料理は最高だよな!」

 「ほんとよね! 凛花、美味おいしいわ」

 厚焼き玉子をつまんでノアはご機嫌だ。

 イレーズの目の前に重箱を差し出そうと、凛花は勇気を絞り出す。

 「あ、あのっ! ためしに食べてみますか? お口に合うかわかりませんが……」

 「え……」

 イレーズはわずかに躊躇ためらいながらも右手の指先が動いた。

 「うーん。じゃ、食べて、みようかな……」

 おもむろにいなり寿司を指でつまんだ。そうしてポイっと口の中に放り込んだ。

 

 コン太とノアは驚愕きょうがくする。

 「お、おいっ! イレーズ、吐き出せよ! はらかない身体のお前がわざわざ何かを食べる必要はないんだからさ。それに凄まじいまでの潔癖症じゃないか!」

 「そうよ、無理しないで! イレーズは人間の手作りなんて恐ろしくて一切食しょくさないって有名なのよ」

 「わっ、潔癖けっぺき……! すみません! 無理強いしてしまって。どっ、どうしよう! 申し訳ありませんっ」

 凛花は咄嗟とっさに重箱のふたを閉じた。

 「あれ? ……味がした」

 イレーズがぼそり、つぶやく。

 「凛花、味がしたよ! 不思議な味だけど美味おいしかった。ビックリ、味がしたよ」

 「味がした、……ですか?」

 イレーズが微笑む。

 「俺たちのいる『兜率天とそつてん』の住人は確かに腹は空かないけどしょくすことはできるんだ」

 「五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)はあるのですね?」

 「うん。五感だけでなく第六感(ESP・超感覚)までぎ澄まされているよ」

 「わ、そうか。第六感(ESP)も……」

 「とはいっても。あらゆる『欲求』が薄いからさ。食べても食べなくても、飲んでも飲まなくても、眠っても眠らなくても。どっちでもいいってだけ。だけど気が向くとフルーツを食べたりするよ」

 「喜怒哀楽きどあいらくの感情はあるのですか?」

 「当然あるよ。悟りを開いての『の境地』っていうのを、『未來王』は良しとしていないからね」

 「え? 確か修行をして目指すのは『無の境地』ですよね? 到達すべきは煩悩ぼんのうや苦しみから離れた『無』のはずですよね? それこそが理想の『悟り』なのですよね?」

 「ククッ、確かに世間的にはそう言われているよね? だけど王は違う。難行苦行なんぎょうくぎょうなんてナンセンス。それに無味乾燥むみかんそうとした『無』の人生なんてつまんない。冗談じゃないってさ」

 「ええっ?」

 「そもそも何も感じない奴に苦しみや痛みがわかるのか、って考えなんだよ」

 「それは確かに……」

 「だから兜率天とそつてんの住人には五感が備わっている。さらには良くも悪くも『本物』だけには『超感覚』が過剰はん反応のうする。そう設定セッティングされているんだよ」

 「本当に先進的なのですね。まさにネオフューチャーです」

 「あ、そうだ。人間界では『太郎』の母親の料理なら何度も食べたことがあるよ」

 「わ! 太郎さんのお母さま!」

 「お母さまって……。ククッ! 太郎の両親は驚くほど庶民的だよ? しかしどうやら料理の腕前は凛花がうえのようだね。太郎の母親の料理は大体パターンが決まっている。四人衆でいつも揶揄からかうんだよ(怒るけど)」

 「そんな……」

 凛花は恐縮した。

 

 コン太とノアはある確信をする。これは早々そうそうに撤収すべきだとアイコンタクトを交わして頷き合う。

 ノアが声をあげる。

 「あっ、あらあっ、嫌だわあ! いっけない! きゅ、急用を思い出したわっ。い、急いで行かないとっ!」

 声が裏返っている。相変わらず白々しい演技だ。しかしコン太にとってはえ萌え! だった。

 「イヒヒッ(まったくノアは可愛いなあ)! じゃあ、おいらとノアは急用ができたから先に戻るよ。ごめんよ、悪いねえ?」

 凛花はあわてふためく。

 「えっ、待って待って! すぐに片付ける」

 「いやいや! 折角せっかくの奥秩父ピクニックなんだからさ。イレーズとふたりでのんびりしてきなよ。なあ、イレーズ。あとで凛花を送り届けてくれないかい? 夕方でいいからさ」

 「そっ、そんなそんなっ、とんでもないです! 私もノアと一緒にすぐに帰ります。お弁当を食べていただきありがとうございました! お会いできて嬉しかったです!」

 頭を下げて早口でしゃべる。焦ってバタバタ片づけを始めている。

 「あのさ、凛花。もしも迷惑でなければ少し気晴らしに付き合ってもらってもいい? 日向ひなたぼっことかでいいからさ。どうかな?」

 そんな凛花の姿にイレーズは目を細めた。

 「そんな、迷惑なんて……。よろしいのですか?」

 思いがけない提案だった。

 「今日はさ、なぜか急にオフになってひまなんだよ」

 「……はっ、はいっ!」

 気づけばレジャーシートと重箱弁当は消えていた。ノアとコン太はもうそこにはいない。

 「クク、コン太らしいな。じゃあ、こっちに座ろうか?」

 イレーズは日本武尊どうぞの背後にある桜色のベンチにうながした。

 冬晴れの薄い日差しが並んで腰かけたふたりを暖かく包み込んでいる。

 凜花の目には、強い風に誘われて動く白い大きな雲が映っていた。

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