カミハカリの演算 ネオフューチャー・ドラゴンゴッド

第十九章 ④レンジとサユミ

　白金・高級マンション。

　「ゔあああっ……！」

　深夜二時半。レンジは汗だくになって飛び起きた。黒光りした九頭龍に責め立てられる夢を見たのだ。

　十五年前のあの日から何度も同じ悪夢に魘（うな）されている。夢から覚めると全身がぐっしょりと汗で濡れている。

　……鬼畜めっ！　鬼畜めっ！　九つの龍頭（りゅうず）が斉唱（せいしょう）する。寄（よ）って集（たか）って俺を威嚇（いかく）する。

　夢の中で俺は反抗する。

　「黙れっ！　お前のほうこそ鬼畜ではないか！　不気味で奇（き）っ怪（かい）な龍神め！　そんな恐ろしい形相（ぎょうそう）をして！　お前こそ薄気味悪い化け物じゃないか！」

　「ふうん。あんたってさあ、最低の最悪だよねえ？　性根が腐っているみたいだねえ？　恥ずかしいねえ？　イヒヒッ！　鬼畜めっ！　鬼畜めっ！」

　「うるさい！　この化け物！　黙れっ」

　俺は悪態をついて歯向かう。楯突（たてつ）いてまぜっかえす。

　九頭龍は俺を見下して嘲笑（ちょうしょう）する。

　「おいらとレンジさんはさあ。そのうちにまた会うかもしれないねえ？　そのときはどうぞよろしくねえ？」

　……？　どこかで聞いた覚えのある声だった。聞き馴染みのある言葉だった。

　都内・某スタジオ。

　昼過ぎから始まった撮影を終えた。まだ夜の七時だった。

　スマホにメッセージが入った。それは偽装結婚している女優『サユミ』からだった。

　【レンジさん、撮影終わりました？　いつもの場所で『定例会』をお願いします】

　俺は即座に返信する。

　【これからすぐ向かう。三十分後には着く】

　中央区・銀座。フレンチレストラン。

　レンジはいつものパーキングに車を停めた。店内に入ると係の者が駆けつける。すぐさまサユミの待つ個室へと案内された。　

　此処（ここ）は夫婦行きつけの隠れ家風フレンチレストランだ。月に一度の『定例会』がてら妻サユミと食事を共にしている。落ち着いた雰囲気で料理も旨（うま）い。

　しかしふたりきりではない。双方のマネージャーが同席する。マネージャーは互いに口が堅くて信頼が置けるヤリ手である。

　サユミのマネージャーはデビュー当時から『女優サユミ』をサポートする敏腕だ。

　レンジのマネージャーは宇和島の幼女レイプ事件を円滑処理した当時の付き人なのだ。

　レンジが男性マネージャーを伴（ともな）って個室に入る。

　「お待たせしてすみません」

　女優オーラ全開のサユミが微笑む。

　「レンジさん、お疲れさま。お料理は三十分後に運ばれてきます。いつもの……、すぐに始めていいかしら？」

　「もちろん。すぐに始めよう」

　月に一度の『定例会』が始まる。

　まずはサユミのマネージャーが今月のスケジュールを読み上げる。レンジのマネージャーがそれに続く。お互いがお互いの予定（スケジュール）を大まかに把握してマスコミ対応の口裏合わせをするのだ。

　謂（い）わば定例会とは。『偽装結婚』を円滑遂行（すいこう）するために欠かせない定常業務なのである。

　さらには。レンジとサユミ夫妻は毎月必ず銀座の高級フレンチレストランで食事を楽しんでいる。……これはマスコミ周知の『恒例（こう）行事（れい）』になっており、イメージアップ戦略も兼ねているのだ。

　予定（スケジュール）確認作業が終わると食事が運ばれてくる。まずはノンアルコールワインで乾杯する。

　「じゃあ、サユミ。引き続き良い『妻役』を演じてくれ。……乾杯」

　「ええ、承知しました。……乾杯」

　ふたりはひと口含んでグラスを置いた。

　レンジは改まって告げる。

　「サユミ、……いつも悪いな。今更（いまさら）だが感謝している」

　「まあ！　あら？　うふふ。どうしたの？　そんな謙虚な言葉、初めて聞いたわ？」

　「確かにそうだな……。俺は性根（しょうね）の腐った最低最悪男だからな」

　「ふふふ。何それ？」

　「夢の中でいつも罵（ののし）られているんだよ」

　「まあ、そうなの？　だけどレンジさん、最近なんだか角（かど）が取れたみたい。もしかして本気の恋でもしているのかしら？」

　「いっ、いや、そんなことは…………」

　「やだっ！　図星なの？　尊大（そんだい）なレンジさんが動揺するなんて。一体どんな素敵な女性に入れ込んだのかしら？」

　「おい、揶揄（からか）うなよ。……完全な片思いだ」

　「うふふ。らしくないわね」

　「好意を抱（いだ）いても報（むく）われることはない」

　「まあ、それはそうよね。私とレンジさんは『偽装（ぎそう）』とは言え、『既婚者（きこんしゃ）』ですもの」

　「ああ、それもそうだな」

　「……ねえ。離婚、しなくていいの？」

　「いや、その必要はない。この片思いは実らないからな」

　「あらっ、そうなの？　うふふ……」

　食事を終えた。マックスマーラのコートを翻（ひるがえ）して颯爽と歩くサユミの姿は華やかだ。店内の客やスタッフまでもが釘付（くぎづ）けになって見惚（みと）れている。

　会計を終えてレストランから表に出た。

　「あ……っ」

　ピンヒールのサユミがつまずいてふらついた。

　「サユミ……ッ！」

　俺は咄嗟（とっさ）に手を伸ばす。サユミは大きくバランスを崩して倒れ込んできた。

　なんとか地面に転倒させずに済んだ。サユミは俺の胸の中にすっぽりと収まった。

　……パシャッ！　パシャッ！　

　抱きかかえるように受け止めたその瞬間を『パパラッチ』に撮られてしまったようだ。

　翌週発売の芸能週刊誌に派手な見出しが躍（おど）った。

　【偽装結婚はデマ】

　【夜の銀座で熱い抱擁（ほうよう）】

　【レンジとサユミ。愛を再確認】

　図（はか）らずも。偽装結婚疑惑が払拭（ふっしょく）される形になった。地に落ちていた世間のイメージはわずかに回復した。

　所沢市・公営住宅。

　部屋にぽつんとひとり。ため息まじりに週刊誌をめくるナナの姿があった。スクープ写真を見つめる表情は寂（さび）し気だった。

　「そっか……。レンジとサユミ夫妻って、やっぱり仲良しなんだね。……ふたりとも素敵だな。美男美女でお似合いだなあ……」

　ナナはレンジとサユミのスクープ記事を丁寧（ていねい）に切り取った。

　ごそごそと押入れの奥から蓋（ふた）つきの水色収納ボックスを引っ張り出す。ボックスの蓋（ふた）を開ける。中には幼い頃からの『宝物』が詰め込められていた。ぬいぐるみやマスコット、ぬり絵やシールなど。『思い出』が大切に保管されていた。

　ナナはボックスの一番下の『ザ・ラッキー・ラビット・オズワルド』のトートバッグを手に取った。さっき週刊誌から切り抜いたレンジとサユミのスクラップ写真を『オズワルド』のトートバッグにそっと入れた。

　そうしてまた水色の収納ボックスの蓋（ふた）を閉じる。

　誰にも見つからないように。隠すように。押入れの奥深くに仕舞い込んだのだった。