第十九章 ①レンジの挙動(コンダクト)

 火曜日の午後三時。レンジは緑溢れる所沢航空記念公園に到着した。有料パーキングに愛車のアルファードを停めた。

 航空記念公園は米軍基地跡地に造られた広域公園である。終戦後に米軍に接収されていた飛行場が返還されて今では公園に姿を転じている。

 その広大な敷地には『航空発祥記念館』や無料ドッグラン。野外ステージや運動場など。多くの設備が点在している。

 スポーツ大会やら文化イベントがことごとに開催される周辺住民憩いこいのスポットだ。


 レンジの服装は上下セットアップのランニングウエア姿だった。そそくさとランニングシューズにき替える。認知度抜群の顔はフェイスカバーでおおい隠す。

 車から降りて木陰こかげで軽くストレッチをする。そうしてメインの歩道を颯爽さっそうと走り出した。 

 

 レンジは映画撮影の隙間すきま時間を見つけては車を飛ばして航空公園を訪れていた。

 そうして毎回同じ経路ルートを走る。往復八キロほどの決まったランニングコースを顔を隠してひた走る。

 ……航空公園から並木が続く歩道を走って防衛医科大学病院前を通り抜ける。突き当たって左に曲がる。ガード下の歩行者専用通路をくぐって新所沢駅西口方面に向かう。

 休憩ポイントの緑町中央公園で水分補給をする。小休止しょうきゅうしがてらしばし周辺をうろつく。

 その後また走る。緑町三丁目の信号を左折して数キロ、宮本町『ところさわ明神社しんめいしゃ』に立ち寄る。それから航空公園の駐車場に戻る。

 これがレンジの定番コースなのだ。


 しかし実のところ。本来の目的はジョギングではない。

 ……羽衣ういの母親に会いたい! ひと目でいいから。遠くからでいいから。顔が見たい!

 この欲求をどうしてもおさえることができなかった。

 レンジは周囲にあやしまれないように『ジョギングする男性』を演じる。ストーカーさながらに羽衣の母親の姿をのぞき見る好機チャンスうかがっていた。


 『羽衣うい』とは同業者として相変わらず友好的関係が継続している。以前からプライベートで食事や買い物をともにしている。

 しかし『父娘おやこ』であるという事実は秘したままだ。説明があまりに難儀なんぎ過ぎる。途轍とてつもなく後ろ暗いのだ。

 最近はしょう監督の作品映画で共演していることもあってスケジュールが重なることが多い。そのため撮影終了後にアルファードで所沢の自宅前までちょくちょく送り届けていた。

 だから羽衣の自宅(実家)は見知っていた。新所沢駅西口付近の公営住宅一階に母親と祖父母と四人で暮らしている。

 

 俺は羽衣むすめが可愛くて仕方ない。羽衣と過ごす時間は心がやわらぐ。

 帰路きろの車中で羽衣からさり気なく生い立ちまで聞き出していた。

 MS(多発性硬化症)の祖父は羽衣がまれる前から車いす生活で障害者認定を受けている。

 静かで穏やかで優しい性格らしい。

 祖母はスーパーの早朝の品出しバイトとコンビニのパートを掛け持ちしている。

 働き者で料理が得意なのだという。

 そして母親の名前は『ナナ』である。ナナは平日の昼間に四時間ほど近所の飲食店でアルバイトをしている。長時間労働ができないのは父親の通所デイサー介護ビスの送迎時の付き添いと介護のためだという。

 デイサービスは火曜と木曜の週二回。送迎車が公営団地の敷地内まで来てくれる。乗降の際には欠かさずナナが付き添っているのだという。

 通所デイサー介護ビスの車が公営住宅に入る乗降時にジョギングの時間が重なり合えば。『ナナ』に会える可能性が高いのだ。

 

 そうしてひと月前。ようやくナナの姿をとらえることができた。

 周囲の景観にけ込みながら距離を縮めて近づいた。

 そして思わず息をのむ。

 ……ゴーンッ! ゴーンッ! 脳内で激しく鐘が鳴った。うそのようだが二十三年前のあの日のようにかねが鳴り響いた。

 ナナは二十数年という過ぎた年月を感じさせないほど若々しかった。昔より体形は少しぽっちゃりしたように見えた。しかしショートカットに大きな瞳。庇護ひごよくをそそる小動物のような容姿は変わらず手放しに可愛いと思えた。

 ナナが『羽衣の母親』である。その事実がことさらぜんじゃくが増す誘因インセンティブになった。

 

 俺の心臓部ハート射抜いぬかれた。

 帰宅してからも興奮がめやらない。動悸どうきが止まらない。ため息が自然と漏れる。

 ベッドに横になる。どうにもねむれない。ナナのことばかりがグルグル頭に浮かぶ。うつらうつら(レム睡眠)と寝返りを繰り返す。ようやく睡魔すいまが襲ってきたのは明け方だった。

 ……そして俺はいつもの夢を見る。十五年前から見続けているそれはまさしく『悪夢あくむ』だ。

 ……九つの黒光りした龍頭りゅうずを具した龍神が威嚇してくる。俺を責め立ててくる。過去の罪悪をとがめてなじる。九頭くずりゅうってたかって声を揃える。

 『レンジさん、あんたって最低の最悪だよねえ? 理性の欠落した鬼畜だよねえ? ……鬼畜め! 鬼畜め! 鬼畜め! この恥知らずの、鬼畜めえ…………っ!』

 

 「うっ、うあああああっ……!」

 恐怖で震えあがって飛び起きた。ハアッ、ハアッ、呼吸があらく乱れている。

 ぶわっ、額からは冷たい汗がき出した。気づけば全身が汗でぐっしょり濡れていた。

 ……嗚呼ああ! 済まない、悪かった。だから九頭龍よ、どうか頼む。

 俺を、許してくれ……!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る