第十七章 ⑤友人からの贈り物

 稲佐の浜にそよ風が吹き抜ける。

 凛花の体内に不思議な変化が起こっていた。

 ……あれ? 血液が逆流している? 背中が軽い。肩が軽い。頭のモヤモヤがクリアになってえてきている。

 

 幼少期(五歳)の頃から心の奥には何千本もの毒針どくばりが突き刺さっていた。

 年月の経過によって。家族から注がれる愛情によって。その心に刺さった毒針は少しずつ減っていった。だけど最深部さいしんぶにはまだ数本残っていた。

 その細くて鋭利な『どくばり』が抜け落ちて消えていく幻影げんえいまぶたの奥にえいじられた。

 憎しみにとらわれて深く突き刺さっていた毒針。

 けがれた欲望に血塗ちぬられた毒針。

 どす黒い嫌悪感を宿していた毒針。

 すべてが跡形もなく消え去った。

 

 心は寛大な『ゆるし』に変転した。

 柔らかく穏やかな光が差し込んでくる。心が洗われて澄み渡っていく。まるで生まれ変わったような心地ここちなのだ。

 凛花は感動して震えた。

 「うっ、うううっ……。幼少期から今まで。心の奥底ではずっとなげきの悲鳴を上げていました。ですがたった今、毒の針が消えてなくなりました。太郎さんのお陰です……! ありがとうございます……」

 凛花は大粒の涙をこぼして泣いた。

 「これほどまでにたっとい『本物えに』がいただけるなんて出雲おおや大社しろのご利益りやくは凄まじいです。ありがとうございます。本当に本当に、ありがとうございます…………」

 何度も何度も礼を伝えた。

 

 太郎は笑う。

 「ハハハ、大袈裟おおげさですよ。それに出雲おおや大社しろのご利益はこれからが本番です。もしかすると『運命の恋』が始まるかもしれませんよ?」

 「…………?」

 「凛花さん、よく聞いてください。

 イレーズは天才ゆえに気難しく見えるかもしれません。ですが実はとても繊細せんさいで心根の美しい優しい男です。今後とも仲良くしてやってください。是非とものお願いです」

 「……? はい」

 

 ふたりは立ち上がる。砂をはらって向かい合う。

 太郎は不意に空を見上げた。

 「ああ、そろそろ時間だ。割子わりご蕎麦とぜんざい餅をご馳走ちそうになったお礼を差し上げます。右手のてのひらを広げて出してください」

 うながされるままに右手を差し出した。太郎は凛花のてのひらの上にポン、と何かを置いた。

 それは小さな巾着きんちゃく型の『あお布袋ふたい』だった。「わあ! ありがとうございます。白い花模様の刺繍ししゅうが可愛いです」

 「それはりゅう華樹げじゅの花の刺繍ししゅうです。この花茣蓙はなござと同じ模様です」

 「みかんも白い花を咲かせるので親しみを覚えます」

 「古事記こじき紐解ひもとけば。みかんは『黄泉よみの国』では不老不死の縁起ものとされています。この『りゅう華樹げじゅ』の花も縁起ものです。……たぶんですが」

 「わあ、そうなのですね!」

 「その蒼い布袋ふたいの中にはふたつの『石』が入っています。凛花さんの『御守り』にしてください」

 「ありがとうございます。大切にします!」

 

 太郎は思いついたように告げる。

 「ああ、そうだ! もしもイレーズが凛花さんを威嚇いかくしてきたら、この『布袋ふたい』をイレーズの目の前に差し出して抵抗してください」

「……威嚇いかく、ですか?」

 「そうです。その布袋ふたいを見せて落ち着かせてください」

 「わかりました。ですが、もうイレーズさんとお会いすることはないと思いますが?」

 「ハハ、すぐに会いますよ。コン太とノアとともに。もうもなく此処ここにやって来ます」

 「そうなのですか?」

 「しかしイレーズの場合。この『御守りの布袋ふたい』を見せたとしても興奮して詰め寄ってくる可能性があります。ですので念のために対処法をお伝えしておきます」

 「……。はい」

 「イレーズのほおを両手に挟んで視線を重ね合わせてください。要するに。顔を近づけて見つめ合えばいいのです。わかりましたか?」

 「…………? はい」

 凛花は訳が分からない。首をかしげながらうなずいた。

 太郎は言い置く。

 「凛花さんは稲佐の浜の美しい夕日を堪能たんのうしてからお帰りくださいね。それではまた。そのうちにお会いしましょう」

 

 シュンッ…………! 

 消えた。太郎はまたたく間に消えてしまった。

 

 凛花は茫然ぼうぜんとして立ち尽くす。

 余りにハイテンポだった。そして余りに呆気あっけない別離だった。ビジーで思考が追いつかない。

 ……もしかしたら先ほどまでの出来事は夢だったのかも知れない。

 思い切り自分のほおをつねってみる。……いたっ! 痛みを感じた。

 てのひらを開く。そこには龍華樹の白い花模様の刺繍ししゅうほどこされた『蒼い布袋ふたい』があった。

 どうやら夢ではないらしい。

 

 凛花は出雲の『本物えに』に感謝する。霊妙れいみょうなる神様の友人ができたのだ。

 ユーモアがあって少々せっかちな新たな友人『太郎さん』に。改めて心奥から感謝して。ひれ伏した。

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