第十六章 ④太郎のレクチャー

 稲佐の浜。

 凛花は急に焦り出す。

 「えっと、あの、急に差し出がましいのですが。『神様』がここでのんびりしていて大丈夫なのですか? カミハカリ(神議かみはかり)に出席するために出雲にいらしたのですよね? 八百万やおよろずの神々が今まさに本殿に参集されているのですよね?」

 太郎はフッと笑みをこぼす。

 「ああ、そのようですね。まあ、今年はサボります」

 「必須ひっすではないのですね? サボってしかられたりしませんか?」

 「神々の出席は必須ひっすですね。ですが恐らくまあ、たぶん大丈夫でしょう」

 「たぶんって……。本当に平気なのですか? ちょっと心配です」

 「ハハハ、心配ないですよ。だけど来年のカミハカリは面白くなりそうなので必ず出席します」

 「来年は面白いのですか? それじゃあ私も行きたいです」

 「ええ。来年のカミハカリには凛花さんも必ずいらしてください」

 「ええっ? 太郎さんは招待者を選定する権限けんげんをお持ちなのですか?」

 「権限? そんなえらそうなものは持ち合わせていません。ですが。凛花さんは来年のカミハカリに必ずいらしてください」

 「それは行きたいですけど……。大丈夫なのかなあ。部外者禁止! って偉い神様にしかられてしまいそうです」

 「そもそも『偉い神様』ってなんでしょうかね? 威張って踏ん反り返って権威けんいを振りかざすような神や仏など時代遅れでダサいです。むしろ恥ずかしいです」

 「ふふ。太郎さんは面白いですね」

 「ハハ、適当なのですよ。基本的に真面目まじめではありますが不真面目ふまじめなので」

 「ええ? 難解なんかいな性格なのですね」

 「友人からは、のんびりしていて落ち着きがないだとか。せっかち、短気、気まぐれだとか。緻密ちみつで雑だとか。よく言われています。 

 ……考えてみれば悪口ですね。もしかしたら嫌われているのかもしれません」

 「いえっ、それは親しみの証です! 間違いありません。素敵なご友人なのですね」

 「ええ。信頼の置ける友人がいることは幸せなことです」

 「はい。私もノアとコン太が大好きです」

 「ああ、そうだ。今日はカミハカリをサボったので夕方まで時間ができました。よろしければ新しい友人の凛花さんとお喋りでもしようかと思います」

 「わあっ! 本当ですか? それでは図々しいお願いをしてもよろしいでしょうか?」

 「何でしょう?」

 「出来ればこの機会にもっともっとご教導をお願いしたいのです」

 太郎は目を丸くする。それから静かに微笑んだ。

 「そうですか。それは嬉しいお願いですね。かしこまりました……」

 

 りゅう華樹げじゅ花茣蓙はなござにふたりは並んで座っている。太郎はしばし静黙して少し満ちてきた海を見つめていた。そしておもむろに語り始めた。

 「それではほんの少し。基礎知識から学んでみましょうか」

 「はい」

 「では深呼吸して肩の力を抜いてください。そして気軽に聞いてください」

 

  太郎は語る。

 ……まずは古事記や日本書紀をもといとした天地開闢かいびゃく神話や起源。かんながら神道のみちの定義を簡潔に説く。 

 さらには苦楽くらく中道ちゅうどう四諦八したいはっ正道しょうどう六道ろくどう輪廻りんね十二じゅうに縁起えんぎについて。『慈悲と無常』『くう』など仏教的観点を織り交ぜての見解を釈義しゃくぎ教化きょうげする。

 ちょっぴり怖い閻魔えんま大王だいおうやサタンやハデスやプルートについても親しみ深くレクチャーする。

 太郎の講義はウイットに富んでいて分かりやすい。楽しくて面白くてテンポがよい。凛花は思わず身を乗り出して傾聴けいちょうする。


 「難しいワードを並べて偉そうにお伝えしましたが理解できなくても罪には問われませんのでご安心ください」

 「まあ平たく言えば『バランスが大事』ってことですね。それさえ分かっていれば十分ですよ」

 「諸悪や罪人を憎む心があるのは当然です。しかし行き過ぎた正義や過剰なる矯正きょうせいは心をすさませます。それは被害者が加害者に転じた瞬間でもあります。憎んでいた罪人と『同類』になった瞬間でもあります」

 「怒りとか憎しみとかうらみとか。苛立いらだマイナスの感情は多くのエネルギーを消費します。さらには周囲に不快感を撒き散らし疲弊ひへいさせます」

 「プラスへの心情転換は身魂しんこん涵養かんようします。そして周囲に安心感やいやしを与えます」

 「生きるとは。苦しみの連続なのかも知れません。ですが軽快にリズムを刻んでテンポよく行動したならば。嬉しい出来事との遭遇そうぐう確率は飛躍的に上昇します」

 「結論を言えば。次にホモサピエンス(人間)に生まれ変われる確証など誰にもありません。ですから、その観点だけを見れば人間は『平等』なのですよ」

 「知識の足りなさや心のり方を探求たんきゅうするほどにじんじんであることを知ります。深く知れば知るほどに分からなくなるのが道理どうりです。ですから分からないことが多いということはほこらしいことです。恥ではないのです」


 凛花は小気味こぎみ淡白たんぱく教化に感服だ。気品あるユーモア発言に何度も吹き出して笑った。 

 太郎は一見するととらがたくて取っ付きにくい。けれど心安こころやすくて気さくな人柄だった。お茶目なジーニアス(天才)だと感じた。 

 しかしパーソナルスペースは決しておかしてはならないと本能的に察した。

 光背オーラを意図的に消して隠している。それでも神聖であり崇高なる空気感は隠せていない。神々こうごうしいまでの威厳いげんを感じるのだ。

 太郎のバスバリトンの低音ヴォイスは清爽せいそうなる外見とはギャップがある。けれど潜在意識に響いて心耳しんじに残る。

 端然たんぜんたる無音のようなたたずまいは独特であり極上だ。無二むになる人物に違いない。きっと心優しき偉大なる神様なのだろう。

 そう確信して。勝手に得心した。

 

 講話の途中に『おやつタイム』を挟んだ。先ほど買った『ぜんざい餅』の封を切る。ペットボトルのお茶を飲む。

 「おいしいですね」

 「はい! 五個入りなのでもっと食べてください」

 「いえ、ひとつで十分じゅうぶんです。ありがとうございます。またご馳走になってしまって申し訳ありません」

 凛花は大きく首を横に振る。

 「それにしても。変な老爺ろうやからまれて。散財さんざいをして。凛花さんにとって今日は『厄日やくび』かもしれないですね?」

 「いえ! とんでもありません! 私の人生最良の日は『今日』かもしれないって思っていたくらいです」

 「なぜですか?」

 「表龍王さまのご一族にまみえて。尊敬していたカリスマ神霊獣使いにお会いできて。大好きな龍神たちに囲まれて。神在月の出雲観光をして。そして太郎さんと友人になれました!」

 「うーん、なるほど。しかし今日が人生最良の日ではないようですね」

 「違いますか?」

 「ええ、違います。凛花さんの人生最良の日はこれからですよ。……たぶんですが」

 「そうかなあ? これ以上の幸せってあるのかなあ。想像がつきません」

 「まあ、おそらく。……ククッ、間違いなくありますね」

 「太郎さんがそう言うならあるのかもしれません。じゃあ、楽しみにしておきます」

 「ハハ、そうしてください」

 太郎さんは崇高なのに穏和おんわでほのぼのした人柄だ。

 柔らかな空気感に凛花の心は自然となごんでいやされていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る