第十六章 ①まん丸お爺さん

 出雲おお大社やしろ境内けいだい

 凜花にとっては初めての神在かみありづきの出雲観光だった。足取りが軽い。

 本殿の参拝を終えて。まずは『縁結び守』と『壮気健全守』の肌守りを一体ずつ求めた。

 そうして神楽かぐら殿でんへと移動する。

 日本一の『大注連縄おおしめなわ』を見上げて拝す。凛花は壮大なスケールに感激してポカンと口を開けて見入ってしまった。

 左方さほう上位じょうい大注連縄おおしめなわに圧倒される。飯石郡いいしぐん飯南町いいなんちょうの方々の出雲おお大社やしろへの深い想いが込められていることを感取かんしゅした。

 

 コン太の教導に従って帰路の境内は右側を歩く。

 あまてらす大御神おおみかみ大国主おおくにぬしのみ大神ことに敬意を表す。日本神話のイザナギ・イザナミ、スサノオの往時の由縁ゆえんさかのぼる。そうして太古たいこの歴史に思いをせた。

 歩みを進める。境内けいだいのあちらこちらに可愛らしいうさぎの石像を見つけて思わず顔がほころぶ。


 出雲おお大社やしろの正門を出た。

 これから『神門しんもんどおり』を散策する。ウキウキして胸がおどる。

 宇迦うがばし大鳥居から大社せい正門もんまで続く表参道は美しく整備されている。

 風情ふぜいがあってイマドキの土産物屋みやげものやや飲食店がのきつらねている。きょろきょろしながら小声でつぶや

 「わあ、カフェで出雲ぜんざい、良いかも! ぜんざいケーキ、おいしそう……! あ、しじみ汁も飲みたいなあ」

 

 熟考じゅっこうすえ。出雲そば(割子そば)を食べることに決めた。

 『そば処・出雲えにし』の暖簾のれんをくぐる。お昼前にもかかわらず蕎麦屋は混雑していた。店内は活気があってにぎやかだ。観光客たちの弾む声が響く。

 凛花は奥のテーブル席に案内された。即座にお品書きとにらめっこをはじめる。

 

 ガラリッ! 大きな音を立てて引き戸の扉が開いた。

 「なんだよ、昼前なのに混んでるなあ。あー、あーっ! それにしても腹が減ったっ」

 ガサツで野暮やぼったい『老爺ろうや』がひとり。ズカズカと店内に入って来た。

 シ————ン……。店内はまるで水を打ったように静まり返った。

 その老爺は坊主頭にでっぷりとした体格だった。身に着けている衣服には土やら染み汚れが付着していて薄汚れている。り切れてヨレヨレのズボンのすそはそこらじゅうがほころびている。浮浪者ふろうしゃさながらの身なりなのだ。

 店内の客たちはあからさまに嫌忌けんきして顔をしかめた。不格好ぶかっこうな風貌は小綺麗な観光客たちとは馴染なじまない。異質な空気をかもし出してしまっている。

 「おいっ! どこに座ればいいんだよ」

 俚族りぞく(粗野)な態度の老爺ろうやに店員は困惑して戸惑っていた。


 老爺はちんけ(粗末)な頭陀ずだぶくろを首からぶらさげて、ぶらんぶらん揺らしながら店内をウロウロと歩き回る。そうして凛花に近寄って声を掛けた。

 「お嬢さんひとりかい? 相席あいせきしてもいいかい?」

 客たちはドン引きした。標的にされた若い女性に同情する。一斉にあわれみの視線が注がれる。

 「おいっ、小娘こむすめ。こっちは腹が減っているんだ。早く返事しろ!」

 観光客たちは眉間にしわを寄せた。この老爺はしい(みすぼらしい)うえに図々しい。不快感をあらわにする。白い眼を向ける。聞こえよがしに悪口をささやきはじめた。

 

 凛花は座ったまま老爺ろうやを見上げた。視線が合わさる。まん丸顔のお爺さんは目を細めてニカーッと笑った。

 ……なんだかほっこりした。ふと。宇和島のじいを思い出した。

 ……じいはいつだって土にまみれていた。畑に重たい肥料をいて草を刈って。根気よく剪定せんてい摘果てきかをして。手間てまひまかけておいしいみかんを収穫してくれていた。

 どろに汚れた長靴をいて。作業着に軍手をはめて。首に巻いた手拭いで額の汗をぬぐって。いつだって懸命に働いていた。愚直ぐちょくなまでにみかんを愛していた。

 爺は一見すると粗野で無頓着むとんちゃくに見えた。けれど実は鋭敏えいびんで賢くて優しかった。

 天に召される最期さいごの一瞬まで家族をおもんばかってくれていた…………。

 

 凛花は満面の笑顔でこたえる。

 「どうぞどうぞっ、大歓迎です! 座ってください」

 「……。良いのかい?」

 「はい、もちろんです! 実はね、ひとりで食事するのは寂しいなあ、って思っていたの。だからとっても嬉しいです」

 「へえ、そうかい」

 凛花はサッと立ち上がって向かい側の椅子いすを引く。

 「すまないなあ。はあ、どっこいしょっ」

 恰幅かっぷくのいい老爺はドシリ、腰を下ろした。

 観光客たちは悪口をピタリとめた。

 若い女性の思いがけない親切対応をの当たりにして気まずくなってしまったのだ。

 

 凛花は老爺ろうやたずねる。

 「ねえ、お爺さん。注文するけど出雲蕎麦そばでいい?」

 「そうだなあ。腹が減っているからなあ。腹いっぱいに喰えればなんだっていいよ」

 「それじゃあ一緒にお蕎麦そばを食べましょう! 『三色割子蕎麦』を二人前! ひとつは大盛おおもりでお願いします!」

 元気よく注文を済ませる。そうしてなつこく話しかけた。

 「お爺さんの洋服には土がついているけれど。野良はた仕事をしてきたのですか?」

 「ああ、汚れているかい? もしや気分を害したかな?」 

 「ううん、全然っ! 私の実家は宇和島でみかん農家なんですよ。だから家族はいつも畑の土にまみれて農作業をしています」

 「そうかい。みかん農家かい」

 「幼い頃から一番の好物は祖父の作ったみかんでした。だけど私のじいは持病が悪化して先日亡くなってしまいました。だからちょっと寂しくって」

 「へえ、そうなのかい」

 「そのせいか。可愛らしいまん丸お爺さんを見ていたら大好きだった宇和島のじいのことを思い出してしまいました」

 老爺ろうやは目を細めて二度頷いた。

 「そうだったのかい。それは寂しいねえ。じゃあ親切にしてくれたお嬢さんには此処ここのお蕎麦を御馳走ごちそうさせてもらおうかな」

 凛花は首を横に振る。

 「ううん! 私におごらせてください! 私ね、大学ではコンピュータサイエンスを学んでいるの。だからアプリ系統のアルバイトをしているんだけど。かなり時給が良いの!」

 「へえ、かせいでいるのか」 

 「それにね! 自慢じゃないけど節約上手なの。だから一緒にお蕎麦を食べてくださるお礼にご馳走ちそうさせてくださいね!」

 「へえ、いいのかい? どうやら遠慮はいらないようだ。これはもうけた」

 老爺ろうやは間髪入れずにおごってもらうと返答した。店員と客は老爺のあまりの厚かましさに苦笑いした。

 

 ふたりは店内のあざける空気など意にもかいさない。

 「お爺さん、美味しいね! おなかは足りた? 他にも何か食べる?」

 「うーん。もうだいぶ腹がふくれたなあ」

 「ええっ? もう? 私ね『あご野焼き』と『たわらまんぢう』も食べたいよ」

 「お嬢さんは見かけによらず大食漢たいしょくかんだねえ」

 他愛ない世間話に花を咲かせる。食事を終える頃にはすっかり打ちとけて仲良くなっていた。

 「ああ、大盛りは多すぎた。おいしかったが腹がいっぱいだ。だけどまあやっぱり、自分の飯代めしだいだけでも払うとするかな」

 老爺はそう言って頭陀ずだぶくろの中に手を突っ込んだ。ゴソゴソあさってかき回す。

 「ああっ? こりゃ参った! どうやら財布を忘れたらしい。お嬢さんがいなかったら無銭むせん飲食いんしょくになるところだった」

 もはや店員も店内の客たちも呆れ返って笑ってしまった。

 「もう! お爺さんったら! 御馳走ごちそうさせてって言ったでしょう?」

 凛花はにこにこして会計を済ます。

 店内からはなぜか称賛しょうさんの拍手があがった。

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