第十一章 ①コン太の動向(プリペアー・準備)

 港区・白金しろかね

 高級マンションの一室。

 レンジは主演映画の脚本に目を通していた。レザーソファに腰掛けてロックグラスを傾ける。ふうっ、重いため息を漏らした。

 【人格者の仮面を被ったロリコン男が帰宅途中の女子中学生を車に誘い込んでレイプする。少女を車外に引きずりおろして逃げる。

 月日が流れてロリコン男は敏腕実業家となる。良家りょうけの妻と見合い結婚する。しかし円満を装った仮面夫婦である。

 男の会社に幼い顔立ちの女性新入社員が入ってくる。ロリコン社長は優位な立場を利用してめにする。しかし愛人となった新入社員の正体は、過去にレイプした女子中学生が出産した『実の娘』だった。……男の娘だった】


 息つくいとまもなく台本を読み進める。

 ……このセリフは? このシチュエーションは? 嘘だろう? 単なる偶然なのか……? 

 脚本と二十三年前の出来事が重なり合ってリンク(連繋れんけい)する。あの日の悪行が鮮明によみがえる。主演映画のストーリーは過去の罪過ざいかへの後ろめたさを再燃さいねんさせた。

 レンジは震慄しんりつして寒気さむけだつ。手が震えて呼吸が乱れる。額から嫌な汗がき出した。


 二十三年前にレイプした女子中学生と羽衣ういは似ている。声や仕草、笑ったときの横顔が酷似こくじしている。

 羽衣に初めて会ったのは半年前、偶然居合わせたテレビ局の通路で挨拶されたときだった。溌溂はつらつとした笑顔が眩しかった。愛くるしい人懐こさに好感を抱いた。羽衣から懇願こんがんされ、その場で連絡先を交換した。その日から電話やメールのやり取りを重ねて友好関係が築かれた。そしてそれは今に至る。

 時々、カフェでお茶を飲みながら羽衣に演技のアドバイスをする。仕事が決まったお祝いに洋服やブランドバッグをプレゼントする。スケジュール調整ができたときにはホテルの高級レストランで食事を共にする。仕事終わりに、羽衣の実家の最寄り駅『新所沢駅』まで愛車で送ったこともある。

 羽衣は仕事上の『仲間』である。特別に可愛がっている『後輩』である。単純に、純粋に、ただそれだけだ。それなのにゴシップ誌に写真を撮られ、愛人関係だと報じられた。双方の事務所は『親しい友人関係』と訂正コメントを発表した。

 しかし、世間はそれを信じなかった。


 まぎれもない事実として、羽衣ういは俺の愛人ではない。好みのタイプであることは間違いない。だが肉体関係はない。何故だかわからないが、羽衣に対して不埒ふらちな欲望をいだくことができないでいた。それどころか、良い人だと思われたい。

 独善的エゴ利己主義ストのはずなのに、紳士的やさ優男を演じてしまう。ただ羽衣に好かれたくて、信頼されたい。我ながらどうかしているが、そんな不思議な感情に戸惑っていた。

 それにしても、フィクションの脚本台本と現実がリンクするはずがない。そもそも輝章は何も知らない。何をも知りるはずがないのだ。

 ……羽衣が俺のむすめ? いや? まさか、そんなはずは……。 

 レンジに底知れぬ恐怖が襲い掛かってきていた。

 

 南行徳マンション。

 しょう思起そうきする。

 コン太からレンジの過去の罪悪を聞かされたとき、愕然がくぜんとして言葉を失った。頭の中は一瞬にして真っ白になった。あまりの衝撃ショック平衡へいこう感覚かんかくを失って倒れ込みそうになった。

 不意に涙がこぼれ出て、恩人である『龍使い』に思いをせた。 

 

 如月きさらぎ(二月)のあの日。

 宇和島のみかん畑の地面にふたり仰向けに寝転んで青い空を見上げた。そこは彼女にとって特別な場所だった。カタルシス(浄化)が得られる『聖地』だった。

 その『絶景』の中で淡々と語られたのはおぞましい過去だった。幼少期に起こった凄絶せいぜつなるインシデント(出来事)だった。

 深い絶望と悲しみを乗り越えた彼女が、煮え切らない僕を励ましてくれた。生きていて良かった、あなたの未來はあなたのもの……、そう言って背中を押してくれた。諦めかけていた夢をつないでくれた。

 鬼ヶ城の浜辺で彼女から贈られた『伝言メッセージ』は、生涯の指針であり、珠玉しゅぎょくの宝だ。

 ……今の僕があるのは、龍使いとしての使命をまっとうしてくれた『凛花さん』のみちびきにほかならない。 

 

 コン太は泰然たいぜんと話す。

 「凛花は確信していた。輝章くんが夢を叶えれば、周囲の人までもが恩恵おんけいを分け与えられ、恩沢おんたくに浴すはず。だからこそ、稀有けうな才能を放棄ほうきしたらもったいない! 諦めずに夢を叶えて欲しい! 多くの人にチャンスを与えて欲しい! そう心の底から願っていた。……それに、凛花が幼少期の危難きなんを語ったのは、後にも先にもひとりだけ。ふたつのリズム(グラビリズムとモアレリズム)が最大値の輝章くんだけなんだよ。まあ普通なら、口にするのさえ、しんどいはずだからねえ?」

 「…………はい」

 輝章は目頭が熱くなる。ジン、胸ががれて痛くなる。


 一転して、コン太は冷ややかな笑みを浮かべた。

 「龍神界はさ、レンジをえて成功者にしていたんだよ。まずは高いところまでかつぎ上げて最高の気分を味わわせる! そして容赦ようしゃなく叩き落とす! 高ければ高いほどちたときの衝撃は大きいからねえ? そろそろコイツを奈落の底に突き落とそうかって検討中なんだ。今まで散々愉たのしんだだろうし? もういいかも? ……だよねえ?」」

 輝章は不穏ふおんな言葉に恐ろしさを感じる。しかし、コン太と同意見だった。

 俳優レンジは能界の並外れた成功者である。しかし、恩人である凛花さんをけがし壊した張本人である。さらには実の娘である羽衣さんを愛人にしている。たとえ無自覚とはいえども、不埒ふらちな最低男だ。

 ドロリドロリ……、輝章の心は敵意と憎悪ぞうおに支配されていく。

 

 ……俳優レンジは鬼畜だ! 許せないっ!

 

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