第十章 ②レンジという男(ジレンマ)

 レンジは回想する。

 二十三年前、女子中学生をレイプした。あれは俺が二十二歳の時だった。

 あの頃は高視聴率の朝の連続ドラマに出演していた。田舎出の純朴な孝行息子役だった。朝ドラ視聴者のマジョリティである中高年からの友好的支持が凄まじかった。若者ファンも急増した。役柄と混同されて『レンジ・イコール・好青年』、そんなイメージが定着していった。

 乗じて仕事が殺到した。しかしそれは役柄イメージと重なり合う仕事オファーばかりだ。ファンが求めているのは純朴、誠実、生真面目、親孝行の『善人レンジ』だ。必然的に『好青年』の振舞いを求めらた。苦痛の日々の始まりだった。


  ……偽善も過ぎれば毒になる。


 残念ながら、そもそも俺は朝ドラの役柄とは全く違う性質類型タイプだ。むしろ正反対の傲慢ごうまん俺様男だ。しかしいつの間にか本来の自分は、かき消されてしまっていた。


 俺は善人を装ういつわりの日々にうんざりしていた。

 まった毒を吐き出したい、それには好みの女を抱けばいい。しかし俺の性的嗜好しこう所謂いわゆる『ロリコン』だ。

 不埒ふらちな欲望は日に日に増大していく。それはいつしか幼女をレイプしたいという願望に変じた。いつの間にか脳内は危険な欲求に支配されていた。

 ……いたいな女を抱きたい! 現実と虚飾きょしょくのはざまでギャップストレスが膨らんでいた。

 もはや破裂寸前だった。


 二十三年前のあの日。

 共演女優が体調不良を起こし、早朝からの撮影が昼前に終わった。珍しくその後の予定スケジュールも埋まっていない。数か月ぶりのオフを手に入れた。

 一旦帰宅して車のキーをジャケットのポケットに入れた。買ったばかりの愛車スポーツカーRSでドライブに出かけることにした。

 目的地は飯能市の『古久こくや』だ。ここの肉つゆうどんが美味しい! スタッフたちがしきりに話していた。しかし営業時間が短くて来店することができなかった。ようやく念願叶っておとずれることができたのだ。

 帽子とサングラスをかけ、うつむき加減で入店する。他の客にバレないように背中を丸めて椅子に腰掛ける。小声で注文した。

 そっと辺りを見渡す。店員も客も俺に対して特別注意を払っていない。どうやら人気俳優レンジだと顔バレしていないらしい。平穏な店内に安堵あんどした。

 お膳が運ばれてきた。コシがある武蔵野うどんに肉つゆをくぐらせる。……美味い! 

 スタッフたちの評判通りの味だった。最後の一滴まで飲み干した。

 腹も心も満ち足りた。優しい味に癒された。

 

 自宅のある中野坂上への帰路。

 高速を使わず一般道をドライブする。わざと脇道にれて裏路地に入ってみる。

 鼻歌まじりに郊外の街並みや住宅地を観察する。

 今日は良い日だ。

 突然のオフ、美味い食事、愛車でドライブ……。良い気晴らしになった。

 帰宅したら早めに身体を休めよう。撮りためたドラマを見てもいい。

 そうして上機嫌にオフを終える……はずだった。

 そのはずだった。

 

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