第十章 ①レンジという男(性根)

 レンジは苦悩していた。

 主演映画の撮影がクランクインした。ノリに乗る人気脚本家・しょうの監督作品である。ヒットは確実だ。

 少し前まで、ヒットメーカー輝章きしょうの作品にこだわって、しつこいまでに出演打診を繰り返してきた。だがしかし、何度アプローチしても手応てごたえすらなかった。全く相手にされていなかった。


 ところが今回は違った。

 「是非に……」

 輝章側が出演オファーをしてきたのだ。しかも主演だというから驚きだ。共演者やスタッフから特別待遇を受けて、チヤホヤされて、最高の現場になるはずだ。すでにマスコミの注目を集めている。

 天から舞い込んだ幸運に歓喜した。

 

 ……それなのに心はなまりのように重い。陰鬱いんうつな気分だ。


 渡された脚本を読んだ俺は震えあがった。恐らく、オファーをされたあの時は浮足立っていたのだろう。ろくに内容確認をせずに、ふたつ返事に出演を快諾かいだくしてしまった。

 しかし身の毛のよだつストーリーに降板を申し出た。

 「この脚本内容では出演したくない! 俺は降りる! 今すぐ輝章監督に断ってくれ!」  

 事務所で激高げきこうして怒鳴り散らした。多少のエゴ(主我)なら通るだろうとたかをくくっていた。だがしかし、今回ばかりは社長がそれを許さなかった。

 「このに及んでワガママは許さない。事務所の決定に従ってもらう」

 社長は語気を強めて言明げんめいした。破約はやくして反故ほごにすれば多額の賠償金を請求するとまで言う。


 社長の怒りももっともだ。

 最近の俺は明らかにうわついていた。人気アイドル羽衣ういとの密会おう逢瀬を重ねていた。不倫疑惑が連日マスコミに報じられ、好感度が急落していた。

 事務所としては、人気脚本家・輝章の作品を契機に『俳優レンジ』のイメージアップと信頼回復をはかりたい、そんな目論もくろみがあるのだ。

 

 レンジはため息まじりに感慨にふける。

 ……芸歴四十年、俺が受けた称賛のすべてがフェイク(偽物)だ。

 顔は作りものだ。容貌は整形して数か所メスを入れている。あごと頬骨を削って、目元と鼻はだいぶいじってある。美容整形には大いに金を投じた。なかなかの傑作を完成させたと自負している。

 

 性根は底辺だ。性格の悪さは天下一品ピカイチだ。自覚しているからこそ徹底的に善人を演じている。

 災害復興支援系統のボランティア活動には特に力を注いできた。被災地におもむいて汗と涙を流す。善行にあわせて綺語きごを吐き出し、被災者を励ます。

 「どうか希望を失わないでください! どうか義援金を! 復興に向けて、あたたかなご支援をお願いいたします……!」

 カメラに向かって涙ながらにこうべを垂れる。廉潔れんけつな姿勢で政府や国民に訴えかける。それから被災者の手を握る、高齢者の背中をさする、子供たちの頭を撫でる……。そうすることで好感度はおのずとばくがりするのだ。

 とにかく話題性の高い慈善的社会貢献をして目立つことが肝要だ。偽善者万歳! とばかりに効率よくイメージアップ戦略を実行してきた。

 演出に抜かりはない。

 

 過剰に円満アピールしている夫婦関係も演出フィクションだ。俺たち夫婦は世間に秘匿ひとくの『爆弾』を忍ばせている。

 妻のサユミは大人の色香漂う美人女優としてはやされている。しかし実は、女性しか愛せないレズビアンである。

 そして俺は、いたいな少女を好むロリコンだ。そもそも女の色気になど興味はない。

 サユミがレズビアンであることを偶然知った俺は、欠陥女サユミをを脅迫してめとった。それは世間的に害意がいいを抱かれる性癖(小児性愛者)の『かくみの』として援用えんようするためだった。この結婚は『俳優レンジ』のイメージアップ戦略の一環なのだ。

 妻のサユミとは言うまでもなく仮面夫婦である。レズビアン女優サユミを利用して円満ぶりをアピールして、女遊びは金で解決している。

 大衆が芸能人のプライベートをうかがい知ることは不可能だ。だからこそ良き夫を演じることなど容易たやすい。お互い役者が生業なりわいゆえに、完璧な円満夫婦を演じ切ることができている。結果として、美男美女のおしどり夫婦として、ベストパートナー賞を受賞している。 

 

 さらに俺にはどでかい秘密がある。リスキーな爆弾を抱えている。

 自らの性癖がわざわいして未成年をレイプした犯罪歴がある。それも二度、相手は女子中学生と幼女だった。

 だが俺は運が良かった。被害者に訴えられることがなかった。つまり、輝かしい経歴は奇跡的に無傷だったのだ。


 これまで築き上げてきた『不動の地位』を揺るがしたくはない。

 だからこそ、不利益なリークを食らわないように細心の注意を払う。徹底的に『善人』を演じきる。

 イメージアップ戦略に手段は選ばない。たとえ姑息こそく真似まねだと言われようとも関係ない。好感度を維持させるために常に努力しているのだから、称賛に値する。


 俺の俳優人生は順風満帆じゅんぷうまんぱんだ。この先も堂々と大衆をあざむいて、踏ん反り返って生きていく! 

 ……つもりだった。

 ……そのはず、だった。

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