カミハカリの演算 ネオフューチャー・ドラゴンゴッド

第五章 ⑤否の女社長・コウメ(幸せって？)

　和歌山県・田辺市。

　紀州の南高梅畑では腰の曲がった老夫婦が収穫作業に精を出していた。

　履（は）き古して泥まみれの長靴、日焼けした肌、顔には大きなシミ、荒れてしわしわの手。

　ペットボトルのお茶を一口飲む。擦（す）り切れた手拭いで額の汗をぬぐった。

　ふと、梅林の木陰に小鳥を見つけた。それは羽がボロボロになって飛べなくなった水色のインコだった。衰弱してうずくまって小刻みに震えている。

　老夫婦は水色のインコを見た途端、なぜか懐かしいような、それでいて愛（いと）おしいような不思議な感覚を覚えた。

　爺（じい）さんはインコをそっと両手に包み込むと平屋の古家に連れ帰った。婆（ばあ）さんは目を細めて水と餌（えさ）を与えた。

　老夫婦には四十歳になったばかりの娘がいる。とは言え、かれこれ二十年以上、顔すら合わせていない。

『田舎（いなか）』や『農家』を毛嫌いしていた娘は進学を機に上京した。それっきり、一度も帰ってこなかった。

　娘に会いたい一心で、高速バスに乗って何度か東京に行った。しかし一度も会ってもらえなかった。

　幼いころは、茶目っ気のある無邪気な子供だった。真っ赤なほっぺ(頬)で照れ笑いする表情が可愛かった。もじもじして人見知りな女の子だった。

　娘が高校生になると化粧をはじめた。ヘアアレンジやらネイルやらに夢中になっていた。同じころ、反抗的になった。……野良仕事をしている親なんてかっこ悪い！　汗臭い、汚い、恥ずかしい！　そう言って口をきいてくれなくなった。

　高校卒業後、美容系の専門学校に進学が決まった。そうして娘は上京した。

　どうやら東京の生活は金が掛かるらしい。幾度も幾度も「足りない」と金を無心してくる。生活を切り詰めて仕送りをした。しかし、わずかばかりの貯蓄はついに底をついてしまった。

　すると連絡は途絶えて音信不通になった。

　風の便（たよ）りで知った。

　娘は夢を叶えて総合美容サロンを開業したらしい。経営しているサロンは全国展開となって大人気らしい。途轍（とてつ）もない成功者になったらしい。テレビＣＭ(コマーシャル)を見たときには何だか誇らしい気持ちになった。

　以前、行きつけの美容室で女性週刊誌を読んだ。

　そこには娘の記事が掲載されていた。やり手の美魔女社長だと、才色兼備の成功者だと、そう、もてはやされていた。

　しかし娘の顔写真を見たときには驚いた。幼いころの面影はまるでなかった。整形によって見ず知らずの美しい別人に変わっていたのだ。

　婆（ばあ）さんは嘆く。　

　……もう、うちの娘はいない。生来（せいらい）の素朴娘はいなくなってしまった。血色のいい赤いほっぺの元気娘は一体どこへ行ってしまったのだろうか？　恥ずかしがり屋のもじもじ娘はどこへ行ってしまったのだろうか？　どこかに隠れているのだろうか？

　その娘は今、行方不明らしい。

　お昼のワイドショーを見る。顧客トラブル、技術者の一斉離職、幹部スタッフの巨額（おう）横領（りょう）、それらが次々と露呈（ろてい）したと報じられていた。破竹の勢いだった総合美容サロンは経営難となり、もはや倒産目前らしい。

　女社長(娘)は、失踪したとか、海外逃亡したとか、ホストに匿（かくま）われているとか、自殺したとか、好き勝手に言い散らかされていた。

　しかし真実はわからない。だけどひとつだけ、決めている。

　もしも娘が疲れ切って帰ってきたら、そのときは何も問わずに迎えてやろう…………。

　爺（じい）さんは目を細める。

「このインコ、赤いほっぺが可愛いなあ」

　婆さんは頭を擦（さす）って愛（め）でる。

「本当に、……可愛いねえ」

　インコは嬉しそうに傷（いた）んだ羽をばたつかせた。キューキュルッ！　甘えて鳴いた。

　老夫婦はインコに『コウメ』と名付けて、優しく話しかけた。ゲージに入れずともインコは逃げなかった。老夫婦の頭に乗って、肩に乗って、指先に乗る。そうして何度も何度も頬ずりをした。

　暫（しば）しの穏やかな日々が過ぎて行く。

　インコの『コウメ』は百日後に死んだ。右側の羽には『空蝉（うつせみ）模様』が淡く浮かび上がっていた。

　老夫婦は小さな亡骸（なきがら）を大事そうに、そっと両手で包み込んだ。畑に運んで、梅林の根元に亡骸（なきがら）を埋めた。慈しむように土をかけ、小石を置いて墓に見立てた。

　老夫婦は『コウメ』の墓の前にしゃがみ込んで手を合わせる。

「なあコウメ、おめえはねっからしゃーないなあ(お前はまったく、しょうがないなあ)。だけどよく帰ってきた……。頑張った、頑張ったなあ。お疲れさん…………」

「はあ……、ほいない(つらい)。もういいから、休めなあ。ゆっくり、休めえ……」

　ふたりは目を閉じて祈り続ける。

　ふと、肩を震わせ嗚咽（おえつ）を漏らす。大粒の涙がこぼれ出す。いつしかそれは滝になる。滝のような涙が止めどなく流れて落ちた。

　透明の涙は梅林の乾いた土を潤（うるお）すかのように沁（し）み込んでいく。

　深く、深く、地中の奥へと吸い込まれていった。