第五章 ④否の女社長・コウメ(制裁)

 所沢市・緑町。

 ドッ、ドッ、ドッ、ドドドドドッ……!

 突然、滝落としの雨が瀑布ばくふした。コウメの周囲にだけ集中豪雨が降り注いでいる。吹き飛ぶような暴風が吹き荒れる。

 ……しまった!

 コウメは契約不履行のあやまちに気がついた。しかし、もはや手遅れだ。

 

 ザザアァッ! 激しく打ちつける滝面が金色の閃光せんこうを放って左右に裂けた。怒気どきこもる低い咆哮ほうこうとどろいた。

 そこに現れたのは威風堂々いふうどうどうとした黄金龍王だった。ギラギラと目をいて憤怒ふんぬ形相ぎょうそうだ。ぎろり、コウメをにらみつけた。

いなアァッ!』

 低いうなり声が響き渡る。同時に、滝落としの雨はぱたんと止んだ。


 静寂しじまが訪れた。


いなだってさ。残~念ッ!」

 背後から茶化す声が聞こえてきた。コウメはおそる恐る振り返る。

 からかい口調に声をかけてきたのは浅黒い肌の長身イケメンだった。しかし切れ長の瞳には怒りがにじんでいる。

「おいらはいろ九頭くず龍神在あるろう。あんたは契約を違えた『エラー人間』だ。制裁がくだされる前になにか言い残すことはないかい?」

 危機的状況だ。それなのに勘違い女の思考は見当違いの方向に向かった。

 ……あっ! いなの制裁をくだいろ九頭くず龍神……! あら? 人間に化身けしんした姿はものすごい美青年! 逆三角形のスタイル、褐色かっしょくの肌、ミステリアスな眼差まなざし……。好みのタイプ、それもドンピシャど真ん中! 彼ってば、とびっきりのいい男なのね!


 ずぶ濡れの女社長はいやらしく微笑む。全身を高級ブランドに固めた自信過剰女は臆面おくめんもなくびる。

「ねえ? もしかして私、制裁されてしまうのかしら?」 

 在狼(コン太)はうなずく。

「もちろんそうだよ! 制裁がおいらの役目だからねえ」

「うーん、そっかあ。だけど今回だけは見逃して欲しいなあ? ダメかなあ?」

「見逃して……、ってことは! 契約をたがえた自覚があるってことだよねえ?」

「ええ、そうね。本当にごめんなさい。ほんの少し、うっかり魔が差しただけなの。すっごく反省しているわ」

「へえ?」

「だから、ねっ? お願い! 許してくれるなら貴方あなたの言うこと何でも聞くからっ」

 コウメは両手を合わせてウィンクした。

「ふーん、……何でも、って?」

「だからあ! うふふっ、お互いに楽しみましょう! ってこと!」

 ついに色気まで振りまきはじめた。在狼あるろうあきれ返って冷淡な笑みを浮かべる。なぜだかコウメはその表情を『勝算あり!』と勘違いした。

「うふふ、もしかして! 貴方あなたは龍使い凛花さんの恋人なのかしら? 確かに彼女は可愛らしいけれど、ちょっと子供っぽくて物足りないでしょう? あんな小娘よりも私のほうが色々と満足させてあげられると思うわよ?」

 コウメは擦り寄って腕をからませる。身体を密着させて下品な誘惑を仕掛けた。

 在狼あるろう(コン太)は眉間に深くしわを寄せた。イライラムカムカ! 不快アレルギーが発症した。

 バシィッ……! 邪険じゃけんに腕を振り払う。下劣げれつ女を思いっ切り吹っ飛ばした。

 ドサッ! コウメは地面に転がった。状況がのみ込めず呆然ぼうぜんとしている。


 在狼あるろう嫌悪けんお感をあらわにして、あっかんべえっ、舌を出す。

「あのさあ! 『厚顔こうがん無恥むち』って言葉を知っているかい? 恥じらいや節操せっそうが無い、配慮や思いやりが無い、無神経で傲慢ごうまんで厚かましい空っぽ人間のことだよ! 要するにあんたみたいな女のことを言うんだよ!」

 コウメは反論する。

「しっ、失礼ね! せっかく私があなたの相手をしてあげるって言っているのに!」

「厚化粧がひび割れた濡れねずみ下劣げれつ高飛車女なんていらないよ! ケッ! 反吐へどが出るね!」

 憤慨ふんがいする在狼あるろうは呂色九頭龍神の姿に変化へんげする。九つの龍頭りゅうずは怒りをにじませて寄ってたかって威嚇いかくした。

 コウメは顔面蒼白になる。腰を抜かして震え上がる。黒光りした恐ろしい龍神の姿に恐れおののく。あまりの恐怖にしゃくり上げて泣き出した。

「どっ、どうか、おっ、お願いっ! いのち、だけは、助けて……?」

 美の女神どころではない。醜女しゅうじょは自己保身の命乞いを始めた。しかし、浅はかな皮算用が通じる相手ではない。


 在狼は再び人間に化身する。ニヤリ、笑う。

「あんたってさあ、とことん空っぽだよねえ? あんたが欲しているものは永遠に手に入らないものだって知っているかい? そんなの世の常識だよ?」

「もっ、もう何も欲しがりません。何でも言うことをききます。あなたの下僕にだってなります。だからっ……」

「あんたなんかいらないよ! 是契約書・第六条不履行ふりこう、否の制裁から逃れることはできないよ? あんたはこれから『空蝉うつせみインコ』になる……。ああっ、もう説明が面倒くさいなあ! えっとねえ、空が飛べるようになるよ! 良かったねえ? すごいねえ! じゃあ、そうゆうことで!」

「助けてっ、助けて! どうか、どうか…………、お願い、します……」


「あっ、そうだ! おいらにとって凛花は大事な親友だ。だけど最愛の恋人は真珠色龍神ノアなんだよ。良かったら覚えておいてねえ? まあどうせインコになるんだし、忘れていいけどさ」

「え……? あなたの恋人は真珠色龍神ノアなの?」

「そうだよ! だけどあんたがどんなに憧れて真似したって、複製デュプリケイトしようと金をかけたって、絶対にノアにはなれない。そもそもノアや凛花が輝いているのは内面の美しさだ。それに引き換え、コウメはまるでドブみたいだねえ?」

「ひどい! ドブって……」

「イヒヒ! 最期の余生はさあ、大好きな人と過ごしなよ! あんたを大事に想ってくれている人間のひとりやふたりくらい、どこかに居るんじゃあないの? ま、居ないかもしれないけどさ」

「いっ、居るわよ!」

「そいつは良かった! それじゃあ安心だねえ!」

「いっ、嫌あぁ! 待って! 嫌あああぁっ!」

 不毛なる会話は終了だ。嘲笑ちょうしょうしてキメ台詞を吐く。


「リズム消滅。鬼畜め、バイバ~イッ!」


 在狼が消えた。その瞬間、コウメは空蝉インコに姿を変じていた。

無知むち』というおろかしさほどの恥と恐怖はない。コウメがのどから手が出るほど欲していたものは『若さ』だった。

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