第四章 ③彼の決意

 宇和島駅。

 ペーパードライバーの青年は緊張気味に運転席に乗り込んだ。凛花は助手席に座って三十分ほど道案内をする。

 青年は慣れない運転に苦戦しながらも楽しそうだ。市街地を抜けて農園のガタガタ道を走行する。身体を跳ねさせながら笑った。

 レンタカーの車中、ようやく名乗った。

「僕の名は『しょう』といいます。さっきは感じ悪くてすみません……」

「ふふ、私は凛花です。あ、二度目の自己紹介ですね」

 ……輝章は姿勢がよくて知的な風貌だ。メンズトレーナーにジーンズというカジュアルな服装ながら、言葉遣いや立ち居振る舞いから育ちの良さが感じとれた。適度に距離感を保ってれ馴れしい態度はとらない、自然体でさりげない配慮がある、パーソナルスペースをおかさないところに好感が持てた。


 実家の農園に到着した。比較的傾斜が緩やかな道端にレンタカーを停めて車から降りた。

 吉田町よしだちょうの昼下がりの晴天。凛花はみかん山の坂道を軽快に先導する。

 青い空、潮風が心地いい。向かいの山のモノラックがよく見える。柔らかな太陽の日差しを浴びてたわわに実るみかん、固い皮のブラッドオレンジ。キラキラきらめく瀬戸内の海……。

「うわ! 本当に絶景だ」

 輝章は感嘆かんたんの声を上げた。

 ゴロン! 凛花は洋服に土がつくことなど意にかいさず、畑に寝転んだ。

「こうして仰向あおむけになってみて? だけど私に触れないくらいの距離を保ってくださいね」

 輝章は素直に頷く。短い雑草の生えた固い土の上に大の字になって寝転んだ。

 ふたりは無言のまま空をあおいだ。大の字に寝転んで澄み渡る空を見つめる。

 青い空が視界いっぱいに広がって、そよそよと風の音が聞こえる。ささくれだっていた心が癒やされていく。そんな穏やかな時間だ。


 凛花は意を決する。

しょうさん……。少しだけ、私の『昔話』を聞いてくださいませんか?」

「あ、子供のころの思い出話ですか? それは楽しそうですね! 是非とも聞かせてください」

 輝章は笑顔で返答した。

 凛花は浅くうなずいて、静かに言葉を発す。

「さっき、八幡浜やわたはま駅に現れた真珠色龍神は私の親友です。そして命の恩人でもあります。あれは、私が五歳のとき………………」

 幼き日に起こった忌まわしい出来事を淡々と語り伝えた。


「……? …………!」

 輝章は言葉を失った。あまりの衝撃に震えが止まらない。感情は戸惑いを超えておののいた。

 ……う、嘘だろう? ぽかぽか暖かいこのみかん山で? 長閑のどかなこの場所で? まさにこのみかん畑で……! 幼児期の凛花さんが成人男に襲われてレイプされたこと。瀕死ひんし状態で病院に運び込まれたこと。女性としての身体しんたい機能を失ってしまったこと。大切な家族が自責の念にさいなまれていたこと。けがされた身体を嫌悪していたこと。命を絶って消えて無くなりたい、そういていたこと…………。

 ぽつり、ぽつり……、飾らない言葉が紡がれていく。その言葉の羅列られつは重かった。

「あの日、ノアが私の命を助けてくれました。いつも空から『生きよ!』と励ましてくれました。そして『龍使い』の使命をたまわりました。たっと御方おかたが『存在意義』を与えてくださったのです。だから私は心の奥底から、生きていて良かった! ……そう思っています」


 ふわり……、清爽な風が吹き抜けた。見上げる青い空に群れた鳥が勢いよくすだれをなした。

 ……凛花さんは、まわしい出来事があったこの場所を『絶景です』と言った。そしてこんな自分に『本来の夢を諦めないで』そう伝えようとしてくれている。どれほど強くて、どれほど慈悲深い人なのか……。

 恐らく、この出会いは偶然ではない。見えない不思議な力に導かれた『必然』だ。だとすれば今をこうして生きていることすら、当たり前ではない。

 夢を手放すのは簡単だ。いくらでも言い訳できる。だけど夢とは自らが手繰たぐり寄せて掴むべきもの。希望ある未來があることは『奇跡』だ! 自分の『未來』は自分だけのものだ……!

 

 胸につかえていた卑屈ひくつかたまりが腹に落ちる、体外に抜けて消え去る、そんな不思議な感覚をおぼえた。

 輝章の心に『変化』が起こっていた。

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