柳ケ瀬ブルース

雨の降る夜は 心もぬれる

まして一人じゃ なお淋し


憎い仕打ちと うらんでみても

戻っちゃこない あの人は


ああ 柳ヶ瀬の 夜に泣いている


二度と逢えない 人なのに

なぜか心が 又いたむ


忘れたいのに あの夢を

想い出させる この酒が


ああ 柳ヶ瀬の 夜に泣いている


青い灯影ほかげに つぐ酒は

ほろり落とした エメラルド


もだえ身を焼く 火の鳥が

雨に打たれて 夜に泣く


ああ 柳ヶ瀬の 夜に泣いている




口裂け女には多くの説がある。



裕福ではない家庭の子供に、塾通いを諦めさせるための嘘。

夜道を歩いていたら襲われるから危ない、だから諦めろ。


随分と酷い話であるが、親も心の内で泣いていたのだろう。



精神病院からの脱走者である、という話。

座敷牢に監禁されていた精神を病んだ女性が逃げ出した、とも言われる。


誰かにもう一度、そう思って外に出る事を望んでいたのかもしれない。



そして、事故によって顔を崩した女性、という噂。

整形手術の失敗による酷い傷が残って理性を失った、等とも言われる。


身を焼く痛みを受けながら、雨の下で泣いてたのかもしれない。



米国の中央情報局CIAが意図的に流した実験だった、なんてのもある。



だが、真偽など誰も知らない。

真実など、どこにも無いのかもしれない。


だが、一つだけ確かな事がある。


奴は俺に近付いてきている、という事だ。


俺を守ってくれるのは、老神主から手に入れた言葉だけ。

何の装備も無く戦場へ赴くよりはずっと良い。


実に不安で、実に頼もしい。


ホテルの一室の窓から外を見る。

びゅおぉっ、と強い風が顔を叩いた。


右側に立つ大きな二つのタワーマンションによるビル風だ。

今の俺にとっては、頭を冷やすにちょうどいい。


左は岐阜駅と、それより手前で金色に輝く背中が見える。

金色の織田信長の像だ。


太陽の光を受けて、更に輝きを増している。

祈るような相手ではないかもしれないが、今の俺は藁をも掴む溺れ人。


信長公が助けてくれるなら助けてほしい。


部屋の中にはコンビニで買った食事と酒がある。

酒精の力も借りないと、流石に今日は寝られない気がするのだ。


まだ日は高い。

決戦までは、まだ半日近くある。


手持ち無沙汰になり、TVを付けた。


先日の浅野の一件が大々的に報じられている。

ワイドショーとしては、これほど良い飯のタネも無いのだろう。


『浅野氏は、事件前日に口裂け女の夢を見たそうですね。』


コメンテーターの一言で、俺の意識は覚醒した。

今、何を言った?


夢の話は俺達三人しか知らないはず。

あの浅野が話を広めるとは思えないし、高橋をマスコミが取材するわけがない。


もちろん俺も、そんな情報は発信していない。


チャンネルを変える。


『口裂け女、というと昭和から平成の、いわゆる都市伝説ですね。』


チャンネルを変える。


『久しぶりに聞きましたが、夢の中に出る、というのは聞いた事無いですねー。』


チャンネルを変える。


『私が子供の頃に震えました。マスクつけてる女の人が怖くて怖くて、ははは。』


どの番組でも口裂け女の事が話されている。


どこからだ?


一先ず、話の中心になっている浅野へ連絡を入れる事にした。


「聞きたい事がある。お前が口裂け女の夢の話をマスコミに流したのか?」

「何を馬鹿な事を。そんな非現実的な事を話すわけがないだろう。」


そりゃそうだ。


現実主義な浅野が話すわけがない。

マスコミはおろか、先輩の女性にも言っていないだろう。


「何があった、そんな事を聞くとは。まさか。」

「ああ、口裂け女の夢を見た。ついでに言うとかなりガッツリ襲われた。」

「そうか。今どこに?」

「岐阜だ。ほら、三人で柳ケ瀬行った時に見た金鳥居の神社に行ってきた。」

「神頼みか。いや、相手が相手だ、その方が正しいのかもしれん。」


こいつがオカルトを肯定するとは驚きだ。

だが物理的に対応出来ないなら、合理的に考えるとそうなるか。


「浅野君、あんまり動いちゃダメだよ?」


少し遠くから女性の声が聞こえる。


ああ、あの女性か。

昨日に引き続き、今日も見舞いに来ているとは。


チッ。


「おい、なぜ舌打ちした。」


しまった、思わず本心が外に出てしまった。


いや、これくらいさせてくれ。

こっちは余裕がないんだ。


適当に話を切り上げて、電話を切った。


とっとと結婚爆発しやがれ!


続いて高橋に連絡を入れる。


「おー、どうしたんだよ。こっちは元気だぞー。」

「脚ブチ折ってて何が元気だ。」


電話の向こうで高橋が笑っている。


結構な重傷のくせに、何とも暢気のんきで元気な奴だ。

だが今は、その能天気さが嬉しい。


「一つ聞きたいんだが、お前のトコにマスコミとか来たか?」

「あーん?何の話だよ、いきなり。警察が来ただけだぞ。」

「そうか。じゃ。」

「ちょっと待て。」


用件だけ聞いて電話を切ろうとした俺を、高橋が引き留める。


「まさか、口裂け女の夢を見たのか?」

「なんで分かるんだよ。」

「何年付き合ってると思ってんだよ、友達舐めんなよ~。」


けけけ、と高橋は笑う。

対して、こっちは苦笑いだ。


「俺は足を掴まれただけだけど、お前は?」

「追いかけられて足掴まれて、血とか何かヤベェ液を顔面にかけられた。」

「うっっっっわ、気持ち悪っ。」


電話の向こうでどんな顔をしているか一発で分かる。


「で、マスコミがどうたら、ってなんだよ。」

「ああ。TV見てるか?」

「俺、ベッドに縫い付けられてんだが。見られるわけ無いだろ。」

「それもそうか。」


そりゃそうだ。

事故からまだ一週間だ。


「今、TVで浅野の事件が報じられてる。かなり大々的にな。」

「あー、浅野から刺されたって連絡来てたけど、そんな事になってんのか。」

「で、その報道の中で、口裂け女の夢を見た、って話が広まってるんだ。」

「ほーん?あいつがそんな事、話すかね?」


むこう側で首を傾げる高橋が見えた。


「聞いてみたが話してない、とさ。勿論、俺も誰にも話してない。」

「むむむ?おかしくないか?どこから広まってんだ?」

「そうなんだよ、三人とも誰にも話してないのに当然のように広まってる。」


流石の高橋も言葉に詰まる。


何を言うべきか言いあぐねている、といった所だろう。


「まあ、出所を見付けようにも手掛かりも無い。一旦無視するしかない。」

「そうだなぁ。あ、お前いまどこに居んの?東京?」

「いや、岐阜だ。夢の中で助けられた神社に行ってきた。」

「あー、金鳥居の。」


そうだ、と俺は一言告げる。

老神主から聞いた言葉についても。


「おん?ポマードって俺の親父も知ってたな。」

「なんだよ、親に話してたのか?」


他人ではないが第三者だ。

そこから話が漏れた、となれば出所はそこになる。


だが、それはすぐに否定された。


「違う違う。昔話として前に聞いたんだよ。つっても子供の頃だがな。」


電話の向こうで、手をひらひらさせて否定しているのが分かる。


いちいち身体の動きが多いのが、高橋が陽気な奴に見える一因だろう。


「親父が子供の頃に先輩から聞いた対処法、だったかな?」

「俺が聞いたのと一緒だな。」

「たしか、隣の小学校の男子のお兄さんが実際に遭遇した、とか。」

「友達の友達、みたいな話だな。」


友達の友達や友人の知人からの体験談や情報。

噂話や怪談でよくある話だ。


そうか。


口裂け女は怪談、都市伝説。

話の発信源がどこであろうと、誰かの誰か、で広まっていくんだ。


SNSが広がっている現代なら、その速度は1970年代とは比較にならない。


そして、口裂け女の件を知っているのは俺達三人だけじゃない。


いるじゃないか、もう一人。



口裂け女、それ自身が。



どうやったのかは知らない。


自身で電子の海に情報を流したのかもしれない。

夢に出て来られるなら、誰かの無意識に情報を放り込んだのかもしれない。


なんにせよ、自身で情報を広められるはず。


そうしたら世間に瞬く間に広まっていく。


何故なら人間は、他人が知らない情報を自分だけが知っている優越感に弱いから。

世間を騒がせているニュースの裏を自分だけが知っている、となれば発信したがる。


訳知り顔でSNSに情報を流してバズらせる。

それを知った誰かが、真実かのように広めていく。


繰り返し繰り返し。


そのサイクルの中では誰も、噂話が真実か、などという事は気にしない。

科学や医療なら反証出来るが、都市伝説オカルトはそうもいかないものだ。


その結果、TVで報じられている。


これでSNSに触れていない人間にも広まるだろう。

その多くは高齢な方になる。


むかし自分は口裂け女に遭った、とか、こういう話が有った、と孫に話す。

より輪郭がハッキリした話は誇張され、祖父から聞いた当時の真実、となる。


そして話は初めに戻り、どんどん大きく拡大する。



高橋との通話を終え、俺は考えていた。


その話の中にどれだけの真実があるのか。

そして、語る事が出来ない遭遇して殺された真実が果たして存在するのか。


有るのか、無いのか。

分からない。


もし真実があるのなら。

ポマードという忌避の秘術が効かなかった事例があるのなら。




俺は、どうなるのだろうか。

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