繊維の町、岐阜
再び、俺はそこにいた。
柳ケ瀬商店街。
だが、以前と違う。
アーケードから見えるのは星無き夜空。
見渡す限りはシャッター街。
だが。
明るい。
まるで昼間のように。
街灯は煌々とアーケードの中を照らしている。
シャッターが閉まっているはずの店舗からも、光が出ている気がする。
夜だ。
だが、昼だ。
それはまるで、過去と現在。
栄光なりや、繊維の町。
凋落なりや、繊維の町。
二つが同時に在るような、途轍もない違和感が生じている。
そして、蜘蛛の巣のように糸が辺りに張り巡らされていた。
多くの人型が引っ掛かっている。
その体は黒塗り。
男から女か、それすら分からない。
噂が人を絡めとるように、口裂け女に絡めとられたのだろうか。
怪談とは、都市伝説とは、かくあり。
人の感情を揺さぶり、怖れさせ、されど広めさせる。
結果その力は増し、古びた商店街に過去の栄光を取り戻させた。
本来の時の流れを無理やり、自身の最盛期へと
岐阜は繊維の町。
廉価な海外製の物が入ってくるまでは隆盛を誇っていた。
時代は下り、輝きは消える。
口裂け女の噂話と同じように。
だから重なった。
噂の発祥地とは違う、岐阜市と。
当時の噂の発祥地と言われる岐阜県の都市たち。
それらに関係の無い、県庁所在地へと。
だが、俺達が思い出した事で機会を得たのだ。
再びの隆盛の
結果、口裂け女の思い通りになった。
絡めとられた人々は逃れられない。
溢れる情報の中から外へ出る選択肢を、自身で掴めないから。
そしてそれは、口裂け女の力の源泉となるのだ。
だがそれが、どろり、と粘度のある何かへと変わり、足に絡みついた。
黒を混ぜたような赤褐色。
乾き変色した血の色だ。
蹴るように足を振る。
想像以上に簡単に、その拘束は散り消えた。
ここは夢の中だ。
俺の、夢の中だ。
どれだけの人間が絡めとられていようが、それは絶対に変わらない。
ならば。
この世界に在るものは、全て俺の精神が影響しているはず。
黒塗りの人々は、TVで見た噂に流される人々。
拘束しようとした足下の血は、俺の恐怖心。
ばちん、と両手で自分の頬を打つ。
さあっ、と周囲がセピア色に変わった。
古ぼけた写真のような、どこか懐かしさを覚える風景だ。
だが、その中に異質なモノが一つ。
ゆらり、ゆらり。
揺れる身体は、細く高く。
ゆらり、ゆらり。
手にした刃は、赤く白く。
口裂け女だ。
逃げられない。
否、逃げない。
俺は意を決する。
ぐっ、と身体に力を込め、あの言葉を腹に溜めた。
そしてそれを、全力の力を持って吐き出
「がっ、あ、っ。」
衝撃が身体を襲う。
かなりの距離があったはずが、一瞬で俺の懐に。
ショルダータックルのように、口裂けの一撃が俺の胸に突き刺さった。
質量と勢いが直撃し、自動車に吹き飛ばされるように弾き飛ばされる。
背後の店舗のシャッターに激突し、それを大きく変形させた。
「ぐっ、うっ。」
身体が痛み、息が出来ない。
だが、ここで意識を手放すわけにはいかない。
凹んだシャッターに手を突き、何とか身体を起き上がらせる。
だが。
「うぐ、あぁ、ぁぁぁぁっ!!!」
腹に鋭い痛みが走る。
いつの間にか接近してきた口裂けの鋏が、俺の左腹に突き刺さっていた。
めりっ、と肉をこじ破る音が身体から鳴った。
刺しただけでは無く、捻じり押し込まれている。
半分程度突き刺さっていた鋏の刃が、根元まで押し込まれた。
激痛などという言葉では足りない程の痛みを、脳が認識する。
自己防衛のために意識が薄れていくが、それを無理やり引き戻す。
「
出そうとした言葉を、口裂けの手が押し返した。
ガッシリと口を押さえられたのだ。
いや、押さえるなどという生易しい物では無い。
顎の関節と下顎を、握りつぶさんばかりの剛力。
骨がミシミシと音を立てた。
言葉を発するどころか、息が出来なくなる。
激痛と窒息で意識が薄れていく。
その時。
「おおお!!るぅあああぁぁぁっ!!!!」
ばるん、という強力なエンジン音。
全力の気合を孕んだ絶叫が、人無き商店街に響き渡った。
宙を舞い、大質量のそれが口裂けに衝突する。
怪異を吹き飛ばしたそれは、衝撃によって木っ端微塵になり部品をまき散らす。
バイクだ。
そして。
「た、高橋っ!!」
地面に転がったのは、病院のベッドに縫い付けられているはずの友人だった。
「へ、へへ、ざまあ見やがれ。愛車の仕返しだ、この野郎!」
ガクガクと膝を笑わせながら、高橋は立ち上がる。
俺に手を伸ばし、ぐいっ、と身体を引き上げてくれた。
「お、お前、どうやって。」
「はっ、一度引っ張り込まれたんだ。もう一回来れないわけがねぇだろ。」
擦り傷だらけの顔で、にっ、と眩しく笑う。
無茶苦茶だが頼もしい笑顔だ。
少しばかり心が楽になる。
だが。
「うおっ!?」
再び口裂けが突っ込んできた。
だが、視認できなかった先程よりは遅い。
と言っても猛スピード、先程の高橋のバイクと同速度だ。
「ふんっ!!!!!」
俺達の前に大きな身体が立ちはだかった。
そして口裂けの体が空中で弧を描き、地面に轟音を立てて叩きつけられる。
一本背負い。
柔道花形の一撃だ。
「浅野!!!」
「マジで!?」
俺と高橋は同時に声を発した。
「間に合ったなっ。」
地面に口裂けを押し付けながら、ニヤリと浅野は笑う。
背中で腕を固定され、重量のある浅野に上から押さえられて口裂けは藻掻いている。
力が有ろうと、人間が編み出した技術をそう簡単に勝る事は出来ない。
「早くしろ!何か、手があるんだろう!?」
「早く早く、急げ急げ!」
浅野と高橋が俺を急かす。
俺は息を整え、発する。
「ポマード。」
口裂けの力が僅かに抜ける。
いや、唱える言葉が違う。
「ほまあど!」
びくり、と口裂けの体が跳ねた。
高橋と浅野は俺の事を、じっ、と見ている。
「捕魔唖怒!!!!!」
叫ぶように、叩きつけるように。
その言葉を口裂けに発する。
男とも女とも、人間の声とも動物の咆哮とも分からない。
途轍もない絶叫が商店街の隅々まで響き渡る。
そして口裂けの体が、どろり、と溶ける。
赤いカーペットと同じように、血の海を作り出すように。
敷き詰められたタイルの隙間から、大地へと呑み込まれていく。
一滴残らず消え去った事を確認して、俺達は長く長く安堵の息を吐いた。
「た、助かった、ぁ。」
尻餅を
緊張状態が終わりを告げた事で、はたと気付く。
吹き飛ばされ、突き刺された痛みが無い。
腹の傷跡も消え去っていた。
「おん?傷消えてんじゃん。」
擦り傷だらけだった高橋も、同じように傷が消えていた。
妙に都合が良いのは、ここが夢の中だからこそか。
「間一髪、というのはこの事だな。まあ、良かった。」
浅野は、ついっ、と中指で眼鏡の位置を整える。
「いや、本当に助かった。二人とも、ありがとう。」
礼を言った俺の事を、二人が鳩が豆鉄砲を食ったような顔で見る。
「何言ってんだ、俺達の仲だろ?」
「今更だ。水臭いにもほどがある。」
なあ、と高橋と浅野は言い合う。
ああ、友人と言うのは良い物だ。
「今度、飯でも奢るよ。」
「マジか!よし、めっちゃ良い店予約しなくちゃな。」
「ついでに知り合いにも声かけるか。」
訂正。
このクソ野郎どもが!
そう言うなら、団結を切り崩してやる。
「そういや浅野、先輩とは何処まで進んでるんだぁ?」
「は?何の話だ。」
「んんん?どゆこと?」
疑問符を浮かべている高橋に耳打ちしてやる。
それを聞いた高橋は、思いっきり全力で浅野の腹を殴ったのだった。
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