金の鳥居

夢を見た翌日。

俺は勢いよく飛び起きた。


夢だった事に感謝しつつ、胸をなでおろす。

いや、あれは本当に夢だったのか?


余りにも鮮明。

異常なほどの恐怖。


思い出すだけで、ぶるり、と身体が震える。


そして先ごろ怪我をした二人の姿と話を思い出した。


足を掴まれた高橋は、事故によって脚を骨折した。

腹を刺された浅野は、事件によって腹を刺された。


じゃあ、俺はどうなる。


足は掴まれた、肩も掴まれた。

刺されてはいないが、血の塊と黒い滴を顔面に受けた。


二人よりも酷い事になるかもしれない。

そう考えた俺は、すぐに行動を起こした。




今、俺は岐阜にいる。

目的地は夢の中で助けられた神社だ。


二人の件を考えると、何か起こるのは今日。

神社に到着するまでは無事だった、一先ずは安心である。


だが、ここまで来ていてなんだが俺は金の鳥居の下で考え込んでいた。

どうやって説明をしたものか。


夢の中で口裂け女に襲われたから助けてくれ?

うぅむ、実に胡散臭いし、信じてもらえ無さそうだ。


「どうされましたかな、そんな所で。」


しわがれた、だがのある声。


顔を上げるとお年を召した神主さんがそこにいた。


正確には、禰宜ねぎ、だったかな、いや宮司ぐうじか?

詳しくは無いから、まあ神主で良いだろう。


その手には竹箒たけぼうき境内けいだいの掃除をしていたようだ。


「ああ、ええと。」


言い淀む。

どう言葉を出せばいいのか。


「ふむ、ここではなんです。社務所へどうぞ。」

「へ。」


老神主に奥の社務所へ促される。

普通、突っ立ってるだけの男を社務所へ案内するものだろうか。


不思議に思いつつ、彼の後について社務所へ入った。


その一室で椅子に掛け、机の反対側に老神主が座る。


「よくお越しくださいました。随分と厄介な事になっておられる。」


先程までの柔和な表情はそのまま。

だが、その目に鋭い光が宿っていた。


その光は俺の置かれた状況を見透かすような、そんな力を持っているように感じる。

それに導かれ、俺は口を開いた。


「口裂け女に追われている、気がするんです。」


ようやく誰かに話が出来る。

それだけで少し身体が楽になっていく気がした。


「高橋も浅野もそれで怪我を。夢の中でこの神社に逃げ込んだら助かって。」


老神主は俺の顔を、じっ、と見つめたまま、話を聞いている。

一頻ひとしきり話し切った所で、彼は口を開いた。


「神社や寺は、いわゆる聖域という物です。西洋の教会も同じく、ですね。」


にこり、と笑って、穏やかに老神主は話を進めていく。


「明晰夢は夢と現実の境。その状況ならここへはよこしまな者は進入できません。」


俺は老神主の目から視線を外せない。


「ここにいる限りは大丈夫でしょう。ですが、それは良くないのです。」

「良くない、とは?」


大丈夫なのに良くない。

意味が分からない事を言われて、思わず俺は疑問を投げつけた。


「貴方は既に魅入られている。つまりは呪いが送り込まれている。」


少し長めに目を瞑って、老神主は目を開く。


「呪いは解放されない限り蓄積されます。」

「蓄積、とはどういう?」

「ダムが分かりやすいでしょう。流れがき止められ、水が次第に増えていく。」

「つまりは、その水が呪い、と。」


その通りです、と老神主は頷いた。


「聖域にいる限り、呪いは解消されない。軽く終わる物が重くになる。」

「怪我どころじゃ無く、死ぬ、と。」

「ええ。あくまで、可能性がある、という話ですが。」

「可能性?起きない事もあるんですか?」


一縷いちるの望み。

もし大丈夫なら気持ちが楽になる。


だが、それは打ち砕かれた。


「試した者がどうなったか、私共わたくしどもには分かりません。」


老神主の口から、ふう、と一つ溜息が出る。


「果たして、生きておられるのか、亡くなられているのか。」


過去に実際、があったのだろう。


堰き止められ続けた呪いが、一気に開放されたらどうなるか。

考えるだけで恐ろしい。


過去の人物は、水に押し流されたのか、それとも耐えきったのか。

それに賭けるのは、分の悪い賭け、だろう。


「俺は、どうすれば。」

「こちらも可能性に過ぎませんが。」


老神主はそう前置きをして、背後のきり箪笥だんすから何かを取り出した。


お札か、それとも破魔矢か。

そう考えていた俺の想像は裏切られる。


彼が取り出したのは、一冊の古ぼけた本だった。

ちゃんとした装丁がされた物ではない、言うなれば古文書だ。


「口裂け女とは、1970年代に流行った噂話です。今から五十年も前。」


五十年となると、目の前の老神主も俺と同じくらいの歳だったはず。

つまり、発生時を直接知っている人物、という事になる。


「子供達に瞬く間に広がった。不可思議な程に早く、広く。」


当時は今のようなインターネットも無ければSNSも無い。

拡がるとしても会話か、それとも文書か。


「神社や寺はこの動きを警戒しました。何らかの怪異では無いか、と。」


新聞に取り上げられたわけでもなく、何故か広がる噂話。

それを怪しく思うのは当然である。


「ですが出所と正体が分からない。正体が分からねば効果的な対策が出来ない。」

「あー、病気と薬、みたいな事ですか。」

「言い得て妙、ですな。」


うんうん、と老神主は頷く。


「つまりは、とりあえずの対処しか出来なかったわけです。」

「その対処が、これに?」

「ええ、こちらに。」


ぱらぱらと数ページめくり、ある所を指さした。


だが、草書体で書かれているせいで読めなかった。

目をしばたたかせる事しか出来ない。


その様子に老神主は、ふふ、と笑った。


「こちらはと書かれています。漢字では、捕魔唖怒、ですね。」


メモ用紙に四つの漢字を書く。

なんというか、やんちゃな青年が背中に背負って良そうな漢字だ。


「魔を捕らえ、わらい怒る。魔の物など怖くない、という事です。」


なるほど、と俺は一言。


「子供達にこれを広めたのです。いつの間にか、ポマード、になっていましたが。」


ポマードは整髪料だ。


ひと昔前は整髪料と言えばこれ。

子供達の父親が使っていたそれが語感が近く、すり替わったのだろう。


「その言葉が口裂け女に効くんですか?」

「怯ませる事は出来るでしょう。ポマード、では効果は減るでしょうけども。」


老神主は少し苦笑い。


誰某だれそれが死んだ、という事が無かったのは、この言葉のおかげだったのだ。

ポマードで防がれたのは、奇跡かもしれない。


「もし次に夢の中に現れたら、三度唱えて下さい。必ず三度。」

「なぜ三回なんですか?」


一度では無く、三度。

以上でも以下でもない。


「これは仏教による所ですが、三回忌の意味合いを簡易化した物なのです。」

「三回忌?」

「一先ずの区切りが三回忌なのです。それを唱える意味は、常世とこよへ還れ。」


ほまあど、は神道の言葉。

三回忌、は仏教の儀式。


仏教と神道の融合技、という事になる。

神仏習合しゅうごうな日本らしい対応策と言えるだろう。


「本来は別の場面で唱える言葉。ですが多少の影響は与えられる、という訳で。」

「なるほど。」


薬でも何でも、そう言った事はあるだろう。

まさか都市伝説オカルトでも同じとは。


「今日は近くに泊られた方が良いでしょう。万が一の時にここへ来られるように。」

「そのつもりで、駅前のホテルに部屋取ってます。万が一の時はお願いします。」


机に額が付くほどに頭を下げる。


そんな俺に老神主は、にこりと微笑んだのだった。

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